このページの先頭です

愛と青春の旅立ち(1)

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
「あー蒸し暑いっ!うだってしまう!」
義雄は官報をほうり出して、事務室から飛び出た。
事務室にあるたった一台きりの扇風機は、カタカタと奇妙な音を立てながら、室内で働いている会計主任や数名の職員たちにわずかばかりの風を送っていた。その生ぬるい風さえも、廊下側の一番隅にある義雄の席までは、まるで届かなかった。
 空気までが沸騰しそうな七月の午後だった。
義雄は先ほどから官報に首っ引きで、一つ一つの項目を丹念に照らし合わせながら、申請書類に必要項目を記入していた。
「これは丸公(公定価格)で、これが丸停か。それから、これが丸許(要許可)で……。こんなものにまで許可申請して証紙を張らないといかんのか?」
彼の仕事は連日発行される官報の発令欄から該当品種を読み取って、申請書類に記入し様式を整えていくことである。ベテラン社員でさえ判断しかねるような内容を、ろくに商品知識のない義雄がこなさなければいけないのである。
 売場主任に聞き回り、ああでもない、こうでもないと話し合ったあげく、女子社員に在庫数量を尋ね回って、ようやく警察に出す申請書類の記入数を決定する………。
 また、その作業を繰り返さなければならないのかと思うと、義雄はうんざりした。
 池田市いちばんの繁華街にあるこの「玉屋百貨店」が、時局柄、「タマヤデパート」から名称を改めたのはつい一、二年前のことだ。
 親会社である繊維貿易商社から出向してきている原口重役店長は、連日のように各売場を回り違反の出ないように口をすっぱくして売り場主任たちにハッパをかけていた。
 義雄が、所属していた海軍軍需部から民間の繊維会社へ一般資格で就職せよとの指令を受けたのが、昭和十五年三月。「ノモンハン事件」の敗北真相探査のために行っていた満州国境から戻ってすぐのことだった。さらにそこから子会社である玉屋百貨店に出向し、これまでの任務とはまったく無縁な卸部商品整理の仕事をしているというわけである。
「諜報員」という義雄の任務の性格上、二足のわらじは毎度のことだ。覚悟の上とはいえ、何事につけても〝別格扱い″のこの仕事は、彼にとっては肩の荷の重いことばかりだった。
 廊下に出ると、かすかな風が隣の社員食堂から流れてきた。
 義雄は汗でべっとりと身体に張りついたワイシャツの襟を上下させ、やせた体躯に風を入れると、官報と統計用紙を持って社員食堂へ入った。
 窓から時折風が入ってくる食堂は、事務室よりまだしのぎやすい。
 ほっと息をついて五、六行書き終えたとき、奥の方でカタンという物音がした。見ると、大柄な女子社員がひとり、ハンカチの値札付けをしている。
 誰もいないと思っていたので、先客がいるのにちょっと驚いた。
「忙しそうね、いつも」
先に口を開いたのは、彼女の方だった。
「うん、わからないことばっかりで」
義雄は目の前の書類に戻りかけてふと気がつき、尋ねるふうでもなく言った。
「えーと、なんという名前だったかなあ」
玉屋百貨店へ来てすでに三ケ月にもなるが、売り場から離れた倉庫での商品整理の仕事が多いことと、あまりの忙しさのために、事務所詰めの職員以外、ほとんど名前を知らなかった。
壁にかけてある出勤名札で、彼女の名前を見当つけようと眺めていると、彼女が、
「コ、ウ、ダ」
 と小さな声でつぶやいた。
「ああ…‥、幸田史重さんか」
 義雄は改めて史重の顔を見た。
特に美人というほどでもないが、色白のふっくらした丸顔の中にある小さな口が聡明そうで少し鼻にかかった声に強い印象を受けた。
 史重は器用に手を動かし、ハンカチに釣針で値札をつけ続けている。
食堂の窓から風が入り、史重のつけている化粧品の香りがかすかに義雄の鼻をくすぐった。
 もう化粧をするような歳なのか。どう見ても十六、七歳にしか見えないのに。
そんなことを考えながら、仕事をしていると、ふいに史重が話しかけてきた。
「今度、猪名川のボートに乗りに行きません?」
 いつもよりずっと早めに仕事を切り上げたのだが、西の空は夕焼けの名残も消え、藍色に沈み始めていた。星がところどころで瞬いていた。
「ボートか、懐かしいなあ」
 猪名川に向かいながら、義雄は十五の年に入った江田島の海軍兵学校や、諜報員として種々の訓練を受けた横須賀でのカッター訓練を思い出していた。「かい立て!」の号令に力尽きて失敗し、オールと共に岸まで泳がされた、苦い経験……。
 しかし今、義雄は、久しぶりにゆったりとオールを漕いでみたかった。
「ボートに乗りませんか」と史重に言われ、義雄はとっさに、
「誰と?」
 と無粋な返事をしてしまった。史重は慌てたように、
「ユリさんも、由美さんも一緒に来るって言ってるの」
 と同僚の女子社員の名前を挙げたが、史重が言った中橋のボート乗り場に人の姿はなかった。
「何だ、嘘つかれたのか」
 橋を渡りかけた時、ちらりと人影が動いた。幸田史重だった。
辺りはもう人の目を気にせず歩けるくらいの暗さになっていたが表雄の顔を見ると史重は、
「誰かに会うといやだから」
と、ボートのことなど忘れているかのように先に立って歩き始めた。
義雄も一緒に肩を並べる。
「どうなった? みんな来ないのか?」
「初めてね。ふたりになったの」
「-ん?」
見当違いの史重の言葉に、何と言えばいいのかわからず、それきり黙り込んでしまった。
ふたりはしばらく黙って歩いた。
鶴ノ荘の神社の前を通ったのも、能勢電鉄の踏切を渡ったのも気づかなかった。花屋敷の坂道に来たとき、史重がやっと口を開いた。
「若松さんのこと、みんなが好きだって言ってるの聞いて、私、嫌な気持ちだったの」
誰が見たのか、喋ったのか、翌朝にはもうふたりの”逢引き”が百貨店中に知れ渡っていた。
義雄も史重も、あちこちでさんざんからかわれ、ひやかされた。話の種にされて、ふたりはその日まったく言葉が交わせずにいた。
 原口重役まで出てきて、
「幸田君、化粧品の 『キス・ミー』 は日本語で何と言うんか知ってるかね?」
 と冗談を言う。
「いえ、存じません……」
 史重がうつむいたまま、か細く答えると、
「自分の担当売場の商品は、よう覚えといてくれなあかんがな。そうや、若松君に聞いとくとええ。彼は外国語が堪能やからなぁ」
「はい……」
 消え入りそうな声で答えて事務室から飛び出してしまった。
 売場ですれ違いざま、義雄は素早く史重の袖口にメモを忍び込ませた。
「お互い、何もやましいことはない。噂など気にせずに」
 メモにはそう書いた。
 昭和十六年十二月八日、日米が開戦するや、「非常時」の掛け声はいやが上にも高まり、市民生活の物資不足は深刻さを増していった。
 道行く人々に千人針を頼む女性の姿が辻々で目につくようになり、百貨店の親会社が出征した社員に毎月発送している「慰問袋」も、急激にその数を増やしていった。
 周りの男子社員がどんどん招集されていく中で、義雄の忙しさも頂点を極めていた。
玉屋百貨店の仕入れ、売場双方の責任者のほか、義雄は当時N大学工学部の学生としての肩書きも持っていた。それは諜報員である彼の、もう一つの身分保証のカモフラージュだ。会社員としてのルーティンワークのほか、学生として数多くの試験をこなさなければいけない。もちろん本来の任務である情報部の暗号通信も機密裏に行っていた。
義雄自身、二十四時間をいかに使うかに腐心した。
原価帳に仕入れ、売上げ、原価を記入しつつ、回転率を頭で計算しながら、下に隠したメモに受信機の配線図記録を書き入れたり、変更を考える。暗号を頭の中で作成し、解読することのできる義雄にとってはお手のものだ。
 さらに屋上の避雷針にアンテナを取りつけ、送受信機を設置して、指示された時と場所にあらゆる情報を正確に打電していった。その内容は物資輸送や流通生産にかかわって不審な動きを見せる人物についてであったり、無線傍受と妨害探索や、その発見、監視についてであったりした。
 弱冠二十歳ながら、義雄のコードナンバー369は、「時間と規範を固く守り、正確な情報を伝える最年少の男」として僚友から絶大な信頼を得ていた。
 あれ以来、史重とは勤務の合間をぬってふたりきりで何回か会った。会うたびに機敏で繊細な心づかいと、聡明さを併せ持った史重にひかれていったが、海軍の任務のことはまったく話していなかった。たとえ妻となる人であっても、絶対に漏らすことのできない秘密だった。
<続く>

Please leave a comment.

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。

内容をご確認の上、送信してください。