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荒れた生活から立ち直り、離婚した家族に会いたい | 秘密のあっ子ちゃん(15)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
二年前の春の初めのある日、梅が咲き始めたちょうど今ごろの季節のこと、その日人探しの調査依頼にやって来られた人は五十才手前の男性でした。彼は、現在関西で小さな工務店を経営しています。  彼が探したいというのは、二十二年前に離婚した妻でした。
高校三年生の時に知り合った彼女と四年の交際後、「まだ若すぎる」という両親の大反対を押し切り、彼は二十二才の秋に結婚しました。一年後、長女が誕生し、そしてその二年後には次女が誕生しました。
彼は高校を卒業してすぐに小さな建設会社に就職しましたが、長女が生まれたころに、その会社は放漫経営のために倒産してしまったのです。
生計をたてるために、彼はすぐに別の建設会社に就職しました。しかし、新しい職場では人間関係がうまくいかず、半年も経たないうちに退めてしまいました。それからも建設関係の会社に職を求めるのですが、何故か長続きせず、職場を次々と変える状況が続きました。
次女が誕生するころには、彼はもう職探しもせず、毎日ブラブラし、そのうち暇をもて余したのか、競馬や競輪に通いつめるありさまとなりました。
高校を卒業してすぐに勤めた建設会社が倒産して失業してから、ミソが付いたのか、彼(現在48才)にはなかなか一つの職が定まりませんでした。職場内の人間関係がうまくいかなかったり、得意先と喧嘩したりと、すぐに辞めてきてはブラブラする日が続きました。そのうち暇をもて余したのか、パチンコや競輪、競馬に通い続けるありさまでした。
当然、家計はみるみるうちに火の車となり、生まれたばかりの次女のミルク代にも事欠くようになっていきました。あれだけ愛し合い、「まだ若すぎると」いう親の大反対を押し切って結ばれた妻とも毎日口論が絶えません。
「今から考えると何をしていたのかと思います。些細なことですぐにケツを割って、妻も子もあるというのに、本当に甘いガキでした。妻が怒るのも当たり前です」彼はそう述壊しています。
そんな生活に耐えかねて、彼女はついに離婚届を彼に突きつけました。生活の荒れ方と同様、心も荒れ、妻子の存在までもが負担になっていた彼はあっさり離婚に同意したのでした。長女が三才、次女が一才の時のことです。
大恋愛の末に結ばれた二人でしたが、彼(48才)の職が定まらないために結婚生活は僅か四年で終止符を打たざるを得ませんでした。
その後も彼の荒れた生活は続きました。定まった職にも就かず、博奕にうつつを抜かし、ろくな物も食べず、酒ばかり呷る生活でした。身も心もすさんでいました。そうした彼の状況を知った両親と兄はひどく怒り、それでも行状を改めない彼を見放していました。 離婚後三年程して、彼はついに胃と肝臓を壊して長期の入院が必要となってしまいました。半年の入院生活の中で、彼はつくづくこれまでの自分の生活を反省せざるを得ませんでした。 やっと身体も回復し、退院した彼は、生まれ変わったように働き始めました。怒りながらも入院費を立て替えてくれた兄への返済のためにも、博奕の誘惑に惑わされないためにも、彼は飯場で寝泊りし、身を粉にして働き始めたのです。
妻子達は離婚後実家に戻ったことは知っていましたが、その後彼女の実家自身が引っ越ししたのか、連絡が取れませんでした。彼は妻子達がどうしたのかを全く知らないまま、二十六年の歳月を過ごしていました。
半年の入院生活を終えると、彼(48才)は生まれ変わったように働き始めました。飯場を振り出しに全国いたる場所の建設現場で、身を粉にして無我夢中で働きました。これまでのすさんだ生活と決別するためにはそれしかないと思い決め、歯を食いしばってがんばったのです。
三年程して彼はその真面目な働きぶりを請われて、小さな工務店へ入りました。そこで長年勤め上げ、番頭として店を任されるようになりました。そして離婚して二十六年経った今では、自分で工務店を経営できる身となったのです。
その間、彼は妻子達がどんな生活をしているのか、どこで暮らしているのか、全く知らないでいました。離婚前に知っていた妻の実家はどこかへ引っ越していて、娘達の成長の様子を聞こうにも連絡の取りようがありませんでした。彼としても離婚の原因が自分の行状にあったことを重々承知していましたので、敢えて連絡をするのも憚かわれ、結局そのまま二十六年の歳月が経ってしまったのでした。
それが、つい最近、兄から「実は、二年前に俺とこへ連絡が入っていた」と打ち明られたのです。
妻は下の娘が結婚するのを機に、その報告と近況を知らせてきたのでした。離婚後転々と住居を変えていた彼に彼女側からも連絡を取りようもなく、やむなく兄へ連絡を寄こしたのでした。彼女は同時に娘の花嫁姿の写真を送ってきていました。兄はそのことを二年も話さずにいたのです。  お兄さんとすれば、必死の思いで立ち直り、再婚もして一男一女の父親となり、今や小さいながらも「社長」と呼ばれるまでになった弟可愛さからのことでした。彼に今さらあの荒んだ昔を思い出させるようなことはしたくなかったのでした。ですから、彼女には何の落ち度はないことはよく分っていましたが、弟と直接話させたくありませんでした。 彼女は兄の冷たい対応にそうしたことを察してか、自分の居所も連絡先も言わなかったと言います。ただ「娘が結婚したということを伝えてもらえば結構です」それだけ言って、電話を切ったのでした。
彼は驚きました。兄が二年間もそのことを伏せていたこともそうですが、離婚したとはいえ二十四年も放ったらかしにしていた自分に、妻の方から娘の結婚の報告を入れてきてくれたことに、今さらながら有難く、また申し訳ない思いで一杯となったのでした。
「あれだけ苦労をかけたのに、ちゃんと娘の結婚を知らせてくれたアイツに感謝しています。娘達にも父親らしいことを何もしてやらず、本当に悪いことをしました。佐藤さんから見れば何を今さらと思われるかもしれません。それに、探してもらっても会いに行く勇気が出るかどうか分りませんが、どこでどんな生活をしているのか、この二年間、そのことだけが気になって…」彼は、そう私に言いました。
こうして、私達は彼の前妻と娘さん達の所在の調査を開始したのでした。
彼(48才)の前妻(48才)と二人の娘さんの所在は、早い時期に判明してきました。当然と言えば当然なのですが、依頼人が、妻であった彼女のことについて探す手がかりとなる材料をたくさん知っていたからでした。
彼女は彼と離婚して五年程後に再婚していました。そのご主人も三年前に失くされ、現在はご主人の地元で一人、小料理屋を経営されていました。下の娘さんは、彼女の連絡どおり二年前にサラリーマンと結婚して、今や一児のママとなっています。上の娘さんは独身で、旅行会社の主任として仕事にがんばっていました。
彼は私達が作成した報告書を黙って受け取って帰っていきました。私も彼に今後どうしようと考えているのかなどということは聞きませんでした。そうしたことを気安く聞くことがあまりにも興味本位のような気がして憚かられたのです。

それから、依頼人から当社への連絡は入っていません。私は彼が前妻と娘達に再会したのか気になっていますが、今もこちらからの連絡は控かえています。彼の方からの連絡を待っているのです。いつか、いい報告をくれることを期待しながら…。
<終>

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