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両親の墓はどこに・・・(3)| 秘密のあっ子ちゃん(199)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

先祖代々の寺には二人の両親のお骨が納められていないと分かった私たちは、「それならば、この近辺のお寺にあるに違いない」と考えました。
そして、一軒一軒お寺を当たったのです。
その中の一軒で、俗名は記載されていませんでしたが、死亡年月日が依頼人の両親にぴったり合う戒名を二つ見つけだすことができました。
その戒名は、それぞれ一字ずつ両親の名前が入れられたものでした。
私たちは、これに間違いないと確信しました。
なぜ別のお寺に納骨されたのか、今となっては知るすべもありませんが、二人の両親のお墓は確かにそのお寺にあったのでした。
依頼人と弟さんは、早速お墓参りに出かけて行きました。そして、ほとんど連絡をとっていなかった従弟との親戚づきあいが始まったそうです。
彼らは、自分たちがお参りするべき墓を探し出せた安ど感と同時に、幼い時に亡くした両親の、自分たちが知らない人生に思いをはせていたのだと思います。
そんなことがあって私もふと思い立って、自分の先祖を調べてみる気になったのです。長い人生の中には、当然喜びも悲しみもあったでしょう。大変な苦労をしたかもしれません。
「曾祖父や曾祖母はどんな思いをして生きていたのだろうか。そして、その前の時代の人は?」
今、私は彼らの人生を見ることはできません。
しかし、せめて何という人が、いつの時代に生きていたのかということくらい知りたくなったのです。
作業を始めるや、叔父や叔母までが関心を寄せ、「これも調べろ」「あれも」といろいろな注文が殺到する始末でした。
今、私自身の家系図調査は、依頼人の先祖探しに忙殺されて中断している状態ですが、いずれは親族であれこれ語り合えるものに完成させたいと思っています。
当社は、ご自分の先祖の調査しかお受けいたしません。依頼人が家系図調査を依頼されてこられるのは、「今なぜ自分があるのか、子孫に何を残すのか」ということを考えたとき、ルーツ(先祖)に思いが至るからだと思います。
それは、自分の存在を確認するという一つの要素にほかならないのです。

<終>

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