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男女交際の会で出会った彼女は・・・(2) | 秘密のあっ子ちゃん(20)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
そして、ついに“彼女”はその本音を明らかにし始めたのです。
そもそも彼女をは自分への手紙の宛先を大阪中央郵便局の私書箱に指定していました。
「本当の住所とか、電話番号とか、その他自分の身許が判明するようなことは何一つ教えてくれようとはしませんでした」
彼は私宛の手紙でそう書いています。
いつまでたっても自分の住所を明らかにしないことに対して、依頼人(27才)は彼女を責めました。すると、彼女はそれは、「女というのは弱い立場にあるからです」と返答してきたのです。
半年程文通を重ねた後、彼は真剣に彼女との結婚を考えるようになりました。彼女に一度丹後に来て、両親に会ってほしいと要望しました。
それに対して、彼女はこう答えてきたのです。
「貴男のご家庭が立派であるのに、ゆかりは母子家庭で、それに父の入院費用や葬式代などの借金が百七十万円ほどあります。それを返済しない限り、結婚など考えられません。それに母が病弱で、ゆかりが必死に働いて面倒を見ているのです。こんなゆかりなんかより、貴男にはもっとふさわしい人と一緒になってもらって、明るく楽しい家庭を築いて欲しいです」
「借金を返さない限り、結婚どころではない」
依頼人(27才)の結婚の申し出に対しての彼女の返事はこうでした。それを見て、彼はますます彼女を思い切ることができなくなっていきました。「障害が金のことだけなら、自分が援助すればいい」と思ったのです。
その年の暮、彼はとりあえず七十万円を彼女のために用意しました。そして、それを彼女に直接手渡したいと申し出たのです。
すると、彼女は「記念すべき最初の出会いが援助のお金を受け取るだなんて、そんな思い出は作りたくない」と言ってきました。そして、金を出してくれるなら、例の私書箱へ郵便為替で送ってほしいとまで書いてありました。
彼女は直接会うどころか、あくまでも自分の住所や銀行口座も明らかにしません。彼としても少なからず不安を感じましたが、それ以上に自分の誠意を彼女に見せたいという想いが勝って、彼女に言われたとおり、七十万円の郵便為替を私書箱宛に送ったのでした。
ところが、年が明けると今度は、彼女の母が肺ガンと診断され、自分は仕事も辞めて看病にあたると連絡してきたのです。もちろん、言外には生活費にも困っているということを臭わせて…。
母の緊急の入院と手術のためにさぞかし金にも困っているだろうと、依頼人(27才)は懲りもせずさらに五十万円を送ったのです。 数日後、彼女からお礼の手紙が届きましたが、それはごく短い、素っ気ないものでした。その後も彼は何度か品物を送りました。しかし、彼女からはその都度短い礼の手紙が来るだけでした。
そのころには、彼はもう彼女以外考えられませんでした。
彼は不安でした。手紙の内容が素っ気なくなっているのは、彼女自身が言うように看病疲れとも考えられましたが、援助した百二十万円を彼女が返してくることを心配していました。金のつながりであろうと、彼は彼女と縁が切れてしまうことを一番恐れたのです。 思い余って、彼は姉にこれまでの一部始終を説明し、相談に乗ってもらいました。 翌日、お姉さんから彼に電話が入り、調べてみると彼女の宛先となっている私書箱の名儀の会社は存在しない旨を伝えてきました。お姉さんは、「もう一度、きっちりとゆかりさんの身許を調べた方がいい」と言ったのでした。
しかし、彼は、この時点でも彼女のことを百パーセント信じていました。
依頼人(27才)はお姉さんに反論しました。彼女に限って、自分を騙しているなんてあり得ないと。
そして、彼女にお姉さんが言ったことを手紙に書いて送りました。その上で、「このような見方をする人もいますから、それを打ち消すためにも、近い内に是非一度家へ来てほしい」と付け加えたのでした。
数日経って、彼女からの返事が届きました。その内容はかなり憤慨したものでした。「ゆかりは人を騙したりするような人間ではありません。お姉さんにそのことをはっきり言って下さい。それに、ゆかりは、今、母の手術を控えて大阪を離れる訳にはいきません。貴男こそ、ゆかりの状況を察して下さい」
彼は彼女の意見に心底納得し、謝りの手紙さえ出しています。
しかし、その後、彼女からの手紙の回数は減っていき、春も終わろうとするころには全く届かなくなりました。
六月に入ると、彼はもうこのままではどうしようもないと、休日や代休を利用して、彼女を探すために大阪へ通いました。
彼はまず、彼女からの手紙が東淀川局の消印が多かったため、東淀川区役所を訪れたのです。しかし、「個人に関する情報についてはみだりに教えることはできない」と蹴られてしまいました。また、私書箱についても問い合わせに行きましたが、これもまた、「一切教えられない」と断わられています。これについては、裁判所の令状が必要だと言われたのでした。さらに、彼は東淀川区内の病院にも彼女の母が入院していないかを尋ねに足を運びました。しかし、該当者はありませんでした。そして、最も大きな手がかりと考えられる七十万円と五十万円の郵便為替に関してもいろいろと調べています。何度も郵便局と交渉し、やっとの思いで為替の住所の写しを手に入れることができたのですが、この住所を訪ねてみると、彼女が偽りの住所を郵便局に届けていたことが明らかになったのでした。
彼はついに東淀川警察や曾根崎警察にも相談にいきました。ところが、警察では話をちゃんと聞いてくれたものの、流れが彼の意図とは違うものとなり、彼としては不満の残るものとなったのです。家出人捜索でさえ“民事不介入”のため動かない訳ですので、警察では「ゆかり」なる人物を当然探す動きはしませんし、事件として処理するにはあまりにも証拠がなさすぎます。
彼が当社に手紙を出してきたのは、数ケ月にわたるこうした独自での調査を行い、自力では到底拉致があかないと判断した上でのことでした。
数日後、彼は直接当社へやってきました。彼は腑に落ちないことが多すぎると言いながらも、「そんな悪いことのできる人間とはどうしても思えないのです。何とも狐につままれたような話です」と言い、「ゆかり」なる人物が実在しているとまだ信じているようでした。
彼の依頼とは、もちろん彼女を探してくれというものでしたが、私は「それについては無駄だ」と彼を説得し始めました。
この「ゆかり」なる人物は実在する可能性が少ないと、私は依頼人(27才)に話しました。
しかし、彼は「人を騙すような女性とは思えません」と不満そうで、どうしても納得してくれません。
次第に私は、彼に事実を認識してもらうのは、彼女が実在しないことを証明する以外方法はないように思えてきました。
彼はさらにこう続けました。「どうしても彼女を見つけ出し、直接会って、彼女の口から今までの経緯を説明してもらわないと死んでも死に切れません」
「調査に入ることは可能ですが、万が一、私の予想が正しければ、『ゆかり』さんは存在しないということの証明をするだけにしかなりませんよ」
やむなく私はそう答えたのでした。
すると、彼の表情は途端に明るくなり、言いました。「それでも結構です。僕としてはこちらできっちりした調査をしてもらって、それでも見つからなければ、もう他社に頼むつもりはありませんから、何とかよろしくお願いしたいのです」 こうして、私達はおそらく実在しないであろうと分っている人物の所在調査に入ることになったのでした。
私達が「ゆかり」なる人物の人探しの調査を開始して分ってきたことは幾つかありました。それは結局、彼女が実在しないということの証明に繋がることだったのですが…
私達はまず私書箱を設置できる条件から調べました。その条件とは、不特定多数の人から郵便物が毎日届く企業か個人であること、そして、その郵便物を毎日取りに来れる者ではならないということでした。申し込みの手続きは住所・氏名・電話番号を申請用紙に記載して捺印し、万が一、郵便物が紛失された場合、異議申し立てをしない旨の誓約書を提出すればOKでした。 ところが、その私書箱の名儀-彼女が「自分の勤務先」と言っていた会社は、商売をしているにも関わらず、電話帳の登録をしていませんでした。不特定多数から頻繁に郵便物が届くはずの企業が電話帳に掲載していないこと自体、不自然と言わざるを得ません。
郵便局では、当然その申し込み者の住所や連絡先については教えてくれません。やはり、それについては裁判所よりの命令がない限り明らかにできないということだったのです。しかし、スタッフの粘り勝ちで、彼女から依頼人への手紙が途絶えたころ、その私書箱は解約されていることだけは教えてもらえたのでした。 もちろん、私達はそれ以外の調査も行っています。 彼女の母親が肺ガンで入院しているとの材料から、東淀川区内だけではなく、大阪市内で内科・循環器科の設備の整った百八十四の病院を軒並みに当たりました。しかし、該当者はありません。
次に、私達は、依頼人(27才)が彼女は東淀川区か淀川区の出身だとの主張していることからこの二区の公立中学校十四校と、大阪市内の私立中学校十四校を当たったのです。しかし、こうした中学校でも「天野ゆかり」なる人物は存在しませんでした。
また、大阪市内の「天野」姓、十九軒も当たりましたが、「ゆかり」という娘さんがおられるご家庭は一軒もなかったのです。
さらには、彼女が郵便局に届けていた百二十万円の郵便為替の受け取り住所(これは依頼人自身が動いて、「偽りの住所だった」と言っていたものですが)の近所へ、念のため、写真を持って聞き込みに入りました。しかし、以前も現在も、この写真の人物がその住所に出入りしている形跡が無く、それどころか全く別人が住んでいることが明らかになってきました。
こうして調べれば調べる程、「天野ゆかり」なる人物が彼に嘘を言っていることが明白になっていったのでした。
私達の調査が進めば進む程、それは彼女が実在しないということの証明となっていったのでした。
依頼人が「彼女は大阪の短大か専門学校を卒業していることは間違いない」と強調するので、前回お話しした調査以外にも私達は大阪府下の短大と専門学校、百六十七校を当たっています。しかしこれもまた、彼女に該当する人物は発見できませんでした。
もちろん、私達は彼女が手紙の送り先に指定していた私書箱の名儀-彼女の“勤務先”についても調べています。これについても、依頼人のお姉さんが言うとおり実在しない会社でした。 私達がこうした調査を行っている間も依頼人は結果を待っていられないのか、独自で動いていることが分ってきました。中学校や病院に返信用封筒を同封して照会をしたり、直接何度も訪ねたりしているのです。しかし、返事を貰えるどころか全く無視され、彼は「落胆した」という手紙を寄越してきました。
私達が聞き込み先の様子がどうも変だと思っていた矢先のことで、一度や二度ならともかく、ひつこい程問い合せや照会を行っているこの様な彼の動きは、かえって当社の調査に支障が出てきていたのです。
「独自に動かれるのは結構だが、こう、こちらの調査の邪魔になるような動きを続けられるのなら、当社としては本件から手を引かざるを得ない」依頼人の勝手な動きが私達の調査に支障がきたし始めたため、私は彼にこう注意せざるを得なくなったのでした。
それからというものは、さすがの彼もむやみやたらにひつこく聞き込みに入って、関係者に嫌がられる行為を少しは謹んだかのように見えました。しかし、あのうさん臭い男女交際の会へは、引き続き再三再四に渡って「天野ゆかりさんの住所を教えろ」と詰め寄っていたようでした。彼のあまりの剣幕に、この件の張本人も少しは「やばい」と感じたのでしょう。「天野というのは偽名で本名は松本と言う。住所は…」と回答してきたのでした。
その回答を得た途端、彼は鬼の首を取ったかのように息せき切って連絡してきました。
「それも嘘や」と、再びそう説得するのは随分と骨が折れたものです。ところが、彼は私がどう説明しようと、またもや納得しません。 しかも、「彼女の本名が確認された以上、調査は比較的スムーズに進展すると思います」という手紙まで送ってきたのでした。 私は「まだ言うか?」と少しむかつきもし、呆れもしました。さらに、彼は「なお、これ以降はあなたが言われるように、この調査活動より一切身を引くつもりでおりますので、早い時期に吉報を受けれることを期待しております」と言っています。私は決して自分が騙されたということを認めようとしないこの依頼人には、酷のようでも事実を認識させてあげることしか救われないと思うようになってきていました。
私はほとんど意地のようになって、スタッフに写真を持たせて、この会が彼に回答してきた住所へ向かわせたのでした。聞き込みの結果、“松本ゆかり”さんは確かに二年前までその住所に住んでおられましたが、案の定、年令も顔形も全く違う別人であることが判明してきたのです。
そんな中、私はその男女交際の会へ全く架空の男性名で入会申し込みをしてみました。住所は当社の所在地にしてです。依頼人と同じ手口で、私が作った架空の男性に接近してくるようなら、もうその意図は明白ですし、証拠の一つともなります。既に「ゆかり」なる人物が予想通り実在していないことが明らかになりつつあったこの時点では、私は依頼人にとって一番いい解決方法は事件として立件できる材料をできるだけ集めてあげることしかないと考えていました。
私は依頼人に調査の結果の内容を報告すると同時に、最初の経緯から含めて「ゆかり」さんが実在していると考える方がいかに不自然であるかということを改めて説明し、そして「一度弁護士に相談した方がいい」と伝えたのでした。すぐさま彼からは「是非、弁護士さんを紹介してほしい」という返事が返ってきました。 私は当社の顧問弁護士を彼に紹介したのです。後で聞くところによると、弁護士の意見も私の意見とほぼ同じものでした。
ところが、彼の考えはあくまでも頑なだったのです。 依頼人(27才)が弁護士に相談に行ってしばらく経ったある日、彼からまた手紙がきました。
「私としては大変期待していた弁護士との会見も何の収穫もないままに終ってしまいました。私は、あくまでもゆかりさんは実在していると信じていますし、会が自作自演したなどとは思いもよりません。相談に行ったのは、ゆかりさんの所在をつかむヒントを何か与えて下さるかもしれないと思ったからです」それはこうした書き出しで始っていました。
それを読みながら、私はまたもや「まだ言うか?」と頭痛がする思いでした。 彼はさらにこう続けています。「これからは、一生かけても、自分なりの方法で地道に彼女を探していくつもりです。長い間、大変良心的に調査していただき感謝しております。また相談させていただくことが出てきましたら、その時はよろしくお願いします」
私は、彼が一生この問題を引きずっていくのかと思うと暗澹たる気持ちになりました。と同時に、そうさせてしまう彼の事実を見ようとしない頑さを哀しく思えてなりませんでした。
ところで余談になりますが、あのうさん臭い男女交際の会からは、会の名称や住所を頻繁に変えて、私が申し込んだ架空の男性名宛に案内が、未だに当社へに届けられています。
<終>

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