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風にふかれるストレートヘア (2) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル

 これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
「私とつきあわへんねんやったら、千里とつきあったってくれへん?」
  心臓の鼓動が一瞬止まり、体内の血が逆流して全部頭に集まったような感覚に陥る。顔が赤くなっているのが自分でもわかる。良美に悟られまいと思わず横を向く。
「いや?」
  良美は和宏が怒ったと勘違いしたのか、彼の顔をのぞきこみ、取りなすように説明しはじめた。
「千里はね、前から柏本さんのことが好きだったん。だけど、私の方が先に柏本さんのことが好きになったから、私が先に申し込んだんよ。それで、柏本さんがOKだったら、千里は柏本さんのことをあきらめる。もし、私がふられたら、千里のことを言ったげるという約束になっていたん。この前は、それを言う間がなかったから…」
  和宏はうれしかった。まさか、とも思った。できたらあんな子とつきあいたいとずっと思っていた。二つ返事でOKと言いたかったが、まだ頭に血が昇ったままの状態で、言葉を発することができない。
「柏本さんの好きな人って誰なん?千里はええ子よ。あの子、真剣やねん。嫌いじゃなかったらちょっとでもつきあったげて。私のことは気にせんでええから。あかん?」
「いいけど・・・」
  口にできたのはそれだけだった。
「ほんと?ありがとう!それやったら、すぐに言ってくるわ!」
  良美は階段を駆け下りていった。
  和宏は屋上に出た。校庭で走り幅跳びの練習をしている千里の姿が見えた。喜びが体中から湧き上がってくるようだった。今までこうやって遠くから眺めるしかなかった千里が急に近い存在に感じられた。
  校舎から飛び出し、制服のスカートを巻き上がらせながら砂場に走っていく良美の姿が見えた。千里に手を振りながら何か叫んでいる。
「いいヤツやなぁ」
  二人は二言、三言何か話していたが、千里が驚いた表情で屋上を見上げた。和宏はとっさに身を伏せてしまった。
  その日、和宏は陸上部の練習が終わるのを待った。昇降口の下駄箱の陰で立っていると、千里が陸上部の部員数名とやってきた。和宏に気づいて一瞬驚いたように立ち止まった。
「じゃあね、千里、バイバイ」
  他の部員は和宏のことを聞いて知っているのか、千里を残して帰っていった。
  和宏が歩き出すと、彼女も少し後ろからついてきた。何も喋らない。和宏も何を喋っていいのかわからなかった。沈黙が息苦しかった。
「受験勉強があるのに、遅くまで待ってもろて、ごめんね」
 ようやく、千里が口を開いた。
「そんなん、かめへん」
 また沈黙がふたりを包む。
「良美って、ええ子やろ」
「そやなぁ」
  そして会話は途切れた。
  別れ際になってやっと千里が口を開いた。
「無理言うてごめんね」
「そんなん、気にすんなよ」
  和宏はそれしか答えられなかった。
 和宏は悔いていた。ろくに喋ることもできなかった。千里は自分に失望したのではないだろうか?明日になったら、つきあうのをやめると言ってくるのではないだろうか?不安が襲ってきた。その夜、悩んだあげく千里の家に電話した。呼び出し音を聞いている間に不安は頂点に達していた。
  幸い、電話をとったのは千里だった。
「今日は悪かったな」
「ううん。私こそ。もう会ってもらわれへんと思ってた」
  その言葉を聴いた途端、和宏に元気が戻り、いつもの自分になれた。ふたりは先ほどの沈黙がうそのように喋った。友達のこと、クラブのこと、教師のこと、試験の結果のこと…。
「なあ、ちょっと出てこられへんか?」
「いいよ」
  時刻は午後十時を回っていた。
  公園のブランコに腰かけながら待っていると、千里は白いマフラーを巻いた姿で息をきらせて駆けてきた。
  ふたりで並んでブランコにすわり、電話の続きを話し始めた。
  ただ遠くから眺めているだけの時は、自分より大人っぽく見えていた千里だったが、こうして話してみると、自分と同じ感覚だということがわかって安心し、その発見がより一層、千里との距離を縮めたように思えた。
  二時間、三時間、ふたりの話は続く。あと一週間もすればクリスマスというその夜、ふたりの息は白く、空の月はさえざえとしていたが、和宏は寒さを感じなかった。
  次の日の夜も、ふたりは公園で会う約束をした。
  三日目の夜は、ガレージに置いてある和宏の父の車の中で話した。
 千里が笑いこけた時、持っていたポシェットを運転席に座っている和宏の足元に落とした。千里はそれを拾おうとして、身を折り腕を伸ばした。和宏のジーンズをはいた太腿に千里の長いストレートの髪が垂れた。一度触れてみたいと思っていたその髪の毛に、そっち右手を伸ばしかけた時、千里は突然身を起こした。和宏はさっと右手をひっこめ、おむもろにハンドルを握った。カーラジオからは長渕剛の「ろくなもんじゃねぇ」が流れていた。
 「正月の間は和歌山の祖母のところに行くから。電話くれる?」
  千里からそんな電話がかかってきたのは大晦日の夜だった。
  和宏は約束通り、正月三日に聞いていた電話番号を回した。
  電話を取ったのは千里の祖母らしい人物だった。彼女は和宏が千里とどういう関係なのかを根掘り葉掘り聞いたあげく、
 「千里は今いません」
  と無愛想にガチャンときってしまった。
  折り返し、すぐに千里から電話があった。 千里は「二、三ヶ月会えない」と言った。
「なんで?」
「ちょっとね…」
  それ以上何も言わない。
「連絡してこいよ」
  和宏はそう言って、受話器を置いた。
  三学期の授業が始まって一週間たっても、千里は学校に姿を現さなかった。
  ~ 続く~

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