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38年前に別れた日本女性を…(2)| 秘密のあっ子ちゃん(153)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

ビルがアメリカに帰国し てからは、手紙のやりとりで連絡を取り合っていた二人。
その文通は一年以上も続きました。
しかし、一年半が過ぎようとしたころ、”I’ll write you again”と言ってきたのを最後に、圭子さんからの手紙がぷっつり来なくなったのだそうです。
ビルは音信を求めて、何度も彼女に手紙を書きました。
しかし、彼が出した何通 目かの手紙がついに『宛先不明』で戻ってきたので す。
彼は圭子さんを捜しに、 すぐにでも日本へ飛んで行きたくてしかたなかったそうですが、一九五六年当 時、そう簡単に日本へ来ることもできない・・・。
一年が経ち、二年が経ち、そして、あれから三十六年。
二十六歳だったビルは六十二歳になりました。その間、彼は結婚し子供にも恵 まれ、円満な家庭を築けたと言います。
彼は昨年、長年勤めた会 社を退職したのを機会に、 圭子さんを捜そうと思いたったのだそうです。
いや、三十六年間ずっと、『いつか、圭子さんを捜そう』と思い続けていたのだと言います。
『彼女がどうなったのかを知りたいのです。 彼女の今の生活を邪魔するつもり はありません。ただ、彼女が幸せでいてくれてさえす のればそれでいいのです』
と、ビルは言いました。ビルは一週間前、圭子さんと別れて初めて、実に三十六年振りに来日しました。
そして独力で、二人で過ごした座間のアパートの近 辺や、彼女が手紙で書いてよこした住所のあたりに行ったのだそうです。
しかし、なにぶんにも日本語をほとんど話すことができない。その上、三十六 年も過ぎた日本は昔の面影 もなく、彼には右も左もわからない。
一週間ただやみくもに歩き回っただけで、何の手がかりもつかめなかったそうです。
帰国便のチケットは明日付になっている。『せっかく日本まで来たのに、何一つ分からず、このまま帰らなければならないのか』
絶望的な気持ちが深くなる中、『それでも』と当時 の古い地図を見るために図 書館に行った時、ジャパンタイムズに載っていた当社の記事を目にしたのだといいます。
『記事を見た時は、心臓が止まりそうに嬉しかった』とビルは言いました。
当社が大阪にあると分かった彼は、早速、在阪の友人に連絡を取り二人で訪ね てきた、というわけなのです。
ビルは圭子さんの調査を 当社に任せ、その日の午後 の便で帰国していきました。
私達は、すぐに彼女の手紙に書いてあった住所に聞き込みに入りました。
運よく、その辺りは古く から住んでいる地の人 が多く、圭子さんのことを 覚えてくれている人が何人かいました。
しかし、『一時伯父さんの家に身を寄せていて、そこから嫁いだ』というばかりで、それ以外のことはど の人もみんな歯切れが悪いのです。

近所の人の話から、圭子さんはビルが帰国して二年後に結婚したということが 分かりました。しかし、それ以上のこととなると、みんな口を濁すのです。
私達は、『どうも、みんな何か隠しているな』と感じていました。
そんな中、あるおばさんが、『実は、これはみんなでずっと口にしなかったことですが、そのアメリカの人がそうおっしゃってるの なら』と、やっと全てを話してくれました。
それによると、ビルが帰 国して二年近くたったこ ろ、伯父さんの家に預けられていた圭子さんに縁談があり、あまり乗り気ではなかった彼女を『三十歳も近 いから』『あの男のことは忘れろ』と伯父さんが説きふせ、ビルとのことを伏せて嫁に出したというので す。
『当時は、外国人と同棲していたというだけで、大 変でしたしネ・・・』と、そのおばさんはつけ加えました。
私は、その内容と『彼女 は今、幸せに暮らしている そうです。今の彼女のためには、もうこれ以上探さな い方がいいと思いますが ・・・』ということをアメリカのビルに伝えました。
“よくわかりました。三 十六年間の胸のつかえがおりました。 Thank you! “というビルの手紙が来たのはそれからふた月 ほどしてからでした。

<終>

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