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15歳の予感(2) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル:

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 退院してからもサチエは、しばしば「頭痛」や「腹痛」や、時には「風邪」になって病院に通うことになる。
 もちろんすべて十川に会うための口実だ。当の十川も、彼女が足しげく通ってくる本当の理由をうすうすは勘づいていたようだ。
 いつもサチエのカルテを一番最後に回し、話す時間をできるだけ長くとってくれた。ひと通りの症状を聞き終わると、今度は時間の許す限り、サチエの話を聞いてくれる。看護婦さんもわかっているのか、何も言わなかった。
 二月十四日のバレンタインデー、例のごとく「診察」という名目で病院に行ったサチエは、型通りの診察が終わってから、意を決してチョコレートを差し出した。
「これ、もらって下さい」
 看護婦さんの手前があったのだろうか。十川はさほど驚いた様子も見せず、平然と、
「ああ、ありがとう」
 と言いながらチョコレートを受け取り、そのまま机の引き出しにしまった。
 その後も十川の態度には取り立てて変わったところはなかった。サチエが病院に行けば彼女のカルテを最後に回し、そして少しのお喋りを楽しむ。それだけだった。少々肩すかしをくらった気分だったが、とりあえずチョコは渡したことで満足していた。
 ある日、いつものように彼女は十川の診察室を訪ねていた。診察のあと、彼は引き出しからクッキーを取り出してサチエに渡した。
「これ、この間のバレンタインデーのお礼」
 お返しなどまったく期待していなかったサチエにとって、それは思ってもみなかったプレゼントだった。うれしさのあまり黙りこんでいる彼女に、十川はいつもの笑顔を見せて言った。
「今度、一度どこかへ遊びに行こう」
 その日は三月十四日。ホワイトデーだった。
 約束をした土曜日は、どしやぶりだった。大粒の雨が激しく道路をたたきつけている。
 サチエは病院の窓からその風景を眺めながら、通路のベンチで十川の仕事が終わるのをじっと待っていた。十川はなかなか来ない。時計はもう二時を回っていた。
「やあ、ごめん、ごめん」
 十川が廊下を小走りにやってきた。
「さて、どこへ連れてってあげようか」
 サチエは黙っていた。十川先生と一緒ならどこでもよかった。
「夕食の時間までには送り届けないとだめだから、あまり時間がないねぇ。ちょっとその辺をドライブでもしようか。ちょっと玄関で待ってて。車を回してくるから」
 間もなく、白いカローラがゆっくりとサチエの前で止まった。掃除がいき届いた清潔な車内は、ドアを開けるとかすかなラベンダーの香りがした。
 ふたりはその時初めてゆっくり会話を楽しむことができた。
 入院当時のことや、同室だったおばさんたちの消息などを語り合い、笑った。診察室でのあわただしいお喋りとは比べものにならないくらい、楽しかった。
 激しい雨は窓の外の景色を曇らせ、ワイパーはひっきりなしにフロントガラスを往復していた。しかし、サチエにとっては外の景色などどうでもいいことだった。特に目的を決めないままに、ふたりを乗せた車は雨の中を走り続けていた。
 その夜から、サチエは車に置くクッションを二つ作り始めた。色は十川の好きな淡いパープルを選んだ。
 それ以来、十川はサチエに会うためにできる限り時間をさいてくれた。
 ”デート”といっても病院近くの喫茶店で待ち合わせ、しばらく話をするだけのもの。それも、もっぱらサチエが自分の悩みを一方的に十川に相談する、といったパターンがほとんどだった。
 通っている高校が希望したものではないことで、サチエは当時なかなか学校生活に馴染めないでいた。不満が知らず知らずのうちに態度に出ていたのかもしれない。言葉にならないもどかしさと焦燥感にかられ、悪循環で、ますます落ち込む日々が続いていたのだ。
 時には現実が思いどおりにならないいらだちを、そのまま十川にぶつけることもあった。
 しかし彼はそんな時でも、黙ってサチエの話を聞いてくれていた。
 いつも穏やかな表情を崩さず、時折、あいづちを打つ以外はほとんど喋らない。しかし、サチエが話したいだけ話し終えると、決まって最後には的確で誠実なアドバイスを返してくれた。
 どんなささいな相談ごとにでも、笑わずに聞いてくれる相手がいたことで、サチエはどんなに救われたかわからない。十川にはげまされ、喫茶店を出る時にはすっかり元気になっているのが常だった。
 時には唐突に鳴りだすポケベルの信号音に、
「悪い! 患者さんに何かあったらしい」
 はじかれたように病院に飛んで帰ってしまうこともたびたびだ。
 サチエはポケベルが鳴ると悲しくなった。
十六歳のサチエと二十九歳の十川先生。はたから見れば兄妹のような、まだまだかわいいデートだった。
「ごめん、ごめん、待たせて」
 病院の藤の花が美しい紫色になり、そろそろ季節は夏に向けて準備し始めていた。その日も、十川はいつもと同じセリフを言いながら喫茶店に現れた。
「ううん」
忙しい勤務の合間を抜けて出てきているのだ。自分のために時間をさいてくれる十川の気持ちが、うれしかった。
 いざ、勢い込んで話しだそうとしたサチエだったが、その日はふだん自分の話をほとんどしない十川から口火を切った。
「実は、転勤が決まったんだ」
「えっ・・・だって、こっちへ来られてまだ半年もたってないのに・・・」
 サチエの手が震えた。コーヒーカップがカタカタと音をたてる。
 十川は静かに話しだした。
 宇和島社会保険病院は新人医師の勤務希望者が多いところだ。半年勤務程度の十川でも、もう慣れただろうと、転勤の辞令が出るのは不思議ではない。次の勤務先はおそらく松山になるだろう。そして最後にポツリと、
「転勤したら、もう今までのように会って話せなくなるなぁ」
 とつぶやいた。
 サチエは頭の中が真っ白になってしまった。
 先生と離れてしまうなんてことは考えられない。退院の時とは違って、今度はまったく別の土地へ移ってしまうのだ。きっと〝淋しい″なんて生易しいものではなくなるだろう。
 ショックで黙りこくってしまったサチエに、十川は何も言わなかった。
 サチエは顔を上げて言っていた。
「行こうと思ったら会いにいける距離よ。ううん、私、会いにいく。先生は忙しいだろうから、私の方が松山に行く」
十川はいつもの穏やかな表情を浮かべて、そんなサチエを見ていた。
<続く>

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