これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
次第に被災地の事態の深刻さが分ってくると、彼(51才)は彼女達が無事であったかどうかが無性に気になり始めました。
小屋は二十二日から再開しましたが、かかっている演目は彼女達の一座のものではありませんでした。
彼は再び支配人に彼女達のことを尋ねました。
「無事だったんですか?」 「ああ、大丈夫やったとは聞いてまっけど、あんた、親戚かなんかでっか?」 「いや、そうじゃないですけど、今はどこにいるんですか?」
「さぁ、そんなことまでは知りまへん。ウチとの契約は十八日までやったさかい、その後のことまでは分りまへん」
「またここで公演する予定はありますか?」
「いや、今んとこありまへんなぁ。それに、あの娘はあの一座のもんとちがうさかい、今は一座と一緒に動いてへんと思うで」
彼女はあの一座の所属ではなかったのです。彼はどういうルートで彼女がその一座と一緒に出ていたのかをさらに尋ねましたが、支配人からは明確な答えは得られませんでした。小屋としては一座と契約していた訳で、それ以上の詳しい事情は把握していなかったのです。
昔つきあっていた恋人とうり二つの女役者。震災で公演が中止になってからも、依頼人(51才)は何度か小屋に足を運びました。が、そもそも彼女は一座の所属の役者ではなかったということ以外、彼女のことについては皆目分りませんでした。
彼は大阪新聞の愛読者でした。自分自身にこういう事態が生じる以前から、ずっとこのコーナーを読んでくれていました。そこで、彼女の無事がどうしても気になる彼は当社に人探しの依頼に飛び込んできたという訳です。
彼の希望は彼女と直接接触したいというのではなく、彼女の無事を知り、もう一度彼女の舞台を見たいということでした。
私達は、まず彼女がどこの所属の役者さんなのかを調べることから始めました。 依頼人が既に聞き込んではいましたが、念のために小屋の責任者に彼女のことを尋ねました。しかし、小屋では依頼人に答えた通り、彼女のことを全く把握していませんでした。そこで、無理に頼み込んで、その一座の連絡先だけは何とか教えてもらったのです。
早速、一座に連絡を取ろうとしました。しかし、いつ電話しても留守ばかりで、何日経っても連絡は取れませんでした。
一座と連絡が取れるのを待つだけの無為な時間だけが過ぎていきます。「これではラチがあかない」と思った私は、苦肉の策として、知り合いのプロダクション関係の人に彼女のことについて尋ねてみました。
彼は「そんな名前の役者は聞いたことないなぁ」と言いながらも、「調べてみる」と請け負ってくれました。
三日後、彼からの返事が来ました。彼女の所属プロダクションが分ってきたのです。
私達は早速、そのプロダクションに向いました。
プロダクションの話によると、彼女は阪神大震災に遭遇したものの、無事で今も元気にがんばっているということでした。彼女はもともとモデルあがりの女優志望で、モデル時代からそのプロダクションに所属しているということでした。モデルは競争が激しく、また女優志望とはいえ、売り出すにはそれなりのきっかけが必要です。悪戦苦闘の中、日舞の腕前と歌の上手さを買われて、たまにああした一座にも出ることがあるということだったのです。
<続>

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