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冤罪を晴らしたい(1) | 秘密のあっ子ちゃん(126)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 この仕事をしていると、時には私達が思ってもみなかったような依頼が入ってきます。
 例えば、あるヘッドハンティングの会社からは「クライアントの要望として、これこれの能力を持った人物が欲しいと言われているのだが、どの人がその資格を持った人なのか特定しようがないため接触すらできない。こういった能力を持った人の氏名や住所、年令、出身学校、現在の役職と年収を割り出してほしい」などという依頼が入ってきたりします。
あるいは、ある女性からは「交通事故を起こしてしまったが、示談の話合いの中で恐喝めいたことを言われた。言葉使いもそれっぽいので、先方が暴力団かどうか調べてほしい」という依頼もありました。
 また、こんなケースもありました。「いたずら電話がひどく、営業妨害になっている。だいたい誰がしているのかはおおよその見当がついているが、その人物だという確固たる証拠を掴んでほしい」
 世の中には本当にいろいろな依頼があるもんだと我ながら驚く始末です。
 でも、今までに私が一番驚いた依頼は今お話したようなことではありません。今回はその「私が一番驚いた」依頼のお話をしましょう。
 その依頼人は「知人の紹介で」ということでやって来られました。
 彼は三十才前後の、頭を板前風に角刈りにした体格の良い青年でした。物の言い方も礼儀正しく、かなり厳しい縦社会で過ごしてきたのが容易に想像できました。 彼は「後見人」という叔父さんと一緒にやってきていました。その叔父さんの方はというと、今時珍しいパンチパーマ風で、生粋の河内弁の上に、着ているシャツのデザインや指にはめた太い金の指輪など、どこか堅気ではないような印象を与えました。
 私に話すのは、もっぱらこの叔父さんでした。
 「いやぁ、どうもこうもひどい話ですわ。先生、何とかコイツのために力になって下さいな」
 彼はそう切り出しました。 「実は、コイツは冤罪の罪で、もうすぐ入らなあきませんねん」 
 「えっ?冤罪?!」
私は驚きました。
「で、何の罪ですか?」 「『傷害』ですねんけどネ。コイツはやっとりませんのや」
 「ちょっと、待って下さい。最初から説明してもらえませんか?」
私は「冤罪」の罪に問われた人が今、自分の目の前にいると聞かされ、ただただびっくりしていました。
 依頼人の叔父さんの説明によると、事件は十年程前のことでした。ある夜、依頼人が親しかった女性が口論の末、刃物で傷つけられたのでした。当時、彼女は依頼人の心変わりを恨んでいました。
 当初、彼女の「狂言」ではという風評もありましたが、傷の具合などからそれはあり得ないことが分ってきました。
 彼女と依頼人が最近もめていたこと、それに事件当時、彼女のマンション前に彼の車とよく似た車が駐車されていたという目撃証言が出てくると、疑いは一挙に彼にかかってきました。 しかも、彼にはアリバイを立証する手だてが全くなかったのです。
 彼は一人住いでした。当日、彼は前日からの深夜勤務で疲れ果て、早々に帰宅して眠り込んでいました。彼が帰宅した姿を近隣の人は誰も見ていませんでした。夜に一度だけ電話がかかってきましたが、起きるのも面倒で、それにも出ませんでした。
 依頼人はいつも自分の車をマンション近くの路上に駐車していました。今程「駐車禁止」をやかましく言わない時代です。しかも、彼のマンション近くにはまだまだ空地や畑がたくさんありました。
 その日、深夜勤務が明けて帰ってきた彼は、いつも自分が占有している場所に車を駐車しようとしました。しかし、時間が早かったせいか、そこには別の車が駐車されていました。やむなく、彼は少し離れた場所に車を止めたのです。
 それが彼にとっては三つ目の不運でした。彼を知る近所の人は、事件当日、彼の車が戻ってきていることを全く知りませんたでした。 こうして、不運がいくつも重なり、彼はアリバイを立証することが困難となっていきました。逮捕された後、いくら彼が「当日は自宅で眠り込んでいた」と主張しても、それはなかなか聞き入れてもらえなかったのです。
 そして、何よりも決定的だったのは、傷つけられた女性の証言でした。あろうことか、彼女は「犯人は彼である」とはっきりと供述調書に述べているのです。 「何故、そんな嘘を言うのか」と、彼は彼女に問い正したかったのですが、容疑者である彼が被害者の彼女に会わせてもらえるはずもありませんでした。
 依頼人は冤罪を主張しましたが、それは結局聞き入れられず、一審の裁判が始められました。 裁判でも彼女ははっきりと「犯人は彼である」と証言しました。
 「もう、腹の中が煮えくり返って…」
 その時の心境を彼はそう語りました。
 「彼女は自分を刺した犯人の顔を間違いなく見ているはずでしょうに、何故、あなたが犯人だと証言したんでしょうねぇ?」
 話を聞きながら、ずっと疑問に感じていたことを私は尋ねました。
 「あれから一度も会ってませんので、直接本人に確かめた訳ではありませんが」彼はこう断ってから続けました。「金にしようと思ったんだと思います。彼女はブティックをしたいと言うので、その金の一部を僕が出してやるという約束をしていました。当時、僕が他の女に目がいったのは確かですが、実はその前にアイツが別の男を作っていたんです。アイツはそれを誤魔化せると思っていたんでしょうが、僕に問い詰められて慌てていました。その男とも金のことで揉めていたようです」
 私は何となく彼女のイメージが涌いてきました。 
 依頼人の冤罪の主張は聞き入れられず、始められた一審の裁判でも彼女は「自分を刺したのは彼である」と証言しました。 「そりゃ、すごい演技力でっせ。証言台では泣き崩れるし、法廷を出る時には倒れるしで…」
彼の「後見役」の叔父さんがそうつけ加えました。 「彼女はそんな嘘を堂々と演技できるような人なのですか?」
「ええ、そういうことは平気だと思います」今度は彼が答えました。
「へえ。で、彼女は何をしていた人なんですか?」 「モデルをやってたんですけど、モデルと言ってもよっぽど有名にならないと食えませんからねぇ。夜はクラブに勤めてました。今は東京に行って、AVかなんかに出てるらしいですけど…」
すると、彼に替わって叔父さんがこんな話を始めました。
「コイツが疑われたのにはワシの責任もあるんですわ。実は、ワシは昔はそこそこの組長でしてね、いや、今は歴とした堅気でっせ。けど、一時コイツにも組を手伝わしてまして、地元の警察には目を付けられてましたんですわ。警察に偏見はないと言っても、アイツの甥ではということもあったんやろと思てます」
「昔は組長だった」という叔父さんの話を聞いて、私は「どうりでこの叔父さんはどう見ても堅気に見えなかったんだな」と、変な所で納得してしまいました。 叔父さんは説明を続けます。
一審は彼に有罪判決が下されました。この頃から、マスコミも彼の事件を取り上げ始めたと言います。
彼は一審の判決が出るとすぐに控訴しました。二審では、彼が無罪を勝ち取りました。しかし、検察側が上告しました。事件は最高裁の判断に委ねられたのでした。
最高裁の裁判中、弁護士もマスコミも彼に「無罪は間違いなし」と彼に語っていました。彼もそれを聞いて安心していました。しかし、結果は逆転敗訴で、彼に懲役二年の刑が言い渡されたのでした。その判決が出たのはつい二カ月程前のことだと言います。
「えっ?!では、収監されるのはいつですか?」
 私は驚いて尋ねました。 「今月末です」彼は淡々とした表情で答えました。 「まぁ!それではあまり時間がありませんねぇ」 「ええ、そうなんです」彼はそう言いながら、自分の心境を語り始めたのでした。
「収監は今月末ですから、僕が動ける時間はあまりありません。一時はもういいかとも思いました。懲役二年と言っても未決拘留の分もありますから、ちょっと辛抱すればすぐに出てこられる訳ですから…。でも、やっぱりこのままではやってもいないことがやったということになりますし、何と言っても、『アイツは痴話喧嘩の末、女を刺した』などとずっと思われるのはがまんできません」
 依頼人は自分の心境をそう語りました。硬派らしい彼の意見だと私は思いました。彼は罪に問われて刑務所に入るのが嫌だというよりも、名誉を回復したがっていたのです。 「それで、お願いというのはですね、」叔父さんの方が続けました。
 「真犯人がどこにいるかを探してほしいのでわ。この事件をやったのは誰かはだいたい分ってるんです。ところが、ソイツが今どこにいるのかが皆目分りませんねん。あの事件以来、姿を消しているですわ」
 「えっ!?真犯人が分っているんですか?」
 私は三たび驚きました。本当によく驚かされる依頼でした。
 「ええ、だいたいの察しはついています。当時、被害者の女とつきあっていた男です。ソイツも僕の男と似た白い車に乗っていましたし、後で女の連れから聞いた話では揉めていたらしいですしネ。体格も僕と似ていますし、髪の毛もこんな風に角刈りにしていました」
 「ソイツはつまらんチンピラですねん」叔父さんがまた口を挟んできました。 「その人のことはよくご存知なのですか?」再び私は尋ねました。
 「よくご存知という訳ちゃいまぅけど、地元でチンピラしてたら、ワシの耳にすぐに入りまっさかいな」 「ええ。でも、さっきのお話だけでは、その人が真犯人だということは立証しにくいと思いますが…。それに、警察ではその人のことを疑わなかったんでしょうか?」私は湧いてくる疑問について、そう言いました。 「警察も一時はソイツも可能性があると思ったようですが、何しろ、被害者本人がそれを否定し、僕だと断定していますから、疑いは消えたようです」
 今度は依頼人が答えました。
 「さき程の話だけでは、その人が真犯人であるということは立証できないのではないか」という私の質問には、依頼人の叔父さんが答えました。
 「マ、勘ちゅうモンがありますので、ワシラはソイツに間違いないと思っとりますが、今さら立証するつもりはありません。どっちみち、コイツはもうすぐ収監されるのでっさかい。実は、もう時効が成立しとるんです。ですから、ソイツはもう罪に問われませんのや。ですから、見つけ出せたら、その辺の訳をようよう話して、名乗り出てもろて、何とかコイツの名誉だけは回復させてやりたいんですわ。別に倍償やらどうのこうのと言う気はありまへん。却って、ちゃんと名乗り出てくれたら、面倒見たってもええとさえ思ってます」
 「なるほど、そういうことか」と、私はやっとその日、二人がやってきた依頼の意図が分りました。
 「先生」叔父さんが私にそう呼びかけて言いました。 「何とか力になって下さいな。うまいこといったら、お礼はちゃんとさしてもらいますさかい。放ってはおきまへんがな」
 「先生と呼ばれる程…」という言葉が頭に浮かびながら、私は「料金は正規の分で結構です」と答えていました。却って、「こんなことを言う人程、金払いが悪いや」と思ってもいました。
 私は、「後見役」というこの叔父さんのタイプはあまり好きではありませんでしたが、依頼人の無念の想いがよく理解できましたので、この依頼は受けようと思ってました。見るからに律義で、筋を通さなければ気が済まないような彼の性格からして、やってもいないことをやったとされるのは耐えられないであろうことは容易に想像できました。
 それでも、どうしても消えない疑問が一つあり、私はそれを尋ねてみました。 「その居所を調べてほしいという人が真犯人ではないかと思っておられたのでしたら、何故今までその人のことを放ったらかしにしていたのですか?」
 「ええ。そう思われるのはよく分ります。弁護士やマスコミも皆、『無罪間違いなし』と言ってくれていましたので、僕も絶対無罪判決が下ると信じていたんです。僕としては自分の冤罪が晴れればそれでいい訳で、無罪なら何もソイツを探す必要はないと思っていたんです」
彼の答えに私は「なるほど」と納得しました。
 弁護士やマスコミが「これは冤罪だ」と確信したように、私の心象も彼は「白」でした。その根拠の観点は弁護士達と少し異なっていましたが…。
 弁護士やマスコミが依頼人を冤罪だと信じた観点とは少し違いましたが、私も彼を「白」だと思いました。

<続>

単なる娘の家出ではなく・・・(5) | 秘密のあっ子ちゃん(123)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 「彼女の叔父さんとなると、周りに漏れる危険性はございませんか?」
 この間の彼女(35歳)の動きに内通者の存在を確信していた私は、今回、同行する人が身内の人だと聞いて、そう尋ねました。
 「いや、それは大丈夫です。弟も仲人をしたことから、責任を感じて、今回のことは親身になって心配してくれてます。弟がアイツに情報を漏らすということはあり得ません」
 依頼人(62歳)はきっぱりと言いました。
 「それでは、今回の動きは叔父さん以外、誰にもお話しにならないで下さい」 依頼人も今回が最後のチャンスになるであろうことは理解していましたので、私のこの申し出は必ず守ると約束してくれたのでした。 翌日、私は再び北九州市へ向かいました。夕刻、例の部屋を見に行くと、まだ明かりは点いていませんでした。
 「あそこのお家の方はいつも何時ごろお帰りですか?」
 私は近くの八百屋さんに尋ねました。
 すると、こんな答えが返ってきました。
 「ああ、あそこの人は二日前に引っ越されましたよ」 私は「しまった!」と思いました。またしても逃げられたのです。
 「どちらの方へ行かれたかはご存知ないですか?」 それでも、藁をもすがる思いで、私はそう尋ねました。すると、こんな返事が返ってきたのです。
 「すぐそばらしいですよ。何でも、今までの所は狭くて汚いからと言っておられました。ここの道を真っすぐ行って、二つ目の角を曲がった辺りらしいですけど……。毎日、だいたい今ごろの時間にウチに買いに見えられますけど、今日はまだ来られてませんねぇ。来られたら、何か伝えておきましょうか?」
 重要な情報を教えてくれた奥さんの親切は有り難いものでしたが、彼女自身に何か悟られるようなこと言ってもらうのは困りました。 「いえ、いえ。今から行ってみますので、それには及びません」
 そう言って、私は教えられた道を歩き始めました。 ところがなんと、五十メートル程行くと、前から当の彼女がこちらへ向かって歩いてきているではありませんか!
 私はこの依頼を受けてから半年以上も、彼女の写真を見続けていましたから、遠目でもすぐに彼女だということは分かりました。
 その日は小雨が降っており、私は傘をさしていました。彼女の姿を見つけると、思わず「ウッ!」と思って、私は傘で自分の顔を隠しました。しかし、よく考えると、私は彼女のことをよく知っていても、彼女自身は私のことをまるで知らない訳で、隠れる必要はなかったのです。
 彼女は私とすれ違うと、そのまま八百屋に入りました。奥さんが私が彼女のことを今しがた尋ねて来たと言いはしないかと気になりましたが、彼女はすぐに店から出てきて、そんな話をしている様子はありませんでした。
 私は再び彼女が通り過ぎるまで物陰に隠れていました。そうして、追尾が気づかれない距離になるまで待って、尾行を始めました。
 彼女は八百屋の奥さんが教えてくれた角を曲がると、五、六軒目の家に入っていきました。
 彼女が家に入ったのを確認すると、私はその家をもっとよく見ようと近づいていきました。ところが、ちょうど私が家の前に来た時、突然、また彼女が家から出てきました。その時、私達は目が合ってしまったのです。
 私はまずいなと思いました。先程すれ違った時は何ら問題がない訳ですが、同じ人間が時間をおいてまた現れたならば、警戒心が強い人物なら何かを感じるはずです。
 それでも、私は素知らぬ顔をして通り過ぎ、かなり離れてから、大阪で待機している依頼人に電話を入れました。間違いなく彼女のいる所が確定できたことを伝えたのです。そして、こう付け加えました。
 「彼女は私を二度も見ていますので、勘が良ければ、今夜に動く可能性があります。私なら夜中に逃げますねぇ」
 依頼人は「それならそれで仕方がない。とりあえず、明日の朝一番の飛行機で、弟と共にそちらに向かう」と答えたのでした。
 その夜、私は彼女の動きが気になりましたが、夜中に交替もなく、一人で張り続けるのは却って不審人物と間違われる可能性が高いので、いたしかたなくホテルに戻ったのでした。
 そして翌日、朝一番に彼女の部屋の様子を見に行ったのでした。
 そこで、私はひと安心しました。というのも、外から見る限りでは、部屋は荷物を運び出した気配がなく、前日とは何ら変わりなかったからです。
 私はその足で福岡空港に向かい、依頼人と仲人をしたという彼女の叔父さんを出迎えました。 二人に状況を説明し、夕方、私達は再び彼女の部屋に出向きました。そして、彼女が帰ってくるのを待ったのでした。
 ところが、いくら待っても彼女は帰ってきません。昨日、私が彼女を見かけた時刻はとっくに過ぎ、もう午後の八時近くになっていました。依頼人は、彼女を捕まえたら、すぐにその足で新幹線に乗り、今日中に大阪へ連れて帰りたいと言っていました。しかし、これではもはや新幹線に乗ることはできませんでした。
 私達はじりじりとして、彼女が現れるのを待っていました。すると、八時半が過ぎた頃、車に乗って彼女が帰ってきたのでした。運転していたのは彼女自身で、一人でした。
 彼女は運転席から降りると、車のエンジンをかけたまま、家の中に入っていきました。
 私は彼女が父親の姿を見つけて慌てて車で逃げると困ると思い、とっさに駆け寄り、車からキーを抜き取りました。依頼人と叔父さんは私が叫んだ「帰ってきた!」という声で、私の後ろから家の方へ向かって走ってきています。ところが、依頼人は少し足が悪くて、すぐには車のところにはたどり着けませんでした。
 私が車のキーを抜いた途端、彼女が家から出てきました。そして、キーを取っている私を見て、車泥棒とでも思ったのでしょう。
 「いや、あんた! 何してんの!」
 そう言って、彼女は私に詰め寄ってきました。私は依頼人に「早く!」と呼ぶこともできません。彼女が気づいて逃げ出しては、走って追いかけて捕まえるのも、また大変だからです。
 彼女がまさに私の胸ぐらを掴まんとした時、依頼人と叔父さんが車の所にやっとやって来ました。彼女は私が抜き取ったキーに気を取られて、二人が後ろに来たことさえもまだ気づいていませんでした。
「お前は、なんてことしたんや!」
 前日から降っていた小雨のために持っていた傘で、突然、依頼人が彼女を殴り始めたのでした。
これまで捕まえられそうになっては逃げられ、ほぼ一年近くもかかった捜索への心労と彼女への心配が高じてか、依頼人は持っていた傘で彼女を殴り続けていました。
 「お父さん! まあ、まあ・・・」
 私は二人に割って入り、依頼人を押し止めました。 「もう、その辺でいいでしょう。とにかく、話をされないことには埒があきません」
 すると、彼女がこう言い出しました。
 「お父ちゃんが怒るのは分かる。私もいずれきっちりと話しせなあかんと思っていたから。でも、この車、人の物やから、返しにいかんとあかんから……」
 私は彼女を一人で行かせてはまずいと思い、「じゃあ、お父さんも叔父さんも乗って下さい」と促し、彼女にキーを渡して車に乗り込みました。
 着いたのは十分程行った所の寿司屋でした。そこには、駆け落ち相手の男性と友人らしき人が数人がいました。
 依頼人は男性を見るなり、「お前のお陰で!」と叫びながら、またもや持っていた傘で彼を殴り始めました。
 男性は何の抵抗もせず、依頼人に殴られ続けていました。
 それを見た寿司屋の大将は「警察を呼べ!」と騒ぎ始めました。しかし、「これは身内の話や!」と私が一喝すると、彼は黙ってくれたのでした。
 私は再び「話し合わないと殴っていても仕方がない」と依頼人を促し、依頼人や彼女達を二人の家へ戻しました。
 何時間も話し合ってもらった結果、とりあえず彼女は大阪へ戻ることになりました。ご主人とも今後のことをきっちり話をしなければならないし、ローンが残っている家の名義変更についても彼女の印鑑が必要だったからです。
 彼女はその話が決着すれば、すぐに北九州に残る彼の元へ戻るつもりでした。しかし、依頼人は彼女を一旦大阪へ連れ戻したならば、二度と外へ出さないつもりであるのは私の目からも明らかでした。彼の方と言えば、終始黙ったままでした。 依頼人は翌朝の新幹線を待ち切れず、このままタクシーで大阪へ帰ると言い出しました。私も翌朝まで待っていて彼女の気持ちが変わっても困ると考え、すぐにタクシーを呼んだのでした。 こうして、彼女はほぼ一年ぶりに大阪へ戻ることになりました。
 ほぼ1年がかりの捜索で、やっと彼女を見つけることができ、北九州から大阪までタクシーで帰ってきた私達。依頼人から電話が入ってきたのは、その二日後でした。
 「いやぁ、佐藤さんには本当にお世話をかけました。娘とは今、婿も混じえてボツボツ話し合いをしています」。そして、こう付け加えました。「お恥ずかしい限りですが、佐藤さんが言ってはったように、内通していたのは家内やったんですわ」
 そんな風に報告してくれたのでした。
 一件落着でホッとしたものの、私は彼女とご主人、そして駆け落ち相手の男性の奥さんの、それぞれの人生を想わずにはいられませんでした。

<終>

単なる娘の家出ではなく・・・(4) | 秘密のあっ子ちゃん(122)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 私と依頼人(62歳)は彼女(35歳)からの電話を待っていましたが、最初の無言電話が入った後は何の反応もありませんでした。 しびれを切らせた依頼人は、今度はこんなことを言ってきました。
 「もう一度、尋ね人広告を出そうと思うんですけど、どうでっしゃろ? 今度は『情報をくれた人には報奨金を出す』とも書こうと思うんですけど……」
 「そうですねぇ……。ダメだとは申しませんが、『報奨金を出す』と書けば、かなりガセネタも多いと思いますよ」
 私は答えました。しかし、この時点では他に有効な手段がなく、依頼人のこの案を私は全面的に否定することもできませんでした。
 結局、私達は依頼人の要望通り、「情報提供者には報奨金を出す」と付け加えて、再度、九州の新聞に尋ね人広告を出す手配をしたのでした。
 広告が掲載された直後から、依頼人宅へ電話が入り始めました。しかし、多くはあいまいな内容のもので、私達が動くには至らない情報ばかりでした。
 依頼人はすぐにでも九州に出向きたいと言っていましたが、私はそれを押し止どめました。親として藁をもすがる想いで、どんな些細な情報でも受けていた依頼人のはやる気持ちは十分理解できますが、そんな情報だけで動いていたのでは、振り回されるだけの徒労に終わるのが目に見えていたからです。
 ところが、何本目かの電話が入った時、依頼人は「今度は是非とも確認に行く」と言い出しました。
 「電話をくれた人の話によると、柳川のパチンコ店で見たと言うんです。今も働いているらしいですわ。新聞に載っていた写真の女性に間違いないと断言してはります!」
 依頼人は勢い込んでそう言いました。
 そもそも、パチンコ店は「家出人」については慣れており、捜索には協力的で、私達は既に九州全域の遊戯組合に尋ね人の手配を済ませていました。ですから仮に彼女が勤めだせば、必ず連絡をもらえることになっていたのです。
 にもかかわらず、今回、依頼人宅へ入った情報は「それらしい人が柳川のパチンコ店にいる」というものでした。
 “それらしい人”というのは五万といるものです。私の長年の勘では、この情報も「本人ではなく、人違い」というものでした。
 しかし、今回、依頼人は「どうしても柳川へ行く」と言って引き下がりません。親として居ても立ってもいられない依頼人の気持ちは、私も十分理解できますので、とりあえずスタッフが同行して柳川へ行くことにしました。
 結果は「案の定」と言うか、やはり人違いでした。 「いやぁ、はやる気持ちを押さえて、パチンコ屋に入り、一瞬見ただけで人違いやというのが分かりましたわ」
 依頼人自身も苦笑しながら、私にそう報告しました。
 その後、情報は引き続き入ってきました。依頼人とスタッフは更にもう一度だけ九州に出向きましたが、それも人違いという結果に終わりました。
 そして、そのうち、依頼人宅へ入ってくる情報も少なくなっていったのでした。
 新聞の尋ね人広告からの情報も次第に少なくなってきたある日、思わぬ情報が入ってきました。
 それは、彼女の同僚であり、駆け落ち相手の男性の友人であった人物からのもので、二人が行方不明になってから初めて、彼女からの葉書が届いたというものでした。
二人の居所は全く知らないと言い張っていたこの友人に対して、依頼人は以前、「後で蓋を開けてみて、あんたが知っていたと分かったら、承知せんからな!」と声を荒げて言ったものです。彼はそれが余程応えたらしく、早速、依頼人と私達にこの情報を連絡してきたのでした。
 その葉書にはこう書かれていたと言います。
 「いろいろご迷惑をかけていると思います。申し訳ございません。私達は元気にやっています。いずれはきっちりしないといけないと思っておりますが、もうしばらくはそっとしておいて下さい。また改めてご連絡させていただきます」
それだけしか書かれていませんでした。送り先の住所は一切記載されていず、彼女は本来の苗字ではなく、駆け落ち相手の男性の姓を使っているということでした。
 「消印はどこになっていますか?」
私は友人に確認しました。 「“小倉北”となってますねぇ」
 彼は答えました。
彼女がこの葉書を移動途中に投函したとは考えにくく、二人は北九州市に居住している可能性が強くなってきました。
 私達はすぐに北九州市の調査を開始したのでした。 調査を初めて三週間が経った頃、一つの情報が入ってきました。
 それは、北九州市小倉北区のある文化住宅の家主からのものでした。その家主の言うには、ひと月程前に所有の文化住宅の一室に入居した夫婦者の妻が、スタッフの差し出した写真にそっくりだとのことでした。聞くと、入居名儀は男性の方の名前を使用していました。
 「ウチは安い文化ですので、住民票とか保証人の印とかはいただいておりませんが、この人に間違いないですよ」
家主はスタッフにはっきりとそう断言しました。やっとのことで捕まえることができると、スタッフ達は色めき立ったのでした。
 依頼人もご主人も、すぐにでも彼女と話をつけたいと、今回も是非とも北九州市に出向きたいと言いました。
 「第三者である私達が話すよりご主人やお父様が話された方がいいですから、本人さんで間違いなければ、その方が越したことはありません」
 私は二人が北九州へ行くことに同意しました。しかし、こう付け加えました。 「でも、万が一、家主さんの間違いということもありますから、事前に確認した方がいいと思いますよ」 そんなやり取りがあって、二人が北九州に出向く前日、スタッフが張り込んで、家主が言う人物が彼女本人であるかどうか、確認を行うことになりました。
 ところが、彼女が仕事から帰宅するであろうと思われる夕刻から張り込んでも、彼女は姿を現さなかったのでした。それは深夜に及んでも同様で、駆け落ち相手の男性も姿を現さないのでした。
 近くで待機していた私は、その報告を受けるとすぐに依頼人に出発を待つように連絡しました。
 またもや、様子がおかしいと感じた私は大阪へ連絡を入れ、依頼人とご主人に出発を待つように伝えました。スタッフには念のため、翌日の早朝五時には張り込みを開始するように指示しました。
 私自身も気が気ではなく、ホテルに待機しておれず、五時前には現場に到着していました。
 それは一月の末のこと。その年の冬の中でも一番の冷え込みがあった日でした。いくら九州といえども、その寒さは尋常ではありませんでした。五分も立っていれば凍えそうになる中、私達は張り込みを続けていました。
 こういった場合、一番困るのはトイレです。日中なら、交替要員に任せて、喫茶店やパチンコ屋、ガソリンスタンド、はたまた近くにある病院などで用を済ませることはできますが、午前五時という時間ではどこも開いていません。ただただ、我慢です。
 午前中一杯、私達は張り込みを続けましたが、その部屋の動きは何もありませんでした。
 そうこうしていると、突然、依頼人が現れたのです。居ても立ってもいられず、一番の飛行機でやってきたのだと言います。
 その日、午前中一杯かけて張り込んでも、その部屋の動きはありませんでした。私達が彼女を捕まえれるという直前になって、彼女が姿を消したのはこれで三回目です。私はこれまでに感じていた“内通者の存在”を確信しました。依頼人に私は今度はきっぱりとそのことを伝えました。今回もこういう事態になっては、依頼人ももう反論はできませんでした。
 私達は家主に彼女達が引っ越すような動きがあればすぐに連絡してくれるように頼んで、大阪に引き揚げました。そして、依頼人には家族に今回は空振りだったこと、もう自分も疲れてきたので彼女から連絡が入るまで放っておこうと思うというようなことを言うようにアドバイスしたのでした。 それから一週間が経った頃、私は家主に連絡を入れ、あの部屋の状況を尋ねました。
 「私も注意して見てたんですよ。あなた達が来られてから、三日程して戻って来られてますよ」
 家主はそう教えてくれました。私は家主に私からの問い合わせを彼女達にはくれぐれも伏せておいてほしいと釘をさしました。
 「ええ、ええ。ご事情はよく分かっておりますので、その辺のところは承知しておりますよ」
 家主はそう答えてくれました。
 次に、私は依頼人に、彼女達が間違いなく居ることが確認できれば、すぐに連絡を入れるので、動ける準備をしておいてほしいと伝えました。
 「たぶん、婿はもう休みが取れないと思いますので、私一人が行くことになると思いますわ」
 依頼人は言いました。
 「お一人でも構いませんが、お父さんだけではどうしても感情的になると思いますので、誰か信頼のおける第三者がご一緒の方がいいですねぇ」
 私はそう提案しました。 「そうでんなぁ。『信頼できる人』と言うと、アイツの叔父になるんですけど、仲人もしてくれた者が一番でっしゃろなぁ。弟もずっと心配してくれてましたさかい、頼めばすぐに来てくれると思いますが……」
 依頼人はそう答えました。

<続>

単なる娘の家出ではなく・・・(3) | 秘密のあっ子ちゃん(121)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 三日間とも彼女(三十五歳)は銀行には現れず、張り込みでは何の収穫もありませんでした。しかし、私とご主人(三十七歳)の聞き込みの方は重要な情報を得ることができたのです。 それは、あるビジネス旅館でのこと。三日前まで彼女と男性が泊まっていたというのです。
 「ええ。確かにこの人でしたよ。男の人? ああ、この人です」
 私が差し出した彼女の写真と男性の写真を見て、旅館の女将さんは答えました。 「ご夫婦なんでしょ? そう言っておられましたけど、やはり違うのですか?こういう商売をしていると、たまにあるんですよ。駆け落ちなんかが……。そうですねぇ、かれこれひと月ぐらいおられましたよ。出ていかれた日も引き続き泊まられる予定でしたが、急に事情が変わったとおっしゃって、朝一番に出られました。次に向かわれた所? さぁ? それは何もおっしゃってなかったですから、分かりません」
 この話を聞いて、私はすぐに尾行班を銀行から引き揚げさせました。彼女は二度と大牟田市には現れないことを確信したからです。 それにしても、何故彼女達が急に移動したのか、私にはそのことが疑問に残りました。
 私達が大牟田から引き揚げて一週間が経った頃、再び銀行から連絡が入りました。彼女(三十五歳)が今度は福岡支店から出金しているという情報を伝えてくれたのです。大牟田から移動の過程で福岡支店から出金したとも考えられますが、彼女の親友が福岡の実家に戻っていることを考え合わせれば、彼女は福岡にいる可能性が高いと思われました。
 今度はご主人(三十七歳)だけではなく、居ても立ってもいられなくなっている依頼人(彼女の父、六十二歳)までもが一緒に行くと言い出しました。私は二人の同行をあっさりと認めました。
 今回は彼女の親友にも直接会って、本当に彼女から何の連絡も入っていないのか、その真偽を確認する必要がありました。というのも、大牟田へ行く直前に、ご主人がその友人に対して「大牟田に探しに行くので、時間があればそちらにも回って話をしたい」と伝えており、彼女が大牟田から慌ただしく移動していることを考えれば、その友人が彼女に情報を漏らしたとも考えられるからです。
 その友人に会いに行くには、見ず知らずの第三者の私だけよりはご主人やお父さんである依頼人が一緒の方が効果があると思えました。それで、私は二人の同行を認めたのです。
 私は依頼人(62歳)とご主人(37歳)と共に、今度は福岡へ向かいました。 到着するとすぐに、彼女が出金した銀行の福岡支店に出向きました。というのも、依頼人が彼女の現状の一端でも知りたいと強く希望したからです。
 「カードで出金しているんでしたら、防犯カメラに映ってませんやろか? やつれてへんか心配ですし、どんな服装しているのかを見れば今の生活状態が少しは分かると思いますんで……」
 夫を捨てて他の男と駆け落ちをしてしまった彼女に対する怒りを持ちながらも、娘の身の上を心配する親心は私も十分理解できました。 対応に出てくれた支店長は、最初は「そういった前例がないので」と渋っていましたが、私と依頼人の熱意に負けたのか、最後には「今回だけの特例とさせて下さいネ」と念を押しながらも防犯カメラに映ったビデオを見せてくれたのでした。
 彼女が出金した日のビデオ全てをチェックしていると、午後の閉店間際に彼女は姿を現していました。映像は少し不鮮明でしたが、彼女はやつれた様子もなく元気そうで、依頼人はひと安心したのでした。
 銀行の支店長の好意で、防犯カメラに映った彼女の元気そうな姿を見ることができた依頼人はひと安心したのでした。
 私達はその足で、福岡の実家に戻っている彼女の親友に会いに行きました。
 「ご主人から電話でだいたいの事情を聞いてびっくりしました。別れるとか、離婚するとかを相談していたのは私の方で、彼女からそんな話は一度も聞いたことがありませんでしたから」 友人はご主人(37歳)と彼女の父である依頼人に向かってそう言いました。すると、依頼人はこう水を向けたのです。
 「娘とあんたは大親友やということは聞いています。学生時代からの付き合いですやろから、何かあればあんたに連絡すると思ってますねんけど……」
 「いえ、それが、今回は全く連絡がないんです。今度も福岡へ来ていると聞いて、なんで連絡してくれへんのやろうと思っているくらいです」
 「それは本当でっしゃろな!? どう考えても、あんたには連絡してると思いますねんけど?」
 この少し威圧的な依頼人の問いにも、友人はきっぱりと否定したのでした。
 銀行で防犯カメラのビデオを見せてもらうことと彼女の親友に会うという目的が達成したため、私は依頼人とご主人に一足先に大阪へ帰ってもらうことにしました。そして、スタッフに指示して、今度は福岡市内で彼女が行きそうな所を、写真を持って軒並みに聞き込みに入るように指示したのでした。
 スタッフは五日間、足を棒にして聞き込みに入りましたが、これと言った収穫はありませんでした。
 ところが六日目、スタッフの一人がある土木作業員の手配・仲介をしている宿舎で彼女らしい人物がいたという情報を入手してきました。
 その宿舎は年配の夫婦が経営しており、作業員に現場の斡旋と賄いの面倒を見ているところでした。
 私はすぐにそのスタッフと共に宿舎へ向かいました。 「ええ。この人でしたよ。間違いありません」
 奥さんは私が指し示した写真を見て、はっきりとそう言いました。
「ええ。この人でしたよ。間違いありません」
 福岡市内で土木作業員向けに現場の斡旋と賄いの宿舎を経営している奥さんははっきりとそう答えました。 「夫婦ものでしたよ。どちらかと言うと、ご主人より奥さんの方が働き者でしたねぇ」
 「で、ご主人の方はこの人でしょうか?」
 私は駆け落ち相手の男性の写真を指し示しました。 「ええ、ええ。この人ですよ。ひと月程前に来られましてね、次の現場も決まっていたんですけど、二日前に急用ができたとか言われて出て行かれましたよ」
 「えっ?! 二日前ですか?」
 またしても彼女達は私達が突き止める直前で姿をくらましていました。私はどうもクサイと感じました。偶然にしてはできすぎているのです。
 大阪へ帰ると、私は依頼人にこの状況を報告しました。そして、こう言ったのです。
 「どうも怪しいですねぇ。これはどう考えても内通者がいるとしか思えません。大牟田の件や福岡の件を知っているということは身内の方だと思いますが……それも、かなり詳しいことを知っている人ですねぇ」
 「これはどう考えても内通者がいるとしか思えません」
 私は依頼人(62歳)に言いました。そして、こう続けたのです。
 「その内通者とは、大牟田の件や福岡の件を詳しく知っている人です。この件はどなたに話されましたか?」
 「話したのは家内と下の娘だけですけど、まさか、うちの家内と娘がアイツに連絡が取る訳ありません。なにしろ、ワシがどれだけアイツのことを怒っており、どれだけ探しているのかを一番知っているのは、当の二人ですから」
 依頼人は私の疑いをきっぱりと否定しました。それでも、私は自分の考えを述べました。
 「そうですか。でも、情況から考えて、内通者がないとこんな動きはできませんけれどねぇ」
 しかし、依頼人はこう言いました。
 「ワシはあの親友が逐一連絡を取っているんだと思います」
 依頼人は頑として「家内と娘に限って、そんなことをする訳がない」と言い張るのでした。私としても、何か証拠があって言っているのではなく、それは単なる経験からくる「勘」でした。そこまで依頼人に言われれば、執拗に奥さんと彼女の妹さんが怪しいとは言えませんでした。
 「では、次の手立てを考えましょう」
 私はそう答えました。
 しかし、二回も私達に捕まる寸前で逃げ切っていることを考えれば、彼女の警戒心はかなり強いと判断せざるを得ません。おいそれと今までのように尻尾を出すとは考えられませんでした。
 「この際、彼女自身の目にも触れるように、新聞の『尋ね人』広告を出してみては如何ですか? 身の回りの人からも、『あんた、新聞に出ていたよ』と言われ出すと、何らかの形で接触を取ってこざるを得なくなるでしょうから」
 私は彼女の裏を書く方策を提案しました。依頼人もすぐさまこの案に乗り、九州の新聞に「尋ね人」広告を出すことになりました。 「但し、念のため、このことは奥さんと下の娘さんにはおっしゃらないで下さい」
 私は依頼人にそう念を押しました。
 私と依頼人(62歳)は、念のため、奥さんと下の娘さんには伏せて、九州地区の新聞に尋ね人広告を出すことにしました。
 広告が掲載されて三日目、依頼人から電話が入りました。
 「実は、昨日、無言電話がありましてな。あれは絶対アイツですわ」
 依頼人は言いました。
 「相手は何も喋らなかったんですか?」
 「そうですねん。電話はいつも家内が出るんですけど、昨日はたまたまワシが出たんですわ。『もしもし』と言っても黙ってましたさかい、『お前か!』と言うと、ブチッと切れてしまいましてん」
 「周りの雰囲気はどんな感じでしたか?」
 私は尋ねました。
 「静かな所からのようでしたなぁ。音楽や車の音も聞こえませんでしたから、どっかの部屋から掛けてきたんでっしゃろなぁ」
 依頼人はそう言いました。 何日かしてまた電話があるかもしれないので、私達はもうしばらく様子を見ることにしました。私は依頼人に、今度電話があった時は、頭ごなしに怒るのではなく、「お前の考えを聞きたいから、一度会おう」と言うように指示したのでした。

<続>

単なる娘の家出ではなく・・・(2) | 秘密のあっ子ちゃん(120)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 依頼人(六十二歳)の娘(三十五歳)と駆け落ちした男性の奥さんはこんな話をしました。
 「もともと私が離婚届に判を押したのは、『母子家庭の保護をもらうために』という主人の言い分を真に受けたからです。ですから、離婚はそのための偽装で、私達は今でも夫婦だと思っていました。一年前に離婚の話を切り出されて、主人が家に戻らなくなり、アパートを借りて一人で住むようになっても、掃除や洗濯には通っていました。だから、他に女の人が出入りしているなんて、思いもよりませんでした。二人が消えたという二日前も、私、アパートへ行って、主人と会っているんです。その時は会社を辞めるとか、どこかへ行くとかいう話は一切出ませんでした。それに、その日、主人は私を抱いたんです。それが、二日後にはこんなことになるなんて……。私、それを考えると、悲しくて、悲しくて……」
 彼が住んでいたアパートは解約もされていず、荷物もそのままになっているということでした。
 「家賃もかかってきますから、近々解約して荷物も引き揚げてこようと思っています」
 依頼人の娘と駆け落ちした男性の奥さんは、私達に対して好意的で、いろいろな話を聞かせてくれました。というのも、「生活保護を受けるため、子供によかれと思って離婚届けに判を押した」という奥さんにとっても、ご主人を探してもらえるのは願ってもないことだったからです。
 「主人の同僚で、昔から親しくしている人がいます。その人なら、何か知っているかもしれません」
 奥さんは最後にそう教えてくれました。
 私達はすぐにその友人に会いに出かけました。依頼人も「是非に一緒に行きたい」と言うので、同行したのでした。
 訪ねて行くと、その友人はいかにも迷惑そうな顔をし、私達は随分と待たされました。やっと応対に出てきた彼は、開口一番、「自分もびっくりしている」と言いました。そして私達の質問に、「自分は何も聞かされていなかった」、「全く知らない」と、今回の二人の件には自分は一切関与していないことをくどくどと述べたのでした。
 私達の心象と言えば、「彼は何かを知っている」でした。「知らない」と言い続ける彼に対して、依頼人は苛立ち、ついには「後であんたが何か知ってたということが分かったら、ただでは済まさんからな!」と声を荒げる場面もありましたが、私達はそれを押し止めて引き揚げました。彼がそう言い張るのでは、この段階ではどうしようもなかったからです。
 次に、私達は駆け落ち相手の男性が、離婚後暮らしていたアパートの家主に聞き込みに入りました。
 しかし、出入りの激しいアパートであること、彼自身も入居して日が浅いこと、そもそも家主自身が「家賃さえきちっと払ってくれれば後は関係ない」という考えの人で、住人それ自身には全く無関心であることなどから、「女の人は出入りしていたみたいだけれど……」ということ以外、これと言った情報を得ることはできませんでした。却って、「今月の家賃はどうなるのか?」とか、「蒸発したんなら、荷物は早く引き揚げてもらわないと困る」という苦情を私達は聞かされたのでした。
 こうした「駆け落ち」の場合、蓋を開けてみれば目と鼻の先にいたということがしばしばあるのですが、男性が会社の金を使い込んでいるということを考え合わせれば、今回のケースは遠くに逃げていると考えた方が妥当でした。
 人が逃げる場合、一般的には関西の人間は西へ、とりわけ九州方面へ、関東の人間は東へ、つまり東北や北海道へ逃げるという、不思議な人間の心理が調査業の中では実証されています。 ところが、「九州」だけでは範囲が広すぎ、これだけでは探しようがありません。普通、人間というのは突飛な行動はしないもので、逃げる場合も、友人がいるとか一度は訪ねたことのある地域に行くものです。しかし、今回の二人の場合、近親者に尋ねても、九州には何の縁もゆかりもなく、つい最近、彼女がご主人と一緒にハウステンボスに行ったくらいだけでした。
 「万事休す」と、私が次の手立てを考えあぐねている時、幸運にも手配した銀行から連絡が入ったのでした。
それは、彼女が大牟田支店から出金したという、願ってもない情報でした。
 私は当初依頼人から相談を受けた時、すぐに警察に捜索願いを出すようにアドバイスしていました。警察は「民事不介入」の原則があるため、家出、ことに成人の駆け落ちとなると、「捜索をしてくれる」などということは全く期待できません。しかし、様々な機関に協力を要請する時には有効な裏付けとなるからでした。
 そういう風に、警察にきちっと捜索願いを出しておいて、私は彼女が持って出た通帳の銀行に、彼女が出金すればどこからの支店からなのかを教えてくれるように要請しておいたのです。結果、彼女はやはり九州にいました。
 銀行から連絡が入ったと同じ頃、今度はご主人の方から新たな情報が入ってきました。
 ご主人の話によると、彼女の学生時代の親友が芦屋の嫁ぎ先を出て、福岡の実家に戻っていることが分かってきました。この親友は一年程前から離婚を考えており、そのことを彼女によく相談していたということでした。友人は身辺がバタバタしていたため、ここ二、三カ月は彼女に連絡を入れることができなかったけれど、落ち着いたので電話してきたのだと話したと言います。
 「九州にそれだけの大親友がいるんでしたら、彼女はその友人を頼っているのかもしれませんよ」
 私はご主人にそう言いました。ところが、ご主人はこう答えるのです。
 「いや、それはないと思います。その友達は家内が家を出たことを全く知らずに、当然家にいるものと思って電話をしてきたんですから……。一応、あいつから連絡が入ったら、教えてくれるようには頼んでおきましたが」
 この時、私はご主人に反論はしませんでしたが、内心はその友人の言を全面的に信じれないと思っていました。というのも、家出した者は、今、家ではどういう状況になっているのか、自分の捜索がどこまで進んでいるのかを絶対に知りたいものなのです。そのための「さぐり」はあり得ることなのです。
 主人を放って駆け落ちした彼女が大牟田支店から出金したという情報を得て、私達は次に彼女が出金する日は給料が振り込まれた直後だと踏みました。
 彼女を発見する最大のチャンスはその時しかありません。それは、二日後に迫っていました。
 私は張り込み要員の手配をし、依頼人に情況を報告しました。すると、三時間後にご主人から連絡が入りました。是非とも自分も連れて行ってほしいと言うのです。
 「尾行や張り込みにご依頼人さんを同行させるケースはございませんので、今回は大阪でお待ちいただけませんか?」
 私はやんわりと断りました。実際、素人が尾行現場に入ると余計足手まといになります。それに、ご主人は直接の依頼人ではありませんでしたが、一番の当事者であることには間違いなく、当事者が現場にいるのは却って支障がきたすことが度々あります。例えば、彼女の方が先にご主人を見つければ、銀行に姿を現わさないことにもなります。 私はどうしても同行したいというご主人に、そのことも含めて説明しました。しかし、ご主人は引き下がりませんでした。 「絶対に邪魔にならないようにしますから。僕も行くつもりで休みも取りましたし、あいつが何を考えているのか、一刻も早く直接この耳で確かめたいんです」 そういうご主人の心情は分からないでもありません。私はご主人を張り込み現場には立たせない心積もりで、彼が同行することを認めました。
 スタッフは現地でレンタカーを借りる手筈でしたが、ご主人は「本人を捕まえたら、このまま連れ帰りたい」と、自分は車で行くことを主張しました。スタッフには一足先に現地に向かわせ、ご主人の車には私が乗り込むことにしました。
 当時、私は三十六歳、彼女が三十五歳でご主人が三十七歳。年齢的にも近いことがあって、依頼を受けて以来、ご主人は私にいろいろなことを相談してきていました。時には、「あいつは今、何を考えているんやろうか?」とか、「こんなことをするなんて、どういう心理なんやろうか?」などと、私に聞かれても答えようがないことまで尋ねてきたりしていました。
 今回の依頼があって以来、私はよくご主人の相談に乗ってきました。彼は元気そうにしていても、やはり妻が男を作って駆け落ちをしたという事実にはショックを隠しきれず、時々考え込み、塞ぎ込んだりするのでした。
 九州へ向かう道中もそうでした。憂鬱そうな顔をして、ただ運転しているだけのご主人の気持ちを、私は何とか明るくしようと、あれこれと話題を持ち出すのですが、結局は彼女の話に行き着き、「あいつは何を考えとったんかなぁ」と、溜め息まじりで呟くばかりでした。
 「九州までこれじゃあ、私の方がしんどすぎる」
 私の方が溜め息をつきたいくらいでした。
 ところが、私がふとスキーの話をすると、彼は大いに乗ってきたのです。聞くと、彼は大のスキー好きで、例年、冬になるのを待ちかねて信州へよく出かけたとのこと。私は、やっと彼が生き生きと話す話題にぶつかり、ホッとしました。と同時に、これ幸いとばかり、この話題からそれないように注意していました。彼の方も、今までとは打って変わって楽しそうに話し続けるのでした。
 が、ふと気づくと、走り続けいている中国縦貫道の前方で、警察官が大きく旗を振っているのが目に入りました。スピード違反に引っ掛かってしまったのです。
 ご主人が興味を持つ話題にやっとぶつかり、私はスキーの話を大いに盛り上げようとしました。彼もまた、それについては生き生きと話し続けていました。
 ところが、ふと気づくと、私達が走り続けていた中国縦貫道の前方で、警官が大きな旗を振り回し、「止まれ」と指示していました。スピード違反だったのです。 警官はこう言いました。 「すごいスピードでしたよ。四十キロオーバーですね。何故そんなに急いでおられたんですか?」
 そして、こう続けたのです。
 「助手席の人もスピードが出すぎだと気がつかなかったのですか? 異様なスピードですよ」
 そう言われても、私は答えようがありません。確かに、視界の隅を流れる風景の速度は早いなとは思っていましたが、私としては落ち込んでいるご主人を何とか元気づけようと、そのことばかりに気をとられていたので、四十キロもオーバーしたスピードだったとは思いもよりませんでした。 私の次の心配は、ご主人がこれでまた落ち込んでしまうのではないかということでした。が、当のご主人は案外ケロッとしていて、私はホッとしたものでした。 こんな風にして、私達は九州に何とか到着し、尾行班と合流しました。翌日からの銀行での張り込みは、「ご主人がウロウロして彼女が先に見つければ、現れるものも現れない」と、尾行班のみが受け持つことを説得して、私とご主人は大牟田市内一円を彼女が住んでいそうな所や勤め先を当たることにしました。
 一日目。銀行には彼女は現れず。私達の聞き込みにおいても、めぼしい情報を得ることができませんでした。
 二日目も彼女は銀行には現れませんでした。私達は、この日も前日同様、住民票や保証人がなくても勤めやすそうなパチンコ店や水商売、仲居として働ける料理屋や旅館などを写真を持って、軒並みに当たったのですが、彼女らしい人物の影も形も出なかったのでした。 三日目。銀行にはやはり彼女は現れませんでした。私達は、今度は彼女が寝泊まりしていそうな場所、ビジネスホテルや旅館などを当たっていました。そして、そこで一つの収穫を得たのです。

<続>

単なる娘の家出ではなく・・・(1) | 秘密のあっ子ちゃん(119)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 このお話は、私が我が社「初恋の人探します社」を始めて間もない頃のことです。当時はまだまだ「“初恋の人”ではないのですが…」という問い合わせがよくあったものです。
 その初老の男性も初めにそう前置きして、「実は娘が家を出てしまったんですが、それを探してくれるということは可能ですか?」と聞いてこられました。
 依頼人の話をよくよく聞くと、それは単なる「娘の家出」ではありませんでした。娘は三十五歳。人妻で、男と駆け落ちしたと言うのです。
 翌日、更に詳しく打ち合わせするために、依頼人(六十二歳)は彼女のご主人を連れて当社へやって来ました。
 男と駆け落ちしてしまったという彼女は明るくハキハキとした性格で、若い頃から活発でした。様々な能力にも秀いでており、結婚後も職を持ち、ある大手企業で責任あるポストに就いていました。
 ご主人の方はと言えば、見るからに真面目で誠実、おとなしい感じの人でした。 二人は六年前、彼女が二十九歳、ご主人が三十一歳の時に、親戚の勧めで見合い結婚をしています。二人の間にはまだ子供はいませんでした。
 その彼女(当時三十五歳)の様子がおかしくなったのは、結婚して四年が経った頃です。ご主人の勤務先はラインの製造工場で、三交替制でした。主人が夜勤の時は必ずと言っていい程、「残業」で帰宅が遅くなり、それが次第に日勤の時にも深夜の帰宅が頻繁に続いたのでした。
 「スープの冷めない距離」に住んでいる依頼人、つまり彼女の父親は厳しく叱りました。
 「そんな、亭主を放ったらかしにせなあかんような仕事なら、辞めてしまえ!」 けれど、彼女はこう反論しました。
 「いくらお父さんが家の頭金を出してくれたからと言っても、あの人の給料だけやったら、ローンは払われへん!」
 依頼人はいくつもの店舗を持つ自営業で、経済的なゆとりはありました。彼女が金銭的な問題で残業を重ねているなら、援助してもいいと申し出ました。
 もともと、彼女とご主人の結婚は、「このまま放っておけば三十を過ぎても娘は嫁に行かない」と心配し、ご主人の真面目でおとなしい人柄を見込んで、依頼人が強力に進めた縁談でした。 ですから、依頼人は何としても婿が満足できるような生活を送らせたかったのです。
 もともと、彼女とご主人との結婚は、いつまで経っても嫁に行かない娘のことを心配した依頼人が、主人の真面目でおとなしい性格を見込んで強力に進めた縁談でした。そのせいもあって、依頼人は何としても婿が満足な生活を送れるようにしたいと思っていました。ですから、娘が家のローンを払うために残業を重ね、主人のことを放ったらかしにするのなら、経済的な援助をしてもいいと申し出ました。
 しかし、彼女はこう言うのです。
 「そんな! お金の問題だけと違うわ。私は今の仕事を辞めて、家で引っ込もってるなんて、絶対嫌や!」 依頼人は少し気になることもあって、彼女にこう釘を刺しました。
 「仕事を続けたいならそれでも構わんが、自分の亭主の面倒ぐらいちゃんと見なあかん。それと、お前、親に顔向けでけへんようなことは絶対してへんやろな!?」
 [お父ちゃん、あほなこと言わんといて!]
 彼女はそう答えました。それからしばらくは、彼女も早めに帰宅するようになり、こまごまとご主人の面倒を見る生活に戻りました。その年の正月は二人揃って実家に戻って来て、仲睦まじくやっていたのでした。
 依頼人が釘を刺したことが功を奏してか、彼女はしばらくは早くに帰宅し、こまごまとご主人の面倒を見ていました。正月も二人揃って実家に戻ってき、仲良くやっていたとのことでした。 しかし、一月の末、ご主人が夜勤明けで自宅に戻ると、彼女は家を出ていたと言うのです。衣服や身の回りの小物などが無くなっており、「しばらくは帰りません。探さないで下さい」とだけ書かれた置き手紙が残されていました。
 びっくりしたご主人がすぐに舅である依頼人に連絡し、依頼人が当社に問い合わせてきたという次第です。 ご主人を連れて詳しい話をするために当社にやってきたその前に、依頼人は彼女の職場に出向いていました。彼女の上司に面会し、事情を包み隠さず話した上で、何か心当たりがないかを尋ねようとしたのです。しかし、依頼人が事情を話すまでもなく、会社では彼女のことが大問題になっていました。
 というのも、彼女と元上司が深い仲になっているのではないかということが会社では前々から半ば公然の秘密だったらしく、彼女が家を出る前日に、二人はそれぞれ退職願いを出して消えてしまったので、その噂で持ち切りだとのことでした。
 依頼人は上司の話を聞いて愕然としました。
 「退職願いを受理するかどうかという前に、朝、私が出勤すると置いてありましてネ。二人ともその日から出社していません」
 上司はそう言いました。そして、こう付け加えたのです。
 「実は、これはまだここだけの話ですが、男性の方が会社の金を使い込んでいる可能性があるんです。マ、これについては、今、経理の方で調べさせていただいておりますが……。それにしても、娘さんはつまらん男にひっかかったもんですなぁ」
 上司の話によると、この男性は二、三年前からギャンブルに入れ込み、かなりの借金を抱えているのではないかということでした。その頃から仕事にも身が入らず、本来ならもっと昇進すべきところを、そういうことが原因して、今では窓際に追いやられていると言うのでした。
 依頼人は娘の上司の話を聞いて、非常なショックを受けました。 以前、娘の様子を見ていて疑念を感じた時、「お前、親に顔向けできんようなことはしてないやろな」と釘を刺したものです。けれど、彼女は、その時、そんなことは鼻にもかけず頭から否定しました。しかし、実際は、随分以前から人妻の身でありながら、妻子ある男性と不倫関係にあったのでした。今、「失楽園症候群」という言葉が話題になっているようですが、このお話は六、七年も前のことです。
 彼女が家を出た後、その男性と一緒にいるかどうかを確定する材料は何一つありませんでしたが、同時に退職願いを提出して、二人とも出社もせず姿を消していることから、二人は駆落ちをしたと見る方が自然でした。
 依頼人がさらにショックを受けたのは、娘の相手の男性の人物像でした。
 人妻に手を出したことはこの際不問に伏したとしても、四十半ばになろうとするのに、ギャンブルに入れ込み、妻子に苦労をかけ、会社の金を使い込むような男に、娘が惚れて家庭まで捨ててしまったということがどうしても依頼人には許せませんでした。婿に対して、娘の今回の不祥事を何と謝っていいものかと考えると、より一層許せないという気持ちが沸き上がってくるのでした。
 依頼人は娘の上司に、相手の男のことについてさらに詳しく尋ねました。
 それによると、その男性には小学六年生の男の子を頭に、三年生、幼稚園児の女の子がいるとのことでした。奥さんは病弱で、メヌエルという持病を抱えており、時々激し目まいに襲われると言います。彼がギャンブルにのめり始めると、それなりの給料を取っているにもかかわらず、所帯費も入れないことが度々重なり、彼と同期で入ったこの上司は奥さんから相談を受けたこともあったとのことです。さらに、上司は「今ではサラ金にも手を出しているのではないか」とも話しました。
 「僕もネ、心配しまして、彼には何回となく忠告したんですがねぇ……。こういう事態になって非常に残念です。会社の金の使い込みについては、早く連絡が取れれば何とか押えられると思いますので、今、こちらでも探しているような状態です」
 上司は既に彼の奥さんと連絡を取っていました。しかし、奥さんとは三ケ月前に離婚が成立し、それ以前からも彼は自宅には戻っていなかったという話を聞いています。
 「この離婚についても、いろいろあるみたいで…」 上司はそう言いました。
 聞くと、彼女の相手の男性は二、三年前からギャンブルにのめり込み、サラ金などの借金も重んできたため、所帯費も入れれなくなったとのことです。そのことは彼と同期であったこの上司が、以前より彼の妻から相談を受けていたことでしたが、それが一年程前に突然、彼の方から奥さんに離婚を申し入れてきたのだそうです。今にして思えば、その頃から彼は彼女と付き合っていたと考えられます。 奥さんはメヌエル病という持病を抱え、病弱にもかかわらず幼い三人の子供を育てるために、何とか所帯のやりくりをしてきました。しかし、離婚する気はさらさらありませんでした。
 離婚届に判を押すことをずっと拒否してきましたが、そのうち夫は自宅にも戻って来なくなり、生活はますます窮してきました。「母子家庭としての生活保護を受けるためにも」と夫の執拗な説得に、子供達の生活のためならばと、渋々離婚届を出したとのことでした。 それが三ケ月前の話です。
 娘の上司からこの間のいきさつのある程度の情報を得ると、依頼人はその足で彼女のご主人と一緒に当社にやって来ました。
 今、彼女はその男性と一緒にいることは安易に想像できましたが、二人がどの辺りに逃げたのかということになると、依頼人とご主人の話を詳しく聞いても、私には雲を掴むような話でした。
 私達はまず、彼の奥さんに接触しました。
 「私も会社の人から話を聞いてびっくりしています。情けないやら、悔しいやら……。こんなことなら、離婚届に判を押すんじゃなかったと思います」
 奥さんは暗い表情でそう言いました。今も体調はよくなさそうでした。
 「最近、前以上に目眩に襲われることが多くて……。体がこんな状態ですから、働きに出ることもできなくて。保護のお金を貰えるようになりましたんで、切り詰めれば何とか生活はできるようになりましたけど……」
 そして、こんな話をしてくれたのです。
 「実は、二人が消える二日前も、私は夫のアパートに行ってるんです。その時も、夫と話をしてるんですよ」

<続く>

奥さんの家出(2) | 秘密のあっ子ちゃん(118)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 やっと彼女(24才)の働いていることが判明してきた矢先、彼(42才)から連絡が入りました。
 「つい先程、彼女の勤務先が出てきましたので、今、連絡を入れようと思っていたところです」と私。
 「こっちの方も、本人から電話が入ったんですわ」 「まぁ、そうですか。よかったですねぇ。で、どこに住んでいるとおっしゃっておられました?」
「いや、それが、どこに住んでいるとか、どこで働いているとかは一切言いよりませんでした。ただ、ちゃんと生活しているから、心配するなと…。それで、アイツと同じ年ごろの男と暮らし始めたとも言ってました。その男は在日だから、今度は父親も許すだろうと…」
 彼女が別の男と暮し始めたらしいということを、彼があまりにも淡々と言うので、私はどう反応していいか言葉に詰まってしまいました。
 「そうですか。あんまり気落ちされないように…。職場の方は判明してきてますが、どうされますか?」私が言えたことは、そんなことだけでした。
 「そうですなぁ。年のことから言うても、親の反対のことを考えても、前歴のことから言うても、アイツがその男の方がいいんなら、その方がええんかもしれませんしなぁ…」
 彼は、彼女の将来を考えて、会いに行くかどうか迷っていました。しかし、結局はけじめとして、最後にもう一度会って話し合うために、出かけていきました。 「きっちり別れる話がついた」と彼から連絡が入ったのは、その日のうちでした。
 それから、三ケ月程して、再び彼がやってきました。今やっている不動産の会社の業務上のことで、信用調査をしてほしいというのがその目的でした。
 梅雨の蒸し蒸しした日でした。彼はTシャツの上に長そでのシャツを着こんでいて、かなりの汗をかいていました。
 「脱いで下さって結構ですよ」と私は言いました。 「いや、ちょっと脱げないんですわ」
「どうして?」
「あれから、墨を入れたんですわ。いや、決して極道に戻った訳やありませんで。マ、言うならばアイツへの礼儀ちゅうとこですわ」 「ほんまかいな?」と私は思いました。でも、それが本心なら、よっぽど惚れていたんだなあとも思いました。
 彼は「見はりまっか?」と言って、背中一面と肩から腕にかけて彫った、まだ真新しい、それは見事な入墨を私に見せてくれました。

<終>

奥さんの家出(1) | 秘密のあっ子ちゃん(117)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 あれは三年前の冬のことです。丁寧な口調で話す男性から問い合わせの電話がありました。年の離れた若い妻の行方がひと月程前から分からなくなったと言うのです。
 「もう少し詳しくお話を聞かないことには…」と私が答えると、彼は三十分もしないうちに我が事務所にやってきました。ドアを開けて彼は入ってきたとき、私は思わず「ウッ」と息を飲んでしまいました。
 というのは、電話での丁重な口調とは裏腹に、彼の風貌は“その筋の人”そのままだったのです。しかし、風貌だけで人を判断するのも失礼なことで、とにもかくにも上っていただき、彼の話を聞き始めました。
 彼と奥さんとは十八歳違いだと言います。つまり、彼ということでした。
 そこまで聞いた時点では、私は彼のその風貌から少し(というより、大いに)偏見を持って、彼の方に問題があったのではないかと思ったものです。
 しかし、話を聞き進むうちに、それは私の偏見であることが分かってきました。
 奥さん(といっても、まだ入籍はしていないのですが)は、在日朝鮮人三世で、彼女の父親は日本人との結婚に大反対していました。
 「日本人と結婚しても苦労するだけだ。結婚相手は同胞に限る」というのがその理由です。年が若くても儒教精神の強い家庭であれば彼女としてもなかなか父親には逆らいにくいものです。しかし、このままでは二人は籍を入れることがままならず、いつまでたっても「同棲」という形をとっていなくてはなりません。彼女は、いずれ生まれてくるだろう、子供の籍のことも不安に感じ、悩んでいたのでした。
 彼はさらにこう続けました。
 「実は、見ての通り、昔は組関係の者だったんです」
 ああ、やっぱりと私は思いました。
 「今はまじめに生活していますけど、向こうの父親はそれも気に食わないようですわ」
 在日朝鮮人三世である彼女の家出は、父親が日本人との結婚に大反対であること、そのために将来生まれてくるであろう子供の籍がどうなるか分らないこと、彼が昔、暴力団であったため、父がなおさら結婚を許さないだろうというようなことに、二人の将来を悲観し、悩み続けることに疲れ果てたことが、どうやらその原因のようです。
 彼は言いました。
 「父親に反発していたんで、アイツは実家へは戻らないと思いますわ。金をほとんど持って出てないから、ちゃんとやっていけてるんか、それが心配で…」
彼女の所在の確認はかなり難航しました。
 実家や親戚筋は彼女が連絡を取っていないために本当に知らないのか、あるいは彼を警戒して言わないのか、ここからは全く彼女の足取りはつかめません。
 彼女は同棲する前にはクラブで働いていたということから、キタやミナミにも写真を持って聞き込みに回りました。
 ひと月ほどの調査の甲斐があって、やっと友人関係から彼女が働いているスーパーが判明してきました。 その矢先、彼女から電話があったと、彼から私達に連絡が入ったのでした。

<続>

養父の隠し子は今…(2) | 秘密のあっ子ちゃん(116)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 「今、ここで、あなた達を路頭に迷わすようなことがあれば、私は死んだ養父に顔向けできません」
 依頼人(現在八十八歳)は養父の隠し子の上の娘にそう反論しました。
 しかし、彼女は重ねてこう言ったのです。
 「お気持ちは本当に有り難く思っています。でも、これ以上、血の繋がっていないお兄様にご迷惑をかけるのは、母が納得しないと思います。お父様が亡くなった今は、お店ももうお兄様の代になっていますし……。幸い、私の主人が優しい人で、全ての事情を分かって私を迎えてくれていますので、主人が母と妹の面倒を見ると言ってくれているんです」
 彼女はそこまで話すと、奥から店の方へ行き、ご主人を呼んできました。ご主人とは婚礼の時に顔を合わせていましたが、こうして一対一で話すのは初めてでした。
 依頼人はご主人とひとしきり話し込んだ後、彼女の母、つまり養父の妾だったその女性の心情を察して、二人の世話をご主人に委ねることに決めたのでした。 その後しばらくは彼女から折々の季節の挨拶を受け取っていましたが、戦局が悪化してくると、その音信も途絶えてしまいました。
 依頼人が昭和十八年に再召集され、戦局も日々悪化していくと、彼女達の音信も途絶えがちになっていきました。店の一切は古くから勤めてくれている番頭に委ねて、彼は戦地に赴いたのですが、復員後、番頭から聞いた話では昭和十九年の秋頃から彼女達の消息は全く分からなくなったということでした。 しかし、今回は彼女達を探すどころではありませんでした。店は空襲で焼かれ、使用人達もある者は戦死し、業務を再開する目処すら全くつかなかったのです。こんな状態であれば、遠縁を頼って疎開している使用人を呼び戻すこともできません。
 彼は残った番頭と復員してきた若い二人の四人で、とりあえず商売になることなら何でも手当たり次第に活動を始めました。
 五年が過ぎ、十年が過ぎ、何とか商売も格好がついてきて、これなら老舗の暖簾も守っていけると感じた頃、彼は彼女達を探し始めました。
 しかし、心当たりのある所を八方手を尽くして探しても、彼女達の消息は杳として掴めませんでした。上の娘が嫁いだ小間物問屋は空襲には遭っていなかったものの、空家同然となっていました。
 戦後の混乱期をなんとか乗り越え、昭和三十年代になると、依頼人は旧態然とした老舗の経営体制を改めて、店を株式会社にしました。
 商売がこうして少し落ち着ついてくると、彼は彼女達母子を探し始めました。 しかし、どんなに手を尽くしても、その行方は杳として把めませんでした。上の娘が嫁ついだ小間物問屋も今はなく、そこには見ず知らずの人が商いを営んでいました。何でも、ご主人が戦死した後、番頭が中心となって店を売り払い、使用人がそれぞれに分配を受け取って散り散りになっていったというのが近所の話でした。妻である彼女とその母がどこへ行ったのかを知る人は誰もいませんでした。 
 彼は彼女達を探すのは断念せざるを得ませんでした。 それから四十年近くが経ちました。
 厳しい繊維業界の中で、彼は会社の存続を賭けて奮闘してきました。紆余曲折はあったものの、会社は何とか順調に発展し、十九年前に彼は引退しました。彼もまた子宝に恵まれませんでしたが、引退後は妻と二人で悠々自適の生活を送り、それなりに充実した晩年を過ごしてきました。
 しかし、妻が他界すると一挙に淋しさと孤独感が襲ってきたのでした。
 彼が当社にやって来た時、私達にこう言いました。
 「彼女達を生んだ女性は現在なら九十九歳か百歳くらいになっていると思います。その人は既に亡くなっている可能性もありますが、彼女達の消息だけは是非とも知りたいと願っているんです。彼女はおそらく七十五、六歳だと思います。もし、彼女自身も亡くなっているんでしたら、その子供達を探してほしいのです」 私は彼の願いを十分理解できました。しかし、唯一の手掛かりであった、彼女が嫁いだ小間物問屋が昭和二十年代に離散しているのであれば、易い調査だとは決して思われませんでした。 唯一の方法は役所に掛け合うしかありません。私達は依頼人の委任状を得て、すぐさま役所に出向いたのでした。
 私達は依頼人の委任状を得て、役所に出向きました。彼女が依頼人の養父の娘であることは間違いないのですが、彼女は養父の子供として今は籍が入っていないため、依頼人と彼女の関係は戸籍上、全く赤の他人となります。ですから、いくら委任状を得ているからと言っても、私としても役所側が「ハイ、そうですか」と易く彼女の籍を見せてくれるとは思っていませんでした。
 結果はやはり予想どおりでした。私達は役所に日参することになりました。依頼人と彼女の関係、結婚前に彼女は一旦養父の籍に入っていること、それに依頼人の心情を懇々と説明したのでした。
 何回目かにスタッフが出向いた時、いつもの係員の上司が対応に現れ、こう言いました。
 「原則的にはお教えすることはできませんが、事情も理解できるので調べてみましょう。但し、戸籍自体はお見せできませんので、こちらで調べてお教えさせていただきます。養父という方の本籍から彼女の嫁ぎ先の本籍を調べ、その上で戸籍附票を見てみましょう」 戸籍の附票というのは、その人の住所地の変遷が記載されたものでした。
 役所はまず依頼人の養父の本籍から改正原戸籍を見、彼女が嫁いだ先の本籍を確認してくれました。次いで、その嫁ぎ先の本籍の管轄の役所に連絡を入れ、彼女の戸籍の附票を取り寄せてくれました。 こうして、彼女の消息が明らかになってきました。 彼女はまだ健在で、現在は宇治市に居住していました。夫が戦死した後は、三人の子供を立派に育て上げ、今は長男夫婦と孫達と同居していました。
 ところが、ここで思わぬことが発見されたのです。依頼人は養父の子供達は二人だと言っていましたが、実はその下にまだ二人の子供がいて、合わせて四人だったのです。これは、依頼人自身も知らない事実でした。 この内容を報告すると、依頼人は大層喜んでくれ、特に彼女がまだ健在だということには大変感激していました。
 「宇治と言えばそれ程遠くはありません。早速にも連絡を取って、会いに行きたいと思います。あれから五十年以上も経って、お互い年を取りましたが、逆にこの年になって、身内の消息が掴め、本当に嬉しい限りです」
 彼は最後にそう言ってくれたのでした。

<終>

養父の隠し子は今…(1) | 秘密のあっ子ちゃん(115)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 今回の主人公は、今年米寿を迎える男性です。
 彼は十歳の時、遠縁にあたる繊維問屋に養子に入りました。この繊維問屋は何代も続く老舗で、跡取りがなかったため、是非にと請われて、六男であった彼が養子になったのでした。
 養父は豪気な人で、商売の才覚も合わせ持っており、彼が養子に入った昭和初期には店はかなり繁盛していました。養母は優しい人でしたが、病弱で、それ故に子宝に恵まれず、早い時期に亡くなっています。
 彼は戦後、養父の跡を継ぎ、店を切り盛りしてきました。昭和三十年代には、旧泰然とした老舗の経営体制を改め、株式会社にしました。その後、厳しい繊維業界の中で、様々な生き残り策を模索し、会社を存続発展させて、十九年前、六十九歳の時に引退しました。彼もまた子供には恵まれず、会社は長年、自分の片腕として勤めてきてくれていた、当時五十三歳の常務に譲ったのでした。仮に彼に子供がいたとしても、同族に跡を継がせるという気持ちは、法人にした時からまるで持っていませんでした。
 妻には既に先立たれていましたが、その後、彼は悠々自適の生活を送ってきました。しかし、一つだけ気掛かりなことがあったのです。
 子宝に恵まれず、妻に先立たれて一人きりになっているとはいえ、彼は会社を後継者に譲った後は悠々自適の生活を送っていました。 しかし、一つだけ気掛かりなことがありました。それは、養父が奉公に来ていた女中に生ませた隠し子のことでした。
 当時、彼は養子に入ったばかりである上に、十代前半という若さも手伝って、詳しいことは聞かされていませんでした。が、大人達があたふたと動き回っていた様はありありと記憶に残っていました。
 その頃、養母は既に床に就いたきりでした。まだ四十代前半の養父は、行儀見習いの奉公に来ていた若い女中に手をつけ、その結果、女の子が生まれました。まだ祖父が健在だった頃で、祖父はその女中に小さな家を与え、養父に生活の面倒を見させました。その後、もう一人女の子が生まれたと、彼は記憶しています。 養母が亡くなった後、その女性を後添えにという話も上がりましたが、祖父は頑としてこれを受け入れず、二人の女の子は養父の隠し子として育てられたのでした。しかし、養父は度々この家に通い、二人の女の子を慈しんで育てました。
 それから二十年近くが経ち、依頼人(現在八十八歳)の養父の二人の隠し子達は適齢期を迎える頃になりました。二人のうち、姉の方に分家筋の勧めで、京都の小間物問屋への嫁入り話が進んでいました。
 しかし、「隠し子」や「私生児」という出生では、歴とした老舗へ嫁に出すには如何にも具合が悪く、養父は二十年以上も妾として暮らしてきた二人の母を正式に後妻として入籍させました。彼女を後添えに直すことをあれほど反対していた養祖父も既になく、入籍は誰の反対に合わずに、スムーズに取り行われたのでした。
 ところが、養父は入籍しても、なぜか彼女を家に迎えようとはせず、娘の婚礼が滞りなく済むと、どうしたことか、すぐさま彼女を籍から抜いたのでした。
 依頼人はこの辺りの事情を出征していた中国大陸から戻ってきた後で身内の者に聞かされました。彼は養父のやり方を理不尽だと憤りましたが、抗議しようにも、養父は既にこの世にはありませんでした。
 上の娘を嫁がせてしばらくした頃、養父は急な病で没していたのでした。
依頼人(現在八十八歳)が中国大陸へ出征している間に起こった出来事は、全て彼が帰還してから聞かされました。しかし、当の養父も彼が中国にいる間に急な病で死亡しており、憤りを感じて抗議したくても、今更どういう考えでそうしたのか聞くことさえもできませんでした。
 養父が亡くなった後も、彼女達の生活費は番頭がきっちり送金していましたが、半年が経った頃、養父の妾であった例の女性が挨拶にやって来たと言います。それは、「旦那さんが亡くなった今となっては、これ以上お世話をかける訳にはいかない」という内容のものでした。
 番頭は、若旦那さん、つまり依頼人も出征中のことである故、そのことは帰還されてからゆっくりと若旦那さんと話し合えばよいと引き止めたのですが、程なく、彼女達は養父が与えた家からも姿を消したということでした。
 帰還して、全ての事情の一部始終聞いた彼は、姉の方の嫁ぎ先を訪ねました。 彼女はこう言いました。 「これまでのご恩は決して忘れません。私もこうして立派な所に嫁に出させていただきました。でも、もうこれ以上ご迷惑をかけることはできないと思っているのです」
 復員後、番頭や分家の者から全ての事情を聞かされると、依頼人はすぐに養父の隠し子のうち、上の娘の嫁ぎ先を訪ねました。彼は、既に老舗に嫁いでいる彼女はともかくとして、その母と妹の今後の生計を心配していました。
 しかし、彼女はこう言ったのです。
 「お父様が亡くなり、母ももうこれ以上ご迷惑をかける訳にはいかないと申しております。これまで、十二分なことをしていただき、私もこうして立派な所に嫁つがせていただきました。これまでのご恩は決して忘れません」
 「だけど、あなたはともかく、お母さんや妹さんのこれからの生活はどうされるんですか? 私のことを気にしてくれているんでしたら、それは構わないんですよ。もともと、私だって養子の身。十歳の折、私が養子に入る前にあなたが生まれていたなら、本来はあなたが跡取り娘なんですから。ここで、あなた達を路頭に迷わすようなことになれば、私は死んだ養父に顔向けができません」
 依頼人は反論しました。 しかし、彼女は重ねてこう言いました。
 「お気持ちは本当に有り難いですが、それでは母が納得しないと思います」

<続>

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