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シャッターチャンスは一度だけ(2) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル:

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
突然、”黄色のTシャツ”の子が、誠司に向かってわからないところがあるから教えてくれと、英語のテキストを差し出した。英語は誠治の得意分野だ。彼女を教えながら、テキストの裏をそっと見てみたが、名前を書く欄は空白だった。
 一時間ほども話し込んだろうか。列車の時間にはまだだいぶあったが、店を出ると少女たちとは別れ別れになった。とうとう最後まで、誰も彼女たちの名前を聞かなかった。ナンパに慣れているはずの落合ですら聞こうとしない。
 「この子らとも今後かかわることはないだろう。大学一年の夏の旅行。そのいい思い出のひとつになるだけなんだから……」
 自分に言い訳するように、そう思った。
 大阪行きの電車は六時ちょうどだった。発車のベルが鳴り、それぞれが席に着いて窓の外を見ると、改札にあの少女たちがいるのが目に飛び込んできた。こちらに向かって手を振っている。
 「見送りに来てくれているぞ!」
 誰かが叫んだ。
 列車が動き出した。落合と石川が窓を大きく開けて、身を乗り出し手を振っている。野沢は二人の体をかき分けるようにして首を出した。横井は相変わらず、少し後ろで突っ立っている。
 誠司はあわててドアに駆け寄り、手動の扉を目いっぱいに開けた。
 身体半分を列車から乗り出させ、手を振った。後から来た山本に押されて思わず落ちそうになったが、山本を怒っているひまはない。手すりを握っていない左手を大きく振り続けた。
 彼女たちはずっとこちらに向かって手を振り紋けてくれている。
 手を振りながら、誠司はあの黄色いTシャツの女の子の名前を聞かなかったことを急に後悔しだした。みんなは彼女たちが見えなくなるまで手を振っていた。一番最後まで手を振っていたのは誠司だった。
 列車のスピードが増して、それぞれが席に着くと六人は誰からともなしに、
 「いい子らやったなあ」
 「また会いたいなあ」
 と口にしていた。
 「来てよかった」
 誠司もそう思っていた。
 誠治の手元にはあの夏の旅行で撮った写真がある。
背の低い野沢は誠司と黄色いTシャツの彼女の後ろから、顔を隠されまいと一生懸命背伸びをしている。横井は一番右手で、いつものように少し離れて写っていた。そして誠司は短パンとビーチサンダルをはいた姿で、例の黄色いかシャツの女の子の横に腕組みしながら立っていた。
旅行から帰ってからというもの、誠司はあの黄色いTシャツの女の子のことを頻繁に考えるようになっていた。夏になると必ずと言っていいほどだ。いったん、あのさわやかな笑顔を思い出すと、なかなか頭から離れなかった。
 ガールフレンドもできたが、その思いは変わらなかった。
「もう一度会いたい」
 気持ちは年ごとに膨らんでいく。
しかし誠司が知っているのは、昭和五十四年八月十日に玄武洞に来ていた地元の高校一年生ということ。あとはこの一枚の写真だけだ。これだけの手がかりで彼女を探せるとはとても思えない。
 あれから十一年がたつ。彼女も二十六歳になっているはずだ。もう結婚したかもしれないが、まだ独身なら今が最後の機会だ。誠司は二年前に知った「初恋の人探します社」の電話番号を押していた。
 調査は三ケ月かかった。
 彼女はやはり福知山にいた。すぐに手紙を書き、表きりの写真を添えて送った。
 返事は、時を置かず届いた。十二等前の夏の玄武洞のことはあれきりすっかり忘れていたらしいが、添えられた写真を見て懐かしがってくれていた。
「スリムのジーンズやチューリップ帽なんて、ずいぶん古いスタイルだと思いました。でも、とても懐かしいです」
 手紙にはそう書かれてあった。続きには、彼女が二年ほど前まで大阪に働きに出てきており、誠司と二キロも離れてない所に暮らしていたことが記されていた。
 強くショックを受けたのは最後に善かれてあった文字だった。
「私はこの秋、結婚する予定です」
 それでも誠司は彼女に電話してみることにした。結婚が決まっているとわかっても、
「せっかく探し当てたのだから、一度だけでも会っておきたい」
 そう思った。
 電話して、彼女が「婚約者がいるから」とか、「結婚が決まっているのに今さら会っても」と言うようだったら会うのはよそう。しかし本音ではやはり、
「懐かしいね。昔話がしたいわ」
 と言ってくれることを期待していた。
 電話での彼女は気さくだった。純粋に懐かしがってくれた。
「福知山へ来られることがあったら、是非連絡して下さい」
 彼女の言葉に甘え、誠司は福知山に出かけていった。
 十一年ぶりの再会だ。季節は十一年前と同じ八月。
 そして彼女は予想していた通り、素略しい女性に成長していた。聡明で、謙虚で、礼儀正しい人だった。
「いっそ、結婚してくれていた方がすっきりしたのに……」
帰りの列車の中で思うのはそのことばかりだった。
彼女が自分のそばに住んでいたという二年前に、「初恋の人探します社」を知ったあの二年前に、〝黄色のTシャツ″の女の子を探しておけば何かが変わっていたかもしれない……。
 苦い後悔だった。
 車窓の景色はそろそろ夏の終わりを告げていた。
<終>

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