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15歳の予感(5) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル:

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
人探しの調査報告書では十川は東京の病院に勤務しているということだった。
すぐに手紙を出すと、折り返し電話が入った。彼はサチエの電話番号を覚えていてくれたのだ。
壊かしい声だ。全然変わっていない。あの、人を包み込むような話し方もそのままだった。
「どうしてここがわかったの~」
声を聞いたとたん、この四年間の想いがせきを切ったようにあふれだしてきた。どんなに先生に会いたかったか、どうやって先生の居所を探しあてたか…。
十川はサチエが話し終わるのを待って、
「今ならもう話してもわかるだろうけど」
と前置きして、松山にいた当時の状況を話してくれた。
当時、十川は「医療」 に対する矛盾に悩んでいた。
松山の病院とは患者に対する接し方にも、医療自体に関する方針にも、まったく接点が見いだせないでいた。現場に身を置き、理想を貫こうとする十川と、まず利潤経営を考える病院側とでは、衝突することもたびたびだったらしい。
信頼してくれる患者には応えてやりたかったが、実際にどうすることもできない非力な自分に、医者としての限界を感じてもいた。
そんな行き詰まりを、若いサチエに話しても理解できるはずもない。
そんな時、東京の病院から転勤の話がきた。
東京でもう一度勉強してみるのもいいかもしれない。
決心して単身上京していった。
サチエには転勤前に電話を一本かけたきりだったが、そのうち落ち着いたら連絡しようと思っていた。
しかし東京と松山ではあまりにもテンポが違いすぎた。
慣れない環境で毎日の診察に追われ、自分への課題の追求にも必死で、どんどん連絡が遅れていく。そのうち時がたってしまった。
「もうあの子もお嫁にいっちゃっただろう」
だったらそっとしておくのがいい。そう思ったのだ。
十川が自分の感情をサチエに話してくれたのは、それが初めてだったかもしれない。
今までは彼女が一方的に自分のことを話すだけの関係だった。彼女は彼女なりに一生懸命だったが、十川が仕事で悩んでいることまでは見抜けなかった。あのころの自分は、やはりまだまだ子供だったのだ。
でも今は違う。大人の女性として、対等に自分を見ていてくれるのだ。
うれしかった。四年間もの間凍りきっていた心の中が、どんどん溶けていくのを感じていた。
十川はサチエに言った。
「いくら君が僕のことを探してくれているとわかっても、いい加減な気持ちでは電話はできないよ。
そんな気持ちで連絡すれば、相手に期待を持たせてしまうし、失礼だからね」
その言葉は、サチエの四年間の苦しみを消し去っていた。
調査を依頼して本当によかった。心からそう思った。
半年後、彼が学会で広島まで来るということを知った時、迷わず会いに行こうと決めた。
「ちっとも変わっていないから、すぐにわかったよ」
ふいに肩をたたかれ、驚いて振り向いたサチエに、十川はにっこり笑いながらそう言った。
女として少しは成長したつもりなのに。もう少し気のきいたことを言ってほしいなあ。
かわいくふくれっ面を作ってみせながらも、十川の全然変わっていない昔のままの笑顔を見ると、ほっとした。まず何を言うか、どんな顔をすればいいか、フェリーの上であれこれ考えていた計画も、すべてふっ飛んでいた。
予約していたホテルにチェックインし、レストランへ食事に出かけた。
ビルの最上階にあるそのレストランは、時間が早いせいもあってか、客はまばらだ。広島の市街地が見渡せる窓際の席に案内される。白いテーブルクロスに赤いバラが一輪。
再会を記念して、ワインで乾杯する。十川はサチエをあたたかく見つめながら言った。
「そこまで思ってくれていたなんて、とてもうれしかったよ」
口にしかけたフラチャコルタ・ロッソの渋く、甘酸っぱい香りがサチエの目にしみて、思わず涙がこみ上げてきた。
七月の遅い日没が始まり、先生のほっそりした顔と白いテーブルクロスが赤く染まっていくのを、サチエは濡れた瞳で見つめていた。
十川は今、再び松山の病院に戻ってきている。
医療方針を巡っての小さな衝突は相変わらず絶えないらしいが、それでも少しずつ状況はよくなってきているようだ。
二人のつきあいも変わらず続いている。
今年、サチエは三十歳、十川は四十二歳になる。
二人ともまだ独身だ。
なぜ結婚しないの~
他人は聞くだろう。しかしサチエ自身にも、それはうまく説明できないでいる。
十川のプロポーズを待っているというわけではない。
しかし今の正直な気持ちは、彼とのこの関係をずっと、できれば死ぬまで続けていきたいということだけなのだ。
待ち合わせに現れた十川の姿を遠くに認めながら、サチエは〝十五歳の予感″をもう一度心に思い浮かべていた。
この人は、私の人生にずっとかかわる大切な人…。
<終>

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