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初恋の人は兄の親友(1)| 秘密のあっ子ちゃん(266)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回は幼なじみだった二人のお話です。
依頼人は六十才の女性。彼女は幼い頃から結婚するまで神戸市に住んでいました。兄弟は四才年上の兄と二つ違いの妹がいました。幼少時代は兄と共によく近所の子供達と遊びました。その中に、兄と同い年の彼がいました。彼と兄とは大の仲良しで、学生時代も社会人になっても親友でした。
彼女にとって、彼は初恋の人でした。いつ頃から恋心を持ったのかはもう記憶にはありませんが、娘時分には自分の心の奥底に、「この人」と決めていました。昭和二十七年、彼女が十七才の時、彼は勤務していた会社から東京転勤を命じられました。それからしばらくして兄も結婚しました。当初は手紙や葉書のやりとりをして、彼女は彼と連絡を取っていましたが、それもいつしか遠のき、やがて彼が東京から再びどこかへ転勤してからは音信不通となってしまいました。彼女自身も自らの就職や親が勧める縁談話がいくつも出る中で、次第に彼の面影は薄れていきました。
彼女が彼の姿を最後に見たのは、兄の結婚式の日でした。それから四十四年の月日が流れました。
幼なじみで親友だった兄も、自らの結婚と彼の二度目の転勤を境にして連絡が途絶え、彼の所在は知りませんでした。
法事などで兄と顔を合わせた時、昔話が出た折などは兄も彼の話を懐かしそうにしてはいましたが、「探そう」というところまではいかず、結局そのままになっていました。その兄ももう三年前に亡くなってしまっています。
依頼人は常日頃、初恋の人である彼のことを兄以上によく思い出し気になっていました。そんな彼女が、彼の消息が分らなくなって四十四年目、当社の存在を知って依頼してきたのでした。
私達は真っ先に、当時彼が勤務していた会社へ聞き込みに入りました。しかし、彼は随分以前に退職しているらしく、彼に関する書類は残っていませんでした。 私達は引き続き、彼女が知っている限りの手がかりを元に調査を進めました。しかし、彼の所在は杳としてつかめません。
彼には二つ違いの弟さんがいて、実家は彼が東京へ転勤して間もなく、父方の田舎である石川県へ引っ越していました。私達は最後の手段として、石川県内で彼の実家か親戚筋を探し始めたのです。

<続>

 

老婦人のわだかまり(3)| 秘密のあっ子ちゃん(265)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

人探しの調査の結果、夫であった人は昭和五十八年に亡くなっていました。
「そうですか。そんな前に死んでおられたのですか…」
報告した時、彼女はそう言いました。若くて元気だった姿しか記憶のない彼女にとって、それは意外な事実だったようです。
彼女につらく当たった姑は今も健在でした。
そして、何よりも、彼女の息子は立派に成人し、大企業の幹部として、三子の父として、元気に暮らしていることが判ったのでした。

五十年ぶりにやっと我が子の所在が判ったものの、彼女(70才)には新たな悩みが出てきました。
一目なりとも会いたいけれど、今さら自分が現われては迷惑をかけるのではないかということでした。息子には、二才になるかならないかの時から育ててくれた義理の母がいるのです。それに、彼女につらく当たり、心底彼女を嫌っていた姑もまだ健在なのです。そんな事情から、彼女は自分が現われることによって、我が子が板挟みになることを恐れていました。また、五十年も経って現われた自分のことを「財産目当て」と勘ぐられるのではないかという不安もありました。しかも、そもそも彼が彼女の存在を知っているかどうかさえも分らないのです。 彼女の苦悩は息子の消息が分らなかった時以上に深まったのです。
しかし、それでもやはり我が子には会いたい…。せめて、自分が生きているうちに、一目なりとも…。それに彼に年ごろの娘が三人もいるのなら、その孫達が結婚する時に、僅かだけれど自分が大切にしてきたものをあげたい…。彼女はそんな想いを消すことができませんでした。
彼女は探偵さんにコンタクトを取ってくれるようにと依頼してきました。
実の息子にコンタクトを取ってくれるようにと頼まれた私達は、彼が依頼人(70才)の存在を知っているかどうかが分らないため、電話で連絡を取ることを避け、手紙を出しました。 それには突然の手紙の非礼を詫びた上で、依頼人が彼を手離さざるを得なかった五十年前の経過と、現在の彼女の心境をしたためました。そして、彼が依頼人に会う気があるにしろ、ないにしろ、何らかの返事をくれるように頼みました。 しかし、待てど暮らせど彼からの返事は来ませんでした。私は、突然の話のこと故、彼の方にも心の整理が必要であろうということは重々承知していましたので、はやる気持ちの依頼人に気長に待つようにと説得していました。しかし、それにしてもあまりにも時間が経過しすぎていました。 三月後、私は思い切って彼の自宅へ電話してみました。電話口には奥さんが出られました。奥さんの話のよると、彼は現在、九州へ単身赴任しており、週末に自宅へ帰ってくるということでした。
「あなたから手紙が届いたのは覚えています。主人にちゃんと渡しましたので、もう読んでいるはずだと思いますけど…」
彼女はそう答えました。 私は彼の奥さんに、彼の方からとりあえず一度連絡をくれるように頼んでおきました。
翌週、彼から当社に電話が入りました。
彼は悩んでいました。
依頼人(70才)の存在は子供のころから何となく知っていたと言います。そして、高校生の頃、彼は独力で実母を探そうとしました。しかし、その時は探しきれず、彼女を探すのは断念したのです。その後も心の片隅には実母のことが気になっていましたが、彼自身が大人になり、自らも人の子の親になっていくと、実母を探すことは自分を育ててくれた継母を傷つけるのではないかと思うようになって、今までそのままにしておいてたのだということでした。
「私に実母がいることは知っていました。ずっと北海道にいると聞いていましたので、大阪だと分って驚きましたが…。母の気持ちはよく分りますし、決して忘れているのではありませんが、もう少し時間をいただきたいのです。自分の心の整理というよりは、いろいろな兼ね合いで…」
彼はそれ以上、言葉を濁して語りませんでしたが、継母のことを気づかっていることは明らかでした。
彼とのやりとりを依頼人に報告すると、彼女も彼の言うことを理解し、今すぐ会いたいという気持ちを押さえたのでした。
彼女は我が子にまだ再会はできていませんが、いつか会えると信じつつ、自らの半生に一つの区切りをつけたのでした。

<終>

老婦人のわだかまり(2)| 秘密のあっ子ちゃん(264)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

夫が出征してしまうと、夫の養母である若い姑は依頼人にますますつらく当たりました。それだけではなく、生まれたばかりの長男の世話の一切を自らがして、彼女の手から取り上げてしまったのでした。耐えに耐えていた彼女も、実家の勧めもあり、ついに息子を連れて婚家を出ました。
実家へ戻って彼女は嫁ついで初めて、のびのびと眠ることができました。出征していった夫が帰国した時のことを考えると気がかりはありましたが、母も弟も息子を可愛がってくれ、申し分はありませんでした。 ところが三週間経ったころ、姑と親戚筋の男達が四、五人、突然乗り込んできて、あっと言う間に息子を連れ去ってしまったのです。
彼女は何度も婚家に出向き、息子を返してくれるように頼みました。その度に姑からは口汚く罵られ、「あんたが出ていくのは勝手だすけど、あの子はウチの跡継ぎだす。渡す訳にはいきまへん」の一点張りの言葉に、我が子の顔すら見ることもできず、引き返さなければならない日が続きました。
そうこうしているうちに母も弟も相次いで病いに倒れてしまいました。食糧事情の悪さがっ祟ってのことでしたが、今度は彼女が一家を支えるために働きに出なくてはならなくなりました。

終戦後のドサクサの中では女手一つで二人の病人の面倒を見るためには、息子のことは気になりつつも、到底迎えにいける状況ではありませんでした。それでも彼女は、同じ年ごろの男の子を見る度に我が子を思い出し、ただ一枚持って出たお宮参りの時の息子の写真を見ては涙にくれていました。
やがて弟は死亡し、年老いた母との二人の生活になりました。世の中も少し落ち着いた頃、彼女は婚家を訪ねました。しかし、姑の厳しい言葉で門前払いにされ、息子の顔すら見ることができませんでした。夫は復員後、姑がお気に入りの遠縁の娘さんを新しく妻に迎えていました。
彼女は結局、婚家へ連れ去られて以来、一度も我が子を抱くことも、その顔すら見ることができなかったのです。
それから五十年が経ちました。彼女は長い間独り身で通しました。人生の半ばを過ぎて良き伴侶に巡り合うことができましたが、彼女は片時も息子のことを忘れたことはありませんでした。
乳飲み子の時に引き裂かれた我が子の面影を抱きしめ、その安否と成長を夢に見つつ、誰にも言えない苦悩を自分一人の胸に秘めながら、依頼人(70才)は五十年の歳月を過ごしました。彼女にとってつらいのは、腹を痛めた我が子の姿を見ることができないということもさることながら、他目には何不自由のない悠々自適の生活を送っていると思われているのに、そうした苦悩を誰にも相談できないということでした。
これまでの想いが昂じたのでしょう。彼女は私達に事情を話ながら、涙を止めることができなかったのです。
<続>

老婦人のわだかまり(1)| 秘密のあっ子ちゃん(263)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

こういう仕事をしていると、肉身の情の強さというものをつくづく感じざるを得ません。家出した娘を心配して食も喉を通らないという両親はもちろんのこと、三十年も蒸発したまま行方不明になっている兄を探してほしいという姉妹、生き別れた父親を探してほしいという娘さん、その想いやひっかかりは簡単に言葉で言い表わせないものがあります。
今回は今年七十才になる女性のお話しをしましょう。 その老婦人は、昨年の春に初めて調査の相談に当社にやってきました。上品な感じで、その上七十という年令にも関わらず大層お元気そうな方でした。
彼女はなかなか本題に入りづらそうで、私は暫くの間彼女と何やかやと世間話をしていました。その話によると、彼女は十年以上も前につれあいを失くし、今は一人暮らしをしているとのことで、趣味はゴルフ、その腕前はシングル並み、古くからの友人達と温泉や海外の旅行によく行くという、見た通りの何不自由のない生活をしている優しそうなおばあさんでした。
ところが、そんな一見何の心配もない悠々自適の老婦人と見える彼女にも、実は三十年以上に亘って誰にも言えず、ただ一人で悩み続けてきたあるわだかまりを抱えていたのでした。
依頼人(70才)が嫁いだのは、昭和十八年の秋、彼女が十八歳の時のことでした。夫となった人は十才年上の男らしくて優しい人でしたが、少し複雑な家庭環境の中で育った人でした。
と言うのも、遠縁に当たる家に男子がいなかったため、三男であった彼は生まれてすぐに養子に貰われていったのです。成人間近になって養母が死亡し、養父は彼とあまり年の変わらない若い女性を後妻に迎えました。
なくなった最初の養母と同様、この五才年上の二度目の養母は彼を弟のように可愛がってくれました。
しかし、依頼人との縁談が持ち上がった頃、今度は養父が死亡したのです。年離れた夫が亡くなると、若い養母はこれまで以上に彼を可愛がることに没頭するようになりました。
養父の喪が明けると、依頼人と彼は、戦時中のこと故、ささやかな式をあげて入籍しました。婚約時代、何回か訪ねた時はとても優しかった若い姑は、彼女が嫁になるやいなや、とても厳しくなりました。それは彼女の挙動を監視するかのようで、彼女は些細な失敗でも口やかましく罵られました。まるで、彼の妻となった依頼人への嫉妬のほうに…。
依頼人は結婚した途端に豹変した夫の養母の仕打ちに耐え、嫁としての勤めに精を出していました。
一年後、彼女は身籠りました。夫は初めての子を大層喜び、彼女の体をいたわってくれましたが、出産経験のない若い姑はますます彼女につらく当たりました。 そんな矢先、夫に召集令状が届いて、彼は産み月を待たずに出征していきました。昭和十九年も押し詰まった寒い冬の日のことでした。 夫が出征していくと、彼女は毎日ちくちくといやみを言われ、時には些細なことでも厳しく叱責される姑との二人暮らしをじっと耐えるの中で長男を出産しました。
「孫」ができると姑は夫の代りに長男を溺愛するようになりました。息子の世話の一切を姑がし、彼女は我が子でありながら手を触れることさえできない状態が続いたのです。しかも、長男が日に日に成長するに従って、姑は彼女をまるで邪魔者かのように扱い出しました。
こうした状況を知った彼女の実家では、「早く子供を連れて帰ってくるように」と矢のように催促し出しました。
そしてついに、長男が生まれて半年後、昭和二十年七月に彼女は長男を連れて、婚家を出ました。

<続>