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余命わずかの弟のために | 秘密のあっ子ちゃん(14)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
その日、かかってきた電話の声の主は中年の女性でした。当社のことを知人に聞いて電話しているという彼女は、「急いで探偵さんに調べてほしいことがあるので、今からそちらに行きます」と、慌ただしく言って電話を切ったのでした。
一時間半ほどしてやって来た彼女は、四十五、六才の身なりのいい、「奥様」といった感じの人でした。 「実は、弟のことで、探してほしい人がいるのです」彼女はそう言いました。 彼女の弟は四十一才。入院加療中でした。病名は膵臓癌。病状はあまり思わしくなく、いえ、もっとはっきり言えば末期でした。
四、五年前から「胃が痛む」と言っていた彼は、何回も胃の検査を受けていました。かなりお酒も飲むので、肝臓の検査も同時に受けていました。しかし、胃にも肝臓にも異状は発見されませんでした。
医者から「異状なし」と言われて、彼はそのままにしていました。そして、何ケ月か後に胃が痛み出すと病院に行き、再び「異状なし」と言われて、またそのままになる…。
そんなことを繰り返しているうちに、若干肥満ぎみだった体型も、はた目にも分る痩せかたになっていったのです。
「胃が痛い」と言っては病院に検査に行き、「異状なし」と言われてそのままになる。そんなことを繰り返しているうちに、彼(41才)は、はた目にも分る程痩せていきました。
姉である彼女(46才)が心配して忠告しても、肥満ぎみの体型を気にしていた彼は「ダイエットに成功した」と喜んでいるくらいだったのです。「酒も前ほど飲まなくなったしな」彼はそう言っていました。
三ケ月前、再び激しい腹痛が襲い、今度も手近な病院で済ませようとしていた彼を、彼女が強引に知りあいの総合病院に頼んで、徹底的に精密検査を受けさせたのでした。さすがの彼も今度の腹痛は尋常ではないと感じたのか、素直に姉の意見に従ったのでした。
検査結果が出た日、懇意にしていた医師は彼女にこう言いました。
「膵臓に腫瘍ができていました」
「腫瘍って、癌ということですか?」動揺を隠せず、彼女はそう聞き返しました。 「今の段階では良性か悪性かは何とも言えませんが、とにかく、これは切除すべきですね」
彼には、「“膵炎”のため、バイパスを通す」ということにして、一週間後に手術が行なわれたのでした。 彼(41才)の手術の当日、医者は開腹するとすぐに閉じてしまいました。
手遅れだったのです。転移がかなり進み、どうしようもありませんでした。
彼女(46才)は、「弟さんの余命はよく持って半年」と言い渡されました。 彼女と彼は二人姉弟でした。両親は八年前に父が、二年前に母が失くなっていました。
彼女の夫(50才)も、息子(21才)や娘(19才)も癌告知には反対しました。彼女自身も、唯一人の弟が末期癌だと知って苦しむ姿を見たくないと思いました。死への恐怖を味わうことなく、そしてできれば癌特有の激しい痛みにも煩わされることなく、穏やかに「その時」を迎えさせてやりたいと思いました。 彼女は告知はしないようにと医者に頼みました。
しかし、手術から三ケ月経ったこのごろ、彼女は時々、弟が癌だと気づいているのではないかと思う時があります。彼の言葉の端々にふっとそう感じることがあるのです。
彼はずっと独身を通してきました。とりわけ、十年前にあったある出来事を契機に、彼はどんな縁談話も断ってきました。
彼女は、今さらながら、あの時取った自分の態度が悔やまれてなりませんでした。
十年前、彼(41才)は恋をしていました。相手は得意先の会社で事務をしている、一つ年下の女性でした。
営業で何度もその会社に出向いているうちに顔馴染みになり、ある日、帰宅途中でばったり出会って、二人でお茶を飲んだのが始まりでした。
それから、二人は二年間交際しました。その二年の間に、彼は彼女と結婚したいと考えるようになりました。初めは躊躇していた彼女も彼の熱意に心が動かされ、彼の家族が同意すればという前提の許で、やっと彼と暮らすことを考え始めていたのでした。
もともと、彼女も彼のことはとても好きでした。しかし、彼女には離婚歴があり、三才になる男の子がいました。初婚の彼に対して、「子連れの再婚」である負い目が彼のプロポーズをすぐに承諾できなかった理由でした。
彼は両親に彼女のことを話しました。両親は彼女の経歴を聞いた途端、大反対しました。
「何も好きこのんで、人の子を育てるような結婚なんかせんでもええ!なんぼ、ええ子か知らんけど、そんな結婚、絶対にうまくいくはずがないやないか。お前やったら、他にもっとええ子が来てくれる。お前は何やかやと断わっとったが、この前、叔母さんが持ってきた話の娘さんの方がなんぼええか…」
日ごろ細かいことをとやかく言わない父までがそう言うのです。長年銀行に勤め、来年子会社の取締役に内定している父の「見栄」がそう言わせたのかもしれませんでした。もちろん、母は父に輪をかけての反対のしかたでした。
姉である依頼人は、両親に頼まれて彼女に会いに行きました。引導を渡しに行ったのでした。
依頼人はきつい言葉を控えたつもりでしたが、彼女は明らかにショックを受けているようでした。
その話を聞いて、弟は激怒しました。
それでも、その後しばらく二人は会っていたようでした。が、やはりしっくりいかなくなったのか、いつしか別れたようでした。
依頼人はその辺の詳しい事情を弟から聞きませんでした。家族の中では、彼女の話は暗黙裡にタブーとなっていたのです。しかし、彼はその後、頑なに来る縁談話全てを断り続けました。それはあたかも、自分達の仲を引き裂いた両親と姉への激しい抗議のようでした。 最近の彼の病状は、尿毒症が出始め、足がむくみ始めていました。黄疸も始まり、白眼が少し黄色くもなってきていました。そして、痛み止めに打つ麻酔薬のために記憶が飛んだりもし始めました。
依頼人は、今さらながら十年前に取った自分の態度を激しく後悔していました。 彼女が自分を許してくれるとは考えられませんでしたが、弟の意識がまだはっきりしている間に、なんとしても彼女に会わせてあげたいと思いました。
依頼人が「大至急、調べてほしい」と言ってきたのは、そういう事情があったのでした。
依頼人(46才)は、当社にやって来る前に、自分で彼女(40才)の実家に「同級生」と名乗って連絡を入れていました。実家は既に兄の代になっていて、電話に出た兄嫁に「本人から誰にも言わないのでくれと固く口止めされていますので…」と、彼女の連絡先についてはすげなく断わられていました。
実家が教えてくれないケースはこれまで山ほど扱っていましたので、私達にとって今回の人探しの調査はそれほど難しいものではありませんでした。
ほどなく、彼女の現在の所在が判明し、私はその日中に依頼人に報告したのでした。
それから今週で四ケ月が過ぎました。依頼人からは、あれから全く連絡が入っていません。
その後依頼人が彼女に連絡を取ることができたのか、また、彼女が彼の見舞いに来ることを承諾したのか、そして二人の再会は果せたのか、私は全く知らないでいます。
私には今、こちらからそれを聞く勇気はありません。何故ならそれを聞くことは、依頼人の弟さんに課せられた運命の、その最後を聞くことになると思えてならないからです。
<終>

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