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療養所で励ましてくれた看護師さん(2)| 秘密のあっ子ちゃん(259)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

医者から「外科療法は不可能」と宣告されて彼は、自らの“死”を見詰めるようになりました。
彼が入学したあの名門大学を卒業し、一流企業へ就職して、姉を水商売から引かせ、一日でも早く楽をさせてやりたい、やっと親孝行らしいことができる、という彼の夢は無残にも破られたのです。姉がミナミのキャバレーで働き、学費を援助してくれることをいいことに、映画や麻雀に耽り、揚げ句の果てには結核を患うようになった自堕落な学生生活と自らの不甲斐なさを、彼は心の底から悔いていました。自分を大学へ行かせるために身を削るようにして働いた年老いた両親と姉の恩に、もはや報いることができないと思うと絶望感だけが彼を支配しました。
彼の心はますます荒んでいきました。同室の患者ともほとんど口をきかなくなり、ちょっとしたことでも苛立って看護婦達を手こずらせました。
そんな時、彼女は当時始められたばかりの「肺の切除」という新しい手術を彼に薦めました。しかし、この手術はまだまだ失敗例も多く、ひょっとしたら手術台から生還できないかもしれないという代物だったのです。
彼女が薦めてくれた手術は、当時、まだまだ成功例が少なく、手術台から生還できないケースが多々ありました。彼にとっては「不安残る」どころか、死の恐怖さえ伴うものでした。しかし、安静にしている以外、他に方法がないということは治癒の見込みがないことを意味しているのもまた理解していました。
彼はイチかバチかこの手術に賭けたのです。しかし、それには体力の回復が前提であると医師から通告されました。
彼女は担当医の許可を取って、軽い運動のために、毎日彼を散歩に誘い出しました。
風のない暖かい冬の夕方でした。結核患者にとって日差しは禁物であることをよく承知している彼女は、わざわざそうした時刻を選んだのです。
医者から「外科療法は不可能」と宣告されて彼は、自らの死を見つめるようになりました。
彼が入学したあの名門大学を卒業し、一流企業へ就職して、姉を水商売から引かせ、一日でも早く楽をさせてやりたい、やっと親孝行らしいことができる、という彼の夢は無残にも破られたのです。姉がミナミのキャバレーで働き、学費を援助してくれることをいいことに、映画や麻雀に耽り、揚げ句の果てには結核を患うようになった自堕落な学生生活と自らの不甲斐なさを、彼は心の底から悔いていました。自分を大学へ行かせるために身を削るようにして働いた年老いた両親と姉の恩に、もはや報いることができないと思うと絶望感だけが彼を支配しました。
彼の心はますます荒んでいきました。同室の患者ともほとんど口をきかなくなり、ちょっとしたことでも苛立って看護婦達を手こずらせました。
そんな時、彼女は当時始められたばかりの「肺の切除」という新しい手術を彼に薦めました。しかし、この手術はまだまだ失敗例も多く、ひょっとしたら手術台から生還できないかもしれないという代物だったのです。
しかし、安静にしている以外、他に方法がないということは治癒の見込みがないことを意味しているのもまた理解していました。
彼はイチかバチかこの手術にかけたのです。しかし、それには体力の回復が前提であると医師から通告されました。
彼女は担当医の許可を取って、軽い運動のために、毎日彼を散歩に誘い出しました。
風のない暖かい冬の夕方でした。結核患者にとって日差しは禁物であることをよく承知している彼女は、わざわざそうした時刻を選んだのです。
彼には初めて見るマスクをつけてない彼女の素顔と私服姿でした。彼女に手を引かれながら、彼は一年半ぶりの大地の感触を楽しんでいました。二人は広い池の前まで来ると、土手に腰を下ろして休憩しました。遠く水面で水鳥のつがいが仲良く泳いでいました。
「あれはかいつぶりよ」
ました。 彼女がそっと教えてくれました。
その後、二人は何度となく病院の周りを散歩に出かけたのでした。

彼女に連れ出され、何度か散歩を繰り返しているうちに体力も戻り、翌年の秋、彼はいよいよ左肺の半分を切除する手術を受けました。
手術は無事成功し、年が改まると彼は退院していきました。そして、間もなく大学にも復学したのです。
発病前も闘病中も協力を惜しまなかった姉は、彼への援助を条件に資産家の後妻となっていきました。老いた両親は相変わらず住み込みの職場で働いていました。彼は今度こそ両親と姉の恩に報いようと勉学に励んだのです。
彼女とのつきあいは続いていました。月に一、二度、食事する程度のものでしたが、いつしかそうしたデートも彼には義務的なものと映っていくようになりました。死と直面した時の苦悩や純粋な感情、それに彼女の献身に対する感激や感謝も、いつの間にか彼の脳裏から消えかかっていました。
退院して一年近く経ったころ、彼は彼女を強引に自分の部屋に誘いました。そして、「結婚はできない」 と念を押してから彼女を抱いたのです。
彼女との関係は翌年まで続きました。
冬が近づいた頃、彼女は彼に妊娠を告げました。

<続>

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