このページの先頭です

星に願いを(1) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル:

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 目の前に広がる海は波がぶつかり合い、ところどころで白く泡立っている。
 雲一つなく晴れ渡った空の下、一万トンの貨物船「富士丸」は衣料品や雑貨を満載してインド洋を一路西へと進んでいた。
 シンガポールでいったん給油を済ませ、マラッカ海峡を通ってペナンに立ち寄った。後は、南アフリカのダーバン、ポートエリザベス、そしてケープタウンに寄港する。
 神戸からケープタウンまでは、およそニケ月の行程になる。最後の寄港地ケープタウンですべての荷を降ろせば、帰りにはケニアのモンバサに立ち寄り、鉱石を積んで日本へ帰る予定になっていた。
 信治は、二等航海士としてこの船に乗船している。
 今日十二時に交替してから次の交替までの四時間、ほかの二人の航海士と共に、キャプテンが選定したコース通りに船を運行させるのが信治たちの責任だ。
 故郷和歌山の中学校を出てすぐ、信治は鳥羽の商船学校へ入った。三年間の座学のあと、一年の実習を積んで、今年、無事、甲種二等航海士の国家試験に合格した。今回の航海は、信治が二等航海士になって二度目である。前回はタイまでですぐに折り返したので、アフリカまでの遠洋航海は初めての経験だ。
 信治は、実際かなりはりきっていた。彼の夢は船長になることなのだ。
 海はただ青く、茫漠と広がっていた。
 海の青さがかすんで見えるのが気になる。信治は二度三度と目をこすった。
「くそ!風邪と寝不足のせいか!」
 ブリッジの窓の外に広がる広大な海を見ながら舌打ちをした。
 十一月の声を聞いて急に冷え込む日が続き、体調を崩していた。航海に出る前には完治させようと安静にしていたおかげで、四、五日で症状はおさまったのだが、それがここへきてぶり返したようなのだ。
 今朝四時に交替したあとに仮眠を取ろうとしたのだが、微熱、倦怠感に加えて関節まで痛み出し、ろくに眠れなかった。
 目のかすみは寝不足のせいだ。信治はもう一度目をこすった。
 午後四時になって次の当直のメンバーと交替すると、信治は同じ当直の同僚、安田に、
「眠る前に、ちょっと言振 (談笑すること) に行こう」
 と誘われるまま、食堂に向かった。
 料理を前にしても食欲はまったくわかなかった。体力をつけるためにも少しでも食べておこうとは思うのだが、どうも箸が動かない。
「おい、木村。食べないのか? めずらしいなあ」
 信治を見て、安田が声をかける。
「ああ、どうも食欲がないんだ」
「今さら、船酔いでもあるまい」
「いや、そうじゃなくて、風邪だと思うんだ。少し熱もあるようだし、身体がだるくて……」
「おいおい、うつさないでくれよ。しかし、風邪なら、なおさら食べておかないと」
「そうは思うんだけど、胃も荒れてるようで、口内炎ができてるんだ。食べ物をちょっと口に入れただけで、しみて、痛くて、痛くて…。最近、よくできるんだ」
「それはいかんな。先は長いんだから、体には気をつけろよ。もう、今日はすぐ寝ろ」
「ああ、そうするよ」
 信治はほとんど手つかずの料理がのった食器を返却口に置き、自分の船室へ戻った。
 四ケ月の長い航海が終わり、日本へ戻ると、信治は船医の勧めで関東のS医大で診察を受けることにした。
 最初は風邪と思っていた症状は、いったん治ったように見えても繰り返し信治を襲う。
 体のだるさがとれない。発熱することもあれば、関節も時々痛む。口内炎が治りきらず、湿疹のようなものができることもあった。
 何よりも視力がどんどん衰えてきた。
「ただの風邪ではないと思いますよ。陸へ上がったら、一度きっちり検査をした方がいいと思います」
 航海中、何度も医務室へ診察を受けにやってくる信治に、船医は言った。
 すぐに入院させられてあちこち検査をしたあげく、医者が信治に病名を告げた。
 ベーチェット病
 聞きなれない病名だった。
 信治があまりよくのみ込めていないまま、医者はそれがどんな病気なのか、努めて平静に説明してくれていた。
 失明のおそれがある。病気はおそらく完治することはないだろう。しかし、失明を少しでも遅らせるためにも、そして〝最悪の事態″を避けるためにも、引き続き入院治療が必要であるということ-。
 ほかにもいろいろ言っていたような気がするが、彼にわかったのはそれだけだった。
 病院の庭の桜の木は満開の花をつけ、風が吹くたびに、花びらが流れるように地面に落ちていた。
 信治はそのまま病院を抜け出し、外へ出た。
 さっきからガンガンと響く耳鳴りをかかえたまま、あてもなく歩いた。
 真っ白な頭の中にただ、「ベーチェット病」、「失明」という言葉だけが繰り返し浮かんできた。自分に何が起こったのか、よく理解できなかった。
 フラフラと歩くうち、信治は市民グランド横の大きな公園に出た。
 何十本もの桜の木の下で、たくさんの花見客が青いシートを敷いて宴を催している。酒を飲み、弁当を口にして、高笑いを上げているグループ。バーベキューの煙を出し、辺り一面にその匂いをまき散らしている家族連れ。まわりでは「早く、早く」とせがむ子供たちが群がっている。すでに食事が済んだのか、連れてきたマルチーズが走り回るのを寝そべって眺めている老夫婦。手拍子をたたきながら演歌に興じているサラリーマンたち…。
 信治は空いていたベンチに腰をかけ、しばらくそうした花見風景を眺めていた。
 彼には、まるで異次元の人々がスローモーションで動いているかのように映る。
 と、ふいに思い立って立ち上り、急いでバス停に向かった。
 駅前のショッピング街にある大きな本屋に駆け込むと、すぐさま「家庭の医学」を見つけて取り出し、目次を指で迫った。
 ベーチェット病…。
「一九三七年、トルコのイスタンブール大学皮膚科のべーチェット教授が発表した症候群。主として、二十歳から四十歳の男性を侵し…、
 …(症状は)まず口の中のただれが反復してでき、食物がしみて痛みます。つぎに陰部にも同じような潰瘍を生じ、これも出たり消えたりします。…眼には虹彩炎やぶどう膜炎が比較的突然におこり、数日から十数日で消退しますが、また再発します。このような発作が反復して炎症が繰り返されるうちに、目の各組織がしだいに荒廃する結果、失明に至ることがあり、これがこの病気のもっとも恐れられている点…。…多少の視力を残して症状が固定したものは極めて幸福な例外…、さらには髄膜脳炎症状を伴い死亡することもあり…。…特効的な治療法はまだ確立されておらず…」
 失明に至る…。死亡する例もある…。治療法はない…。
 信治はがく然とした。
 医者が言っていた〝最悪の事態″とは、〝死ぬかもしれない″ということだったのか!
 この若さで、もうすぐ目が見えなくなる。
 船長になる夢はどうなる?
 和歌山で一人暮らしの母親はいったい…!
 信治は本屋の棚の前でぶ厚い医学辞典をかかえたまま、へたり込んでしまった。
 書店員がいぶかしげに近づいてくるのが目の端に映った。しかしもうその場を動けなかった。
 昭和四十六年、信治、十九歳。うららかすぎるほどの春の午後だった。
<続く>

Please leave a comment.

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。

内容をご確認の上、送信してください。