これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
依頼人(38才)が当社にやってきたのは、暑い夏の午後でした。
彼は、彼女の苗字も日本語学校の名前も知りませんでした。ましてや、上海の家族の住所も、中国人仲間と住んでいるという住所も、聞いていませんでした。いえ、日本での彼女の保証人が『厳しい人だから』と、住居も電話番号も決して教えてくれなかったと言います。
分っているのは、『蘭々』という下の名前と『夜、スナックか飲食店でアルバイトをしているのには間違いないだろう』ということだけでした。
『ビザの更新のため六ヶ月に一度くらい上海へ帰りますが、今回は最近帰ったばかりなので当分は日本にいると思います』
『ひょっとしたらまた連絡を寄こしてくるかもしれないけれど、それを待ってはいられません』
彼の話を聞いて、私はすぐに質問したのは名前のことでした。
『『蘭々』というのはパンダみたいな名前ですが、本名に間違いないですか?』
私のその問いに対して『彼女は本名しか使わない』と、依頼人は断言したのでした。
私達は依頼人が言う手がかりから、大阪市内の日本語学校に”蘭々さん”という女性がいないかどうかを、しらみつぶしに当たっていきました。
しかし、該当者はいませんでした。
そこでやむなく、彼女から依頼人への最後の電話で言っていた『今度、大きなパブに勤める』という言葉を頼りに、それらしいパプを軒並みあたっていったのです。幸運なことに、何十軒目かのパブで、蘭々さんはいました。
彼はすぐに彼女に会いに行きました。
『アナタ、ナゼ、ソンナニワタシヲサガス?』
彼女はそう言ったものの、その日彼が彼女の勤務の終わるのを待っていると、彼女は彼のつもる話を何時間も聞いてくれたのでした。
彼女はワープロの練習をしたがっていました。彼は彼女にワープロをプレゼントしようと考えました。そして、次の休みの日、そのワープロの操作を教える約束をして別れたのでした。
ところが、その夜、彼がベッドに入りあれこれ考えているうちに不安になってきました。
『勤務先が分かっても、転職すればまた連絡が取れなくなる』
翌朝、彼は早速当社に電話してきました。
『住所を知ってそこへ押しかけるつもりは全くありませんが、自分の『安心』 のためにも、せめて彼女の住所を知っておきたいのです』と彼。
『う~ん。そうなると尾行しかありませんよ』と私。
そんな訳で、彼女がワープロを習いに彼の部屋へ来る日に尾行を決行することになったのです。
『彼女とできるだけ長く一緒にいたいというお気持ちは分かりますが、今日は尾行だということを頭に入れて、できるだけ早く切りあげて下さいネ』私はそう依頼しました。
『はい、わかりました』
彼はそう言ったものです。
ところが、その当日、早く切りあげるどころか、彼女が部屋に入ってからの時間の長いの何の。
あまりにも長いので尾行班もじっとしておれず、部屋の様子を伺いに行きます。
『社長、あきまへんわ。 まだ変換がどうの検索がどうのと、二人でキャッキャッやってますから、まだまだかかりそうですわ』
こういう時に困るのがトイレです。特に女性は大変です。私は五分程歩いてパチンコ屋やガソリンスタンドを借りるはめとなったのでした。
夜がすっかり更けてもまだまだ張り込みは続いていました。
と、中年のおばさん達の声が聞こえてきました。
『あんた、ここでしたらよろしい。私もします』
何と、彼女らは路上の我が車の後ろで『キジうち』を始めたのです。
私達が『ウソ!』と驚いたのは当然です。
彼女達は車のシールドで私達の存在には気づいていないようです。私達も出ていって彼女らを驚かすのもはばかられ、じっと我慢していましたが、彼女達が立ち去った後、尾行班は嘆いていました。
『タイヤまで濡れている!あのおばちゃんらは犬か!』
やっと彼女が出てきました。依頼人も彼女を駅まで送るために一緒です。
さぁ、やっと行動開始です。私達は二人を尾けます。
依頼人の動きはぎこちなく、明らかに尾行を気にしているようです。彼女が全く気づいていないのが幸いでしたが。
駅に着いた時、彼女が『もうここでいい』という身ぶりをしたかと思うと、依頼人がこちらへ戻ってきました。私達は素知らぬ顔で彼女のあとを尾けます。
その時、何と依頼人は私を見て頭を下げ会釈したのです。
『ゲッ!こんなとこで挨拶なんかするなヨ!』
私がそう思ったのは当然です。彼女に気づかれてはも子もありません。
運よく、彼女はそれに気づくこともなく、私達は楽々と三つ向こうの駅前の彼女の住まいを突き止めることができましたが・・・。
その後、彼からはまだ連絡は入っていません。彼女が彼を頼りに日本での留学生活を送っているのか、あるいは帰国してしまったのか、私は彼の恋の行方をまだ知りません・・・。
<終>
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