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療養所で励ましてくれた看護師さん(3)| 秘密のあっ子ちゃん(260)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 その後彼女がどうしたのかふと気になり、軽い気持ちで、彼は彼女の親友だった看護婦をあの診療所に訪ねました。その看護婦とは彼が療養中に顔馴染みになっていて、退院してからも
彼女が彼と付き合っていることを重々承知していました。
しかし、彼女の友人は無情のまま、「あなたのことは記憶にありません」と冷たく答えて奥へ引っ込んでしまったのです。
受付で呆然と立ち尽くす彼は、五年も経って初めて事の重大さに気がつきました。自分の無責任さと卑怯だった態度、そして彼女の怒りの激しさが身に染みて知ったのです。
それから三十年以上が経過しました。彼女の面影は、時折彼の脳裏によぎりました。年月が経るにつれて、彼女に詫びたいという想いは増々強くなっていったのです。
そうして、彼は長い長い手紙を当社に送ってきたのでした。
私は彼の手紙を読みながら、彼の身勝手さにあまりいい気分がしませんでした。しかし、それでも彼は自分の取った行動を包み隠さず手紙に記し、自分の非を率直に認めて彼女に許しを乞いたいと言っていました。その点に多少なりと救われた想いで、私は彼女の調査に取りかかったのでした。

調査の結果、彼女は北陸へ嫁ぎ、男子三人の母親となって幸せに暮らしていました。九州の実家の兄嫁さんのお話では、孫も昨年四人に増え、ご主人も健在で、元気に過ごしているということでした。
「家業の方が忙しいのか、お義母さんが亡くなってからはあまりこちらへは帰って来られないんですよ」
そう言いながら、快く住所と電話番号を教えてくれました。
これで依頼人も彼女に連絡を取り、念願だったお詫びも言うことができて、さぞかし胸のつかえが下りるだろうと、すぐに報告書を作成したのでした。
ところが三日程経った頃、依頼人から「これだったら報告書になってない」という電話が入りました。日く、主人の住所や息子達の住所などが報告書に記載されていないと言うのです。
私は、「この調査は所在調査ですので、あくまでも思い出の人、気がかりな人の住所や連絡先をお調べするものなんです。今、おっしゃった内容の調査はまた全く別の調査になります」と説明しました。
それでも彼は不満気に電話を切ったのでした。
私は一挙に嫌な気分に襲われてしまいました。
その後、彼が彼女に連絡を取って謝ったのかどうかは知りません。人それぞれとはよく言いますが、この依頼人は結局はあまり関知したくない部類の人でした。

<終>

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