これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
小学校卒業と同時に彼女がシンガポールへ旅立ったことによって、気まずいまま二人は別れたのでした。
彼は彼女を傷つけたことを深く悔いていました。そして、 それは月日が経つに つれて、思い出したくない出来事となっていきました。
そんなある日、突然、彼 女が東京の彼の家に訪ねてきました。今となっては、 何故彼女が突然訪ねてきたのか、何を話したのかは彼は良く覚えていません。ただ記憶に残っているのは、 まだ世間慣れしていない自分が、彼女の突然の出現で動揺し、幼いころ彼女を傷つけた思い出がよみがえってどう応対していいのか分らず、けんもほろろに応対したということだけです。その時の彼としては、彼女 が短い時間で帰っていってくれたことにホッとしたくらいでした。
ところが三十も過ぎると、二度も彼女を傷つけたことに言いようのない後悔の念が湧いてきました。
「こういったことを思い出すのも三十歳になってからで、おそらくそれまでは自分の中で忘れてしまいたかった事、思い出してはいけないことと思っていたためだと思います」。彼は依頼する時にそう言いました。
「忘れてしまいたい事、思い出したくない事と思い続けてきたのは、小さかっただけに心の影響がすごく強かったからだと思います。いい思い出として取っておくべきでは とさんざん迷いましたが、やはり一生それでは済ませない気もして、連絡を取る手段があるならやってみるべきではないかと思いました。彼女が今どこに居るのか、どうしているのか、ただそれだけが気になります」
依頼時に彼はそう言っていました。
調査の結果、彼女は結婚して一児に恵まれ、現在は埼玉県に住んでいました。
東京在住の彼なら、会いに行こうと思えばすぐにでも行ける距離です。でも、 たぶん彼は彼女に連絡はしないだろうと、私は思っています。彼としては彼女が 元気で幸せに暮らしていることさえ分れば、小学生の頃の事や十九歳の時の話を 蒸し返して彼女の平穏な日常生活を乱すことになるか もしれないようなことなど、きっとしたくないと思うと感じるからです。調査 することによって、彼とし ての心の整理はもう十分についたのです。
再会することだけが調査の目的ではない、そんな調査もあっていいと、私は思うのです。
<終>
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