これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
人はさまざまな人生をかかえて生きています。
だれもが多かれ少なかれ、その人なりの苦労をし、小さな喜びを支えに、持って生まれた『星』のもとで精いっぱいに生きておられます。その人生に「重い」「軽い」の区別はありません。
しかし、時として思わず絶句してしまう人生にぶつかることがあります。
その依頼人は四十三歳の男性でした。彼が当社へかけてきた電話は、「現在四十歳くらいになる、ある女性に会いたい」というものでした。
初めのうちは『思い出の人を探したいのだろう』と話を聞いていましたが、その内容がどうにも要領を得ないのです。
彼女の氏名だけははっきりと言うのですが、どこで会ったのか、いつごろのことなのか、探す手掛かりの有無は・・・といったことも、「何も分からない」と繰り返すばかりでした。
「そもそも、あなたと彼女はどういうおつながりなのですか」
私は聞きました。
彼は一瞬ためらい、そして言ったのです。
「実は、まだ一度も会ったことのない異母妹なのです」
それまで詳しい話をすることに躊躇(ちゅうちょ)しているかのような依頼人でしたが、『異母妹』という言葉を口に出した途端、思いを定めたかのように一気に話し始めました。
彼は成年に達するまで児童福祉施設で育ちました。
一人っ子でした。
母親は小学一年生の時に死亡し、父親に連れられて施設に入所したそうです。
その後、父親は二、三度だけは彼に会いに施設へやって来てくれたそうですが、それ以降は全く音信不通となりました。
父親は、もともと母親が健在だったころからよく家を空ける人で、彼には父親に遊んでもらった記憶がほとんどありません。
緑の薄い父親をそれほど恋しいとは思わなかったそうですが、やはり唯一の肉親です。父親が消息不明になってしまったことは、幼い身にとって、とても心細かったと言います。
二十歳になった時、彼は 自分の父親の戸籍謄本を取りました。すると、そこには何と、父親が二年前に死亡していることが記載されていたのでした。ショックでした。
しかし、驚きはそれだけではありません。父親に婚姻歴がなく、母は入籍されてなかったばかりか、自分以外にもう一人、認知されている女の子の名前を発見したのです。 その名前を見たとき、彼はうれしかったと言います。『天涯孤独の身』と思っていた自分に、血のつながった妹がいることが分かったのですから・・・。
彼はこの異母妹に会いたいと思いました。いつかきっと探し出して兄妹の名乗りをあげたいと思いました。
しかし、その思いは二十年たっても実現しませんでした。
どんな人なのか、自分を 兄として受け入れてくれるのか・・・。そうしたことをあれこれ考えると「いざとなると、どうもためらってしまう」と彼は言いました。
そして、当社へ電話してきたときでさえ、彼はまだ迷っていました。
<続>
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