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星に願いを(3) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル:

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 昼間の暑さが嘘のように心地よい風が吹き渡る夏の夜、そしてさわやかな空気が辺り一面を覆い、心まで澄みきっていくような秋の夜……。
 そのころには信治の視力はかなり弱くなり、星の瞬きさえほとんど見えなくなっていた。しかし佳子は、
「今日はすごくたくさん星が出ていますよ」
 と教えてくれる。
 そんな時、信治は、航海の最中に見たインド洋の空を思い出す。北の水平線から南の水平線まで、星座の形すらわからないほどの星屑が、満天にちりばめられたあの空を。
 信治には、彼女に魅かれていく自分を押さえることができなかった。
 信治についに何も見えなくなる日がやってきた。
 冬を越え、桜も完全に散り去り、替わって病院の庭は咲き揃ったつつじで埋められていた。しかし、信治にはその花の美しさはもう二度と見ることはできない。
 完全な闇の中、何か置き忘れたような空白感と、もの悲しさはあったが、思っていたほどの動揺はなかった。
 これも佳子のおかげかもしれない。
 屋上で、もう日課となっているギターの練習をしながら、信治はさっきから同じことを考えていた。
 明日にはもうリハビリのために療養所に移ることになっている。その前に、佳子に自分の想いを告げてしまいたいという衝動、しかしそれを口に出してみたところで何になるというためらいの間で、信治は激しく葛藤していた。
彼女はすでに高看となり、将来の希望に燃えている。それにひきかえ自分は……。ふたりが一緒になって佳子が幸せになれるとはとても考えられなかった。
 自分の想いは決して口にすまい。
 そう決めた時、聞き慣れた足音が信治の耳に響いた。佳子だった。
「いよいよ、明日ですね」
「ええ、いろいろお世話になりました」
 信治はギターを弾く手を止めて、佳子の気配がする方に顔を向けて言った。
「いつまでも、他人行儀なのね」
「え…?」
 いつもとは違う佳子の口調に、その時は彼女が何を言おうとしているのかわからなかった。
「私は看護婦という立場以上のものを持って、木村さんに接してきたわ」
「……」
「私も療養所へついていくわ!」
 たまりかねたように彼女は叫んだ。
「え!?」
 思いもよらない佳子の言葉だった。
信治は何も言えずに黙り込んでしまった。しばらく沈黙が続いた。
「なぜ、そうしてくれって言ってくれないの?」
「…そんなことできる訳がない。君はここの看護婦で、僕は患者の一人にすぎないんだ。それに、僕と一緒にきたって、君が幸せになれるなんてとても考えられない。第一、僕の目は見えなくなってしまっている」
「何言ってるのよ! そんなこと全然関係ないわ。木村さんが私のことを思ってくれてたって前からわかってた。私もあなたが好き。それだけで十分じゃないの。私は、あなたに、一緒に行こうと言ってほしいのよ。…あなたも私の気持ちをわかっているはずよ」
「……」
 佳子がそこまで言ってくれるとは考えてもいなかった。
 うれしかった。涙が出るほどありがたかった。
 まだ見えていたころの佳子の優しく魅力的な笑顔が、信治の脳裏によみがえってきた。
 しかし、彼女のことを思えば思うほど、さっきと同じ考えが頭をよぎる。
 こんな自分では、彼女を幸せにできるはずがない。自分には自信がない。
「…よっちゃん、何か勘違いしてるみたいだな。申し訳ないけど、僕は君のこと、好きでも何でもないよ」
「まだそんなこと言ってるの?嘘は言わないで。それとも私が一緒だと負担なの?」
「負担になるとかならないとか、そういうことじゃなくて、君のことは本当に何とも思ってないから」
「もう、いい加減にして! つまらないことは考えないで、もっと自分の気持ちに素直になってほしいの。私、昨日一晩中考えて、自分の気持ちに正直になろうって決めたの。だから、あなたについていこうと思ったのよ。…あなたと一緒に生きていこうって。だから、あなたも私にはちゃんと本心を言って。お願い!」
 佳子は泣いているようだった。
「これが俺の本心だよ。君についてこられると、…迷惑なんだ。君は俺にとってただの看護婦だ。君となんか一緒に暮らす気はまったくないよ」
 信治はやっとの思いで絞り出すように言いきった。
「…ひどい人ね。私の気持ちなんかまるでわかってない。わからずや!」
 佳子は言うなり、駆けだした。サンダルの音が遠くに消えていく。
 今すぐ追いかけていきたい。でもできない。
 佳子のためを思えば、これがいちばんいいんだ。これでいいんだ。
信治は小さくなっていく彼女の足音に、心の中で手を合わせていた。
<続く>

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