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終戦…満州国境の純愛(3)| 秘密のあっ子ちゃん(219)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 昭和十九年、満州で最愛の婚約者を亡くし、彼の忘れ形見を死産した依頼人 (72才)は、苦難の末、ただ一人、祖国日本の地を踏むことができました。
 戦後、彼女は、彼と彼の子供を『いつか必ず慰霊する』という思いをバネに生き抜いてきました。
 彼女が強くそう思ってきたのは、早くに亡くなった愛する人をしのぶということだけではなく、一つのできごとが彼女を駆りたてていたのです。
 それは、終戦の日から、 ソ連軍の追撃を逃れてさまよった東満の国境の戦野でのできごとでした。
 昭和二十年八月九日、ソ連軍が進攻してくると、民間会社の男子社員は在郷軍人として関東軍の指揮下に入り、女子社員のうち身軽な者は女子軍属として篤志で従軍志願していきました。彼女もその中の一人として、負傷者の介護や破甲爆雷の箱詰め、炊事係の手伝いなどをして働きました。八月十五日の昼すぎ、突然、ソ連機が野戦基地に攻撃をしかけてきました。
 彼女は勤務交代で、同僚と一緒に宿舎に帰る途中でした。
ソ連機は彼女たちの頭上から、なでるようにあたり一帯に機銃掃射を繰り返したのです。
 彼女たちはやぶの中に逃げ込み、かろうじて難を逃れることができました。
 その時、彼女たちとともに逃れた一人の中年の男がいました。彼はH新聞社の特派員と名乗り、八月九日からずっと行動を軍とともにしていました。
 『日本は負けた。原子爆弾という強力なヤツが広島と長崎に落とされた。』彼女たちは、初めてこの特派員から日本が負けたことを知らされました。
 その日の夜半、ソ連軍の攻撃の合間をかいくぐって軍のトラックは一団となって山道を登っていきました。彼女は同僚の一人とともに、そのトラックの荷台にうずくまっていました。
 明け方、トラックがやっと豆満江岸に到着したとき、橋は既に関東軍の手によって爆破されていました。
 皆、ぼう然と岸辺に立ちつくしました。が、旧ソ連兵の目を恐れて、すぐに軍人も民間人も争って近くの山道に逃げ込んだのでした。
 その混乱の中で、彼女と同僚の友人は会社の人達とはぐれ、二人きりになってしまいました。二人が山裾の木陰にひそ
んでいると、あの特派員が現れました。『ソ連兵はもうこの辺りにいる。ヤツらの目を盗んで、女二人がこの河を渡るのは無理だ。俺が様子を伺って、お前達を向こうに渡してやる。そのかわり、俺の言う通りにするんだ。』
 彼はそう言ったのでした。彼女達はこの戦野で頼りにできる人もなく、彼の言う通りにすることにしました。
 彼は彼女達に所持品を全て出すように命じました。 二人が持っていたわずかな食糧と軍から支給された金を、この特派員は全て取りこんだのです。
 そして、彼女が肌身離さず身につけて持っていた婚約者の遺影を見つけると、 彼女の手からそれをひったくり、有無を言わさず破りすてたのでした。

<続>

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