これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
大使館の秘書官だった父と赴任先についていった母 が、共にマラリアで死亡したのは依頼人が五歳の時、 昭和五年のことでした。
依頼人と二つ年下の弟は母方の伯母に引き取られ、 二人はそこで育ったのだそうです。
彼らは両親のお骨について『そのころに父の弟が、 先祖代々の墓に納めると言って持ち帰った』と伯母か ら聞かされていました。
その後、彼ら兄弟は、香川県にあるご両親の墓参り に連れていってもらったこともなく、また父方のその叔父の香川の家にも行ったことがなかったと言いま す。
叔父さんに会ったのは、彼が東京へ出てきたときの 三度だけ。
二人は子どもだったこともあって、両親の墓のことなど気にも止めていなかったそうで、伯母や叔父が生きている間にそのことについてはそれ以上なにも聞かなかったと言います。
やがて戦争が始まり、伯母は空襲で死亡し、叔父も 戦死してしまいました。
戦後、自分たちの子どもが生まれるようになって、 兄弟は急に『自分たちにはお参りすべき墓がない』と いうことが気になり始めたのだそうです。
その時には、叔父も、育ててくれた伯母さえ戦争で 死亡し、すでに訪ねる人は誰一人いません。
二人は四十歳代のころ、先祖や、そして何よりも両 親がまつってある墓はどこなのか、ということを調べ 始めたのだそうです。
香川県の叔父の家は息子さんが跡を継いでいました。 初めて対面したいとこは、「自分が生まれる以前のことだし、あなたたちの両親の墓のことは今まで聞いたこともないです」と答えたと言います。
二人は過去帳を見せてもらいました。しかし、そこ にあるのは戒名だけ。俗名は書かれておらず、どれが 両親なのか、さらには両親が記載されているのかどう かさえも分かりません。
彼らはその足で寺にも行きました。
その寺でも代がかわっており、応対に出た若い住職 さんの話は要領を得なかったそうです。
彼らは“昭和五年没”を手がかりに墓碑を見て回り ましたが、両親の戒名を見つけ出すことは、ついにで きなかったのです。
二人が正月に会うたびに両親の墓の話題は何回も出 ました。しかし、何しろ働きざかりの世代。仕事の忙 しさに追われ、それ以降ゆっくり探すことはできなか ったそうです。
兄弟は、「定年になったらもう一度しっかり探そう か」「それでも見つからな かったら新しい墓を作ろ う」と約束していたのです。
それから二十年以上がすぎました。
退職した二人は「元気なうちに、そろそろ本格的に 探そう」と腰を上げかけていた矢先、当社のことを知 ったのだそうです。
私たちは二十年前、兄弟が歩いた跡をもう一度調べ 直しました。
彼らのいとこは、やはり二人の親の墓のことについては全く聞いていません。
寺にも行ってみました。
住職さんが過去帳を繰ってみてくれましたが、それらしい名前は見当たりません。
「過去帳に載っていたとしても当寺に納骨されてい るとは限りません。まして、載っていないのであれば納骨されている可能性は薄いと思います」
若い住職さんはこう話さ れました。
じゃあ、二人の両親のお骨はどこに持っていかれたのか?
私たちは悩みました。
『しかし、いくらなんでも、何の縁もゆかりもない 所に納める訳がない』
私たちは、「叔父さんが持って帰った」と言う限り、必ずこの近辺にあるに違いないと踏んだのでした。
<続>
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