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阪神大震災に被災した女優さん(1) | 秘密のあっ子ちゃん(42)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回の主人公は五十一才の男性です。
彼は今年の一月十五日、友人に誘われて大衆演劇を見に行きました。商業演劇にしろ新劇にしろ芝居というものに、彼はこれまであまり興味を持っていませんでした。ましてや、大衆演劇など見るのは初めてで、大衆演劇に凝っている友人があまりにも勧めるのと、その日はたまたま時間を持て余していたのとで、ちょっと覗いてみる気になったのでした。
いくつかの演目が終わって、次に登場してきた女性を見て、彼は驚きました。年のころなら二十四、五才。もちろん初めて会った人ですが、その役者が昔つきあっていた女性とそっくりでした。その恋人のことは今も心の片隅に残っていて、青春時代に彼女と過ごした日々は彼にとっては忘れ得ない思い出となっていました。 彼は思わず身を乗り出して、その役者に見入っていました。日本髪に着物、厚い化粧を施しているとはいえ、見れば見る程昔の恋人にそっくりでした。
大衆演劇に関して詳しい同行の友人に彼女のことを聞くと、彼女は最近売り出し始めたばかりの役者だということでした。
翌十五日、彼は今度は一人で再び小屋に足を運びました。
翌日の一月十六日、彼(51才)は前日に続いてその大衆演劇の小屋に足を運びました。
昔つきあっていた女性とそっくりの女役者が登場するのを心待ちにしながら、舞台に目をやっていました。昨日までは「どさ回りの芝居なんか」と思っていましたが、その独特の雰囲気に慣れてくると、「こういうのもなかなかええもんやな」とさえ思えてきました。
最近売り出したばかりの彼女の出番はそれ程長くありません。しかし、彼女の踊りはなかなかのもので、芝居も決してくさくありません。それに歌が抜群に上手でした。
彼は彼女が舞台に出ている間、目を皿のようにして見入っていました。やはり昔の恋人にそっくりです。恋人がそのまま舞台に出ているのかと思える程でした。もちろん、既に四十五才にはなっているだろう恋人の年令を考えるとそんなことはあり得ないことですが…。 彼女が所属する一座の大阪での公演は十八日まででした。彼はあと二日、毎日彼女を見に来ようと決めていました。
しかし、翌日一月十七日、あの阪神大震災が起こったのです。
一月十六日、彼(51才)は翌日も彼女の舞台を見に来ようと決めていました。 ところが、夜明け前、もの凄い地鳴りと共に、あの阪神大震災が起こったのです。マスコミ発表の「大阪、震度四」とは思えぬ揺れ方をしましたが、彼の家は幸い棚の上の物が落下して破損した程度ですみました。気になっていた店の方もさほどの被害はなく、夕方、彼は彼女の一座がかかっている小屋に向いました。
芝居は中止になっていました。後で考えれば当り前と言えば当り前なのですが、その時点では、彼自身阪神地区がそれほどひどいことになっているとは思ってもいませんでした。小屋の責任者の話によると、彼女の一座の舞台は予定では明日までで、おそらく明日も中止になるだろうということでした。そして、彼は支配人からもっと気になることを聞かされました。それは、彼女達の宿舎は西宮で、今もって連絡が全く取れていないということでした。
彼は翌十八日も小屋に行ってみましたが、案の定、舞台は中止になっていて、小屋の再開がいつのなるのかは分りませんでした。
そのころになると、彼もテレビで映し出される映像から、彼女が宿泊していたという西宮の被害の大きさを認識し始めていました。 次第に被災地の事態の深刻さが分ってくると、彼(51才)は彼女達が無事であったかどうかが無性に気になり始めました。
小屋は二十二日から再開しましたが、かかっている演目は彼女達の一座のものではありませんでした。
彼は再び支配人に彼女達のことを尋ねました。
「無事だったんですか?」 「ああ、大丈夫やったとは聞いてまっけど、あんた、親戚かなんかでっか?」  「いや、そうじゃないですけど、今はどこにいるんですか?」
「さぁ、そんなことまでは知りまへん。ウチとの契約は十八日までやったさかい、その後のことまでは分りまへん」
「またここで公演する予定はありますか?」
「いや、今んとこありまへんなぁ。それに、あの娘はあの一座のもんとちがうさかい、今は一座と一緒に動いてへんと思うで」
彼女はあの一座の所属ではなかったのです。彼はどういうルートで彼女がその一座と一緒に出ていたのかをさらに尋ねましたが、支配人からは明確な答えは得られませんでした。小屋としては一座と契約していた訳で、それ以上の詳しい事情は把握していなかったのです。
昔つきあっていた恋人とうり二つの女役者。震災で公演が中止になってからも、依頼人(51才)は何度か小屋に足を運びました。が、そもそも彼女は一座の所属の役者ではなかったということ以外、彼女のことについては皆目分りませんでした。
彼は大阪新聞の愛読者でした。自分自身にこういう事態が生じる以前から、ずっとこのコーナーを読んでくれていました。そこで、彼女の無事がどうしても気になる彼は当社に人探しの依頼に飛び込んできたという訳です。

<続>

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