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上海から来たホステスさん(1)| 秘密のあっ子ちゃん(231)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回もひき続き、尾行のお話をしたいと思います。
が、今回は通常のものとは様子が違っていました。
依頼人は三十八歳の男性で独身でした。
彼は、よく通っていたスナックで働いていた中国人女性に一目惚れしました。
彼女は二十九歳で、上海出身。修学生として来日し、日本語を勉強するかたわら、生活費を稼ぐためのアルバイトとしてその店に勤めていたのでした。目がぱっちりと大きく、色白で、しゃべり方がジュリー ・ドレフュスに似ていると言います。
三カ月程して、彼女はその店を辞めてしまい、連絡がとれなくなりました。彼はずっと彼女のことが気になっていました。
ある日、電車の中で偶然にも彼女と出会い、その時に新しい店の名を聞いて、
彼はまた彼女の勤める店に通いつめたのです。
彼は慣れない日本の生活は大変だろうと、何かと彼女の相談に乗り、いろいろ世話もやきました。
彼女の方も彼を信頼し、部屋にも遊びに来るようになりました。
そんなことが一年程続いたある日、彼は意を決して彼女に自分の気持ちを告白したのです。
彼女が答えた内容はこうでした。
『スイマセン。ワタシ、チュウゴクデ、ケッコンシテイマス』
そして、再び彼女は勤めていた店を辞め、彼の前から姿を消したのでした。
彼は彼女が結婚していることを初めて聞かされてショックを受けました。できることなら、一緒になりたいと思い、母にも彼女のことを話していたのです。
しかし、時が経つにつれて、彼女が既婚者であるということよりも、日本での彼女の身の上の方が心配で、それが気にかかってしかたなくなってきました。
そして、上海に旦那や子供がいても、せめて日本にいる間だけでも自分が力になってあげたいと考えるようになったのです。
『中国人の友達と一緒に住んでいると言ってたけど、日本人の友達がいる方が心強いに決まっている』
母は、『そんな、一緒になられへん子を探してどうするの?』と反対しましたが、彼は彼女を探そうと心に決めたのでした。

<続>

浮気?思い過ごし?(3)| 秘密のあっ子ちゃん(230)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

ご主人の浮気現場をつかむための尾行も既に五日目になっていました。この四日間はまるでその”微候”もありません。
五日目のその日は接待らしく、ご主人は訪ねてきた紳士とともに会社を出ました。新大阪で同伴の若い女性二人を拾うと、またもや例のてっちり屋へ行きます。その後はいつものパターンで、新地内のクラブをはしごした後、連れの紳士をタクシーに乗せると、 まっすぐ帰宅するのです。その日も帰りは午前様でした。
六日目の土曜日も二軒ほどクラブに立ち寄り、一人で帰っていきました。
一週間の尾行はこうして終わったのでした。
ご主人は”同伴”のために女性を連れていることはあっても”密会”するなどという行動は一切ありませんでした。
我が尾行班はというと、若くて元気がいいといえども、バブルがはじけたにもかかわらず豪遊しているご主人の尾行のために、寒い雪のチラつく冬の夜、毎日何時間も立たされて腹が立ってきたのでしょう。私は彼らに
『社長、この仕事が一段落したら、てっちりと新地三軒のはしごに連れてって下さいよ』と言われるはめになったのでした。

依頼人であるこの奥さんがご主人の浮気について最初に相談に来られた時は、『車のシートに毛皮のコー
トの毛が付いている』『香水の香りがする』といった程度のものでした。それに対して私達は『その程度なら浮気しているとは言い切れないですよ』と応対していたのですが、二回目の話では奥さんの心配も一理あると思えたのです。曰く、『友人の家に泊まっているはずが泊まってなかった』『出張と言って出ていったのに、女性と二人でホテルに泊まっていた』云々・・・。
そこで私達はご主人の尾行を決行したという訳ですが、一週間の彼の行動は”同伴”のために女性を連れ新地のクラブを何軒もはしごして豪遊してはいるものの、浮気をしているというような行動はまるで見当たらなかったのでした。
そのことを報告した時、 奥さんは本当にホッとした顔をしていました。
浮気調査は、ご主人に愛想がつきて離婚を前提に尾行を依頼されてこられるケースも多いのですが、彼女の場合はそうではありません。
彼女はご主人を愛していました。離婚などする気は毛頭なく、逆にご主人を誰かに取られるのではないかと不安でしかたなかったのです。それに加えて、お嬢様育ちで水商売のことも何も知らないために、香水の香りがするというだけでご主人が浮気をしているのではないかと心配になってくるのでした。そして、いろいろ考えていると夜も眠れず、食も通らず・・・といった、 本当に純情な奥さんです。
だから、ご主人の浮気の事実がないと分かった時は、本当に晴れ晴れとした顔をされました。
しかし、やっぱりまだ不安が残るのでしょう。彼女は、『佐藤さんは、主人が本当に浮気をしていないと思われますか?』と、念押しに私の意見を求めたのでした。
『少なくともこの一週間の行動から言えば、浮気している事実はありませんねぇ。マ、見るところ、新地の雰囲気がお好きのようなのでしょっちゅう飲みに出かけておられるみたいですし、その上、なかなかの紳士で金払いもいいということになれば、もてるのは当たり前でしょう。『”つまみぐい”はないとは言い切れませんが、少なくとも特定の女性とつきあっているということはないと思いますよ』
奥さんは私の感想にやっと安心したようでした。
『実は、これから主人とデートなんです。例のてっちり屋で食事する約束になっているんです』 と奥さん。その表情は乙女のように嬉しそうでした。
『そうですか。ごゆっくり楽しんできて下さい』 私は奥さんが元気になって本当によかったと、にっこり笑いながら答えたのです。そして、
『奥さんの健康のためにも、これからはあまり邪推されない方がいいですよ。また何かありましたらご相談にはのらせていただきますので・・・』とつけ加えたのでした。
これで彼女の心配事も消えて、当分は平穏な生活が送れることでしょう。何はともあれ『めでたし、めでたし』と、私は思ったのでした。
ところが、我が尾行班は、雪のチラつく寒い冬の夜に一週間も新地で何時間も立たされた恨みもあってか、彼女が帰っていったあと、『何がてっちりや!』とボヤいていました。
そして、またもや、私は彼らから日々に、『社長、僕らも今日こそてっちり屋に連れていって下さいよ』と言われてしまったのでした。

<終>

浮気?思い過ごし?(2)| 秘密のあっ子ちゃん(229)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

『その女の子が、主人の言うように、今尼崎に勤めているのなら、浮気の相手はこの子に間違いないと思います』
そういう依頼人の言葉に、私はおかしな話だと思いました。
『ご主人が浮気されているかどうかの確認でしたら、ご主人を尾行された方がはっきりするんじゃないですか?』
『いえ、その子が尼崎に勤めていないなら、それで気が済むんです』
と依頼人。
こんな訳で、私達はご主人が持っていた女性の名刺の裏に記載されている電話番号から自宅を突きとめ、勤務先への尾行を行うことになったのです。
その女性の自宅はすぐに判明しました。
張り込みは、彼女が同伴や美容室へ行くことを考えて、午後二時から開始したのです。
六時ごろになって、私は様子を見に行きがてら、張り込んでいる尾行班のために夕食のお弁当を持っていくことにしました。
そのマンションは吹き抜け構造になっていて、一階では管理人が常時出入りする人物に目を光らせているような建物でした。
尾行班の二名は目ざす女性の部屋の一階上の吹き抜け部分から見下ろす形で張り込んでいます。マンションの前には車が二台とバイク一台が、手前の車線と反対車線の双方に待機していました。
上のメンバーが腹ごしらえをして缶コーヒーを飲んでいると、突然ドアが開いて一人の女性がエレベーターに向かいました。彼らは”食後のコーヒー”を諦め、すぐさま三台あるエレベーターのうちの一台に乗り込みました。すると一階下で当の女性がそのエレベーターに乗ってきたのです。
私はというと、そろそろ上の様子を見に行こうと、張り込み車から出て、ホールでエレベーターが降りてくるのを待っていました。
エレベーターが一階に降りてきた時、私は二十四、五才の髪の毛の長いきれいな女性と我が尾行班に鉢合わせしたのです。
尾行班が私に『この子や』と目で合図を送った途端、彼女はエレベーターから脱兎のごとく走り出しました。時刻は七時前で、出動時間が迫っていたのでしょう。私達も彼女を見逃すまいと走り出します。管理人室の前を二人の男と二人の女が一団となって全速力で走り抜けるのを見て、管理人が『何やあいつらは ?』と思ったのは間違いありません。
彼女はマンションの前に路上駐車してあった車に乗り込み、急発進しました。
私達も待機していた車に乗り込むと、猛スピードで彼女を追いかけます。
新御堂に入ると、彼女は女性の運転とも思えないような荒っぽさで次々と車線変更し、前の車を追い抜きながらかなりのスピードで走っていきます。
『ごっつい運転やなぁ』
車の尾行はお手のものの尾行班もそう驚きながら、彼女の車を追います。マ、こういう場合、本人は時間に焦っているため、ほとんどバックミラーを見ることもなく運転しているので、かえって追尾しやすいのですが・・・。
彼女は猛スピードでかなり荒っぽい運転をしながら、梅田に着くと、何と国道一号を三重駐車して、文字通り車を捨てて新地の中へ駆けていきました。それに続いて、尾行班も駆け抜けます。呼び込みに立っていたボーイさんたちが、またまた『何やあいつらは ?』という風な目で見ていました。
結局、彼女は尼崎などではなく、キタの店に勤める子だったのです。
依頼人の奥さんはその報告に納得もし、一安心もしたのですが、それからまた半年もたった、今年の正月明けに、再び電話が入ったのでした。
依頼人の奥さんの今度の電話は、またもや『今度こそ、間違いなく浮気している』というものでした。
彼女が言うには、忘年会の日、『飲みすぎたので友人の家に泊まる』とご主人から電話が入ってきたにもかかわらず、翌日、その友人の奥さんから泊まっていないと、偶然聞かされたと言うのです。そして、今年に入ってご主人が出張で行かれたホテルに、急用ができたため電話を入れると女性と二人連れだということが判明したのだと言います。
彼女はまたしても心配で、げっそりやせてしまいました。
今回は浮気だと十分考えられる可能性がありますので、私達はご主人の尾行を行うことにしたのです。尾行期間は彼女の希望で一週間続けることになりました。
尾行第一日目。ご主人は会社を早めに出て、車を西中島へ走らせます。とあるマンションの前で若い女性が立っていました。前回勤務先を尾行した女性とはまた別の人でした。ご主人は彼女を拾い、梅田のてっちり屋に入っていきます。彼女の風体からして、明らかに”同伴”でした。
二人はそのてっちり屋を出ると、まっすぐ新地に向かい、彼女が勤めていると思われるクラブに入っていきます。
二時間後、ご主人はママや同伴した彼女に送られて、店を出てきました。ご主人は駐車場に向かわず、 新地内を歩いています。呼び込みに立っているいろんな店のボーイさん達に挨拶をされて、彼は新地ではかなりの”顔”のようです。
彼は新地の別のクラブに入り、結局その日は三軒の
クラブのはしごをして帰宅の途に就いたのでした。
その日は今年一番の冬日で、尾行班は雪がチラつく中、五時間も新地内に立ちつくすはめになったのです。
新地内のこと故、車を駐車してその中から張り込むわけにもいかず、また身を隠す場所もないので、尾行班は目立ってしかたがないとボヤいていました。
「社長、黒服たちに完全に”デカ”か探偵屋と気づかれてしまってますデ」
そういう彼らに私は、 『よし、じゃあ、明日から全員黒服で行け。そしたらクラブのボーイさんに見える』
と答えたのでした。
結局、彼らは私のその案を実行しませんでしたが・・・。
二日目、ご主人は午後二時ごろからゴルフの打ちっ放しに行き、七時ごろには帰宅しました。
三日目は社員二人を連れて、再び新地で豪遊です。帰宅は午前様でしたが、浮気の兆候は見られませんでした。
四日目、この日はまともに会社にいて、何やら広告関係の仕事をしている様子で、午後六時ごろ退社。それからパチンコを二時間ほどして帰宅したのです。
浮気の現場は四日たっても出てきませんでした。

<続>

浮気?思い過ごし?(1)| 秘密のあっ子ちゃん(228)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回は久しぶりに尾行のお話をしましょう。
以前にもお話ししましたように、浮気調査の依頼には依頼人の『思い過ごし』 もかなり含まれています。
今回お話しする依頼人のケースも、私は『どうもこの奥さんの思い過ごしのような気がする』と思っていました。
彼女が言うには、ご主人の帰りが遅い、車のドアを開けるときつい香水の香りがする、助手席に毛皮のコートの毛がついている、といったたぐいのものでした。
聞けば、ご主人は広告関係の会社を経営し、業務のほとんどは社員がこなしてくれる上に、不動産も所有していることから、長時間働かなくても済むと言います。その上、飲みに行くのが大好きで、しょっちゅうキタやミナミに出かけていると言うのです。
『それなら帰りも遅くなるでしょう。同伴で店の女の子を車に乗せただけでも、車の中に香水が香るし、毛皮の毛がつくことも十分考えられますよ。もう少し様子を見られた方がいいのではないですか?』
私はそう答えたのです。
『そんなもんなんですか?』お嬢さん育ちらしい彼女は、ネオンの世界のことは全く知らないようでした。
『”同伴”でもすれば、それくらいのことはありますよ』
帰宅が遅い、車に香水の香りがする、毛皮のコートの毛がついているといったことで、ご主人が浮気していると思い込んでいた依頼人は、”同伴”というシステムさえも知りませんでした。
『そんなもんなんですか?』
『もう少し様子を見られた方がいいと思いますよ』という私の言葉に、その日、彼女は納得して帰って行きました。
それから半年ほど経って、彼女から電話が入りました。
『今度は間違いないです! 名刺が出てきたんです!』
『いやぁ、名刺なんていうのはみんなに配りますよ』
『いえ、この前、カードの支払い明細に”婦人服”ってありましたから、問い詰めましたら、『行きつけの店の女の子の誕生日にプレゼントするって、前から約束していたから買ってあげた』 と言うんです。この子が絶対怪しいですよ!この名刺の子が服をあげた子だと言います!』
彼女の意気込みは、もう『そんなんで浮気と言えるかいな』と、私に言わせないものでした。
『この名刺の子に間違いないです!』
一度ならず二度も、ご主人の浮気を訴えてきた依頼人は、『私、夜も眠れないんです。食欲も出ませんし・・・どうしたらいいのか・・・』と辛そうに言いました。
私から言わせれば、金にゆとりのある経営者が毎夜ネオン街で遊び回っているだけとしか見えないものでも、当の奥さんにしてみれば悲痛でした。お嬢様育ちの彼女は、夫が常に自分の方に向いていてほしいと思っていました。仮に浮気が事実であっても別れる気など毛頭なく、ただただ不安なのです。
『主人は、服をプレゼントした子は前の店を辞めて尼崎の店に変わったから、もう会ってないと言ってるんですが・・・』
『尼崎? キタの子が尼崎へ?』
『ええ、そう言ってました。名刺の裏に電話番号が書いてありましたから、それが自宅だと思います。その子が尼崎の店に行ってる子かどうか確認してほしいんです』
私は変な依頼だと思いました。
『ご主人が浮気されているかどうかを確認されたいんでしたら、ご主人を尾行した方がいいんじゃないですか?』

<続>

元諜報員の初恋(3)| 秘密のあっ子ちゃん(227)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

常に『死』と隣り合わせの諜報員としての任務を負っている依頼人(当時20 歳)は、最愛の彼女に対してどうすることが彼女のためなのかを思い悩んでいました。
しかし、南方での『玉砕』が相次いで報じられるようになると、彼は残された時間はあまりないと痛感しました。
ある日、彼は意を決して彼女を母親と伯父に引き合せ、一緒になりたいと告げたのです。
『あんたら、もう子供ができるような仲なんか?』
伯父が開口一番言ったのは、その言葉でした。
『そんな人に聞かれて恥ずかしいことは何もしてない!』
彼は怒りに震える手を握りしめて反論しました。彼女はじっとうつむいたまま耐えていました。
『それならちょうどよろしい。あんたら別れなはれ』 母が言いました。『あんたみたいな、何をしてるか分かれへん子が今、所帯なんか持ったら、私さえ養うかどうか分かったもんやない!私は許しまへんで』
『それやったら、話が違うやないか。ええ娘やったら相談にのってやると言うから連れてきたのに!』
『いや、やっぱり二人ともまだ若すぎます』
母と伯父は頭から聞く耳を持っていませんでした。
親への『孝』が何よりも重んじられた時代でしたが、二人の仲を侮辱する母と伯父の言葉に、依頼人は煮えたぎる怒りを覚え、育ての『母』を捨てて彼女と一緒になる決意を固めたのでした。
と、今までうつむいたままじっと耐えていた彼女が、突然『失礼します』とだけ言って、ハンカチで目頭を押さえ、玄関へ走っていきました。
彼が痛む足をこらえながら追っていくと、彼女は自宅の近くの空地で泣いていました。
『すまんかった。あんなひどいことを言われるなんて、予想もしてなかった。 今日のことは忘れて、僕と二人だけの生活を考えてほしい。ついてきてくれるか ?』
彼女はただ泣いているだけでした。
その時突然、警戒警報のサイレンが鳴り始めたのです。
『どんな辛いことがあってもついていくつもりやったけど、私、お母さんのあの言葉はどうしても忘れられません。もう自信がない・・・』
『だから、母のことはもういいから、僕に命を預けてくれんか!』
今度は空襲警報が鳴り響き始めました。
『ごめん!かんにんして !もうついていけません !』
彼女は崩れるようにしゃがみ込み、激しく泣きました。
彼女が彼の真意を理解し得たとは到底思えませんでしたが、もはや時間はありませんでした。空襲警報は非情に鳴っています。
彼は彼女を抱き起こし、 自分のハンカチで彼女の涙を拭って、急いで彼女を自宅へ送り届けたのでした。
警報がけたたましく鳴り響く中で、彼は彼女が自宅へ入るのを見届けながら、
『僕は明日の命さえ分からない任務がある。君はいつまでも幸せに生きてくれ』と祈っていました。
彼が彼女の姿を見たのは、それが最後でした。昭和十九年、月の美しい秋の夜でした。
予想通り、彼はその後すぐに中国大陸での任務のために、日本を離れました。
戦争が終わった時には、彼は命こそ永らえましたが、足の傷以外にもほとんどの視力を失っていました。
諜報員としての立場上、 軍籍を持つことができなかった彼は、軍人としての職務を果たしても、戦争で障害を受けても、戦後、恩給を受けることはできませんでした。
終戦と同時に価値観が一変し、彼は自分の前半生が全く報われないものであったと痛感しました。
彼は、自分の生命は終戦の『あの日』に捨てたのだと考えていました。海軍の教育が、諜報員としての訓練が、彼にそう思わせていました。戦後の日々は、自分の人生の『おまけ』だと。
しかし、彼は生き抜きました。戦前、戦中以上の苦労を味わいながらも、いつか彼女に再会できることだけを支えに、懸命に生き抜いたのでした。今なら、彼女に彼の『真意』を話すことができるのです。
彼は独力で彼女を探し始めました。が、その行方は査(よう)としてつかめませんでした。私達が彼の依頼を受け調査した時には、彼女は何と十年以上も前に亡くなっていたのです。
私は報告書を作成しながら、涙を抑えることができませんでした。彼にとって彼女との再会は、七十年の彼の人生と同じくらいの重みを持っていることを、私はよく分かっていました。
私は、彼がこの世では二度と彼女に会うことはできないと知れば、生きていく気力を失うのではないかとさえ心配しました。
報告書を手渡してからひと月後、私は彼から一通の手紙を受け取りました。
『・・・心の底まで理解して下さる助言に、心洗われる感動で胸が一杯になり、過去、未来、そして現在を正視するための『仕切り』をこ立てるべきだと感じるようになって参りました・・・』
私は、1cmあるかないかの彼の視野で打たれたそのワープロの手紙を見て安心しました。彼が過去の思い出を大切にしながらも、自分の人生をもう一度スタートさせてくれるだろうと感じたからです。
私は、彼が最後のその瞬間まで、生き生きと輝いて過ごしていってほしいと、今も心から願ってやみません。

<終>