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秘密のあっ子ちゃん(5)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 私は、この依頼人の人生も忘れることができません。 彼は、現在五十五才で、ある中小企業の社長です。 彼には二十八才になる息子がいて、結婚話が進んでいます。しかし、そろそろ結納を収めようとしたころ、先方からクレームが入ってきたのです。それは、彼が私生児として育ち、そのことを先方に包み隠さず話したことから始まったのでした。先方は父親を探せと言ってきたと言うのです。
 その話を聞いて、私は『何それ!結婚するのはあなたじゃなくて、息子さんでしょ!息子さんの父親はあなたと分っているのだから、それでいいじゃありませんか』と叫びました。そして、『そんなこと言うようなところ、結婚なんかやめとけば』と口まで出かけましたが、他人の私がそこまで口をはさむ訳にもいかず、彼の話の続きを聞いていたのでした。
 彼はこう言いました。
 『私も私生児ということで、小さいころから随分嫌な思いをしましたし、人一倍苦労してきましたので、本当に腹がたちました。しかし、息子には罪のないことです。それに、私自身も以前から知りたいと思っていたことですから、この際と言っては何ですが、私の父は誰なのか調べてもらえませんでしょうか?』
 息子のために、いや、それよりも自分自身のために、父親を探してほしいという依頼人(55才)の話は続きました。
 『私は祖母が亡くなる直前まで、父のことは一切知りませんでした。私が中学二年生の時でした。亡くなる三ケ月程前に、ふと漏らしたのです。祖母の話によると、父は大きな老舗の一人息子で、母はその店へ手伝いに出てたそうです。二人が恋仲になったのに気づいて、父の両親が無理矢理に二人を引き離したと言っていました。その後、母は父とは一度も会ったこともなく、私が生まれたことも父は知らないだろうと聞いています。そんな訳で、私は私生児ということになっているんです』
『そんな大きな老舗だったら、消息は分らないのですか?』
『それが、戦災で焼けて祖母も母も、戦後父達がどうなったのか知らないらしいのです』
『うーん…。で、お父さんのお名前は?』
『祖母から聞いた名前は覚えていますが、それで正しいのかどうか…。母は十年前に亡くなりましたが、最後まで一言も父のことは話しませんでしたから』
『そうですか』
 こうして、私は彼の父親探しの依頼を受けることになったのでした。
 自分が生まれる前に、母と無理矢理引き裂かれた父を探したいという依頼人(55才)の要望に応えて、私達は早速動き出しました。 まず、戦前、彼の父の実家があっただろうと思われる地域の古老を探し始めました。
 しかし、結果は芳しくありません。『この辺り一帯、戦災で焼けて、戦前から住んでいる人はほとんどおりませんよ』とか、『昔からおられた人も少なくなりましたからねぇ』というような答えが返ってくるばかりです。 
 やむなく、お父さんの実家が糸屋だったということを手がかりに、同姓の糸屋さんをあたりました。しかし、それは全く人違いでした。
 そこで、現在も糸屋を営んでいる業者を軒並み当たっていったのでした。ところが、これもとっくに代替りしているところが多く、これと言った情報が入ってきません。
 私達は組合の方も当たりました。昭和三十年代までの名簿は残っていましたので、それをも見せてもらいましたが、それらしい名前はありませんでした。それ以前の名簿となると全く存在しません。
 またまた、万事休すです。もう、これ以上、依頼人には手がかりはないのですから…。
 自分が生まれる前に、母と無理矢理引き裂かれた父を探したいという依頼人(55才)の要望に応えるべく、私達は調査を開始しました。が、結果は思わしくありません。
 実家があったという辺りや家業の糸関係に、依頼人の父親やその家族を尋ね回りましたが、何しろ戦前のこと故、覚えている人はほとんどいません。
 他にこれと言った手がかりのない依頼人ですので、私達は“万事休す”状態になってしまったのです。
 そこで私達は、『調査に行き詰まった時は原点に戻れ』という鉄則を守り、もう一度、戦前のことを知っていそうな古老を探し回ったのでした。
 さんざん探した揚句、目当ての人が実家の近所に一人だけいました。戦前、十軒ほど向こうで反物屋さんをしていたおじいさんでした。
 『フルネームは忘れましたが、そういう苗字の糸屋さんは確かにありましたねぇ。戦災の時、泉南の方へ疎開していったように記憶しています。ワシらは戦後戻ってきましたが、あの人達は戦後、泉佐野あたりでタオル地などを扱う商売をしたということまでは聞きました。それ以降のことは知りませんねぇ』
ここまで聞けば充分です。私達は、『すわ!』とばかりに泉佐野に走ったのです。 泉佐野の手拭い・タオル関係の業者の聞き込みの結果、確かにそういう店はあったということが分りました。跡継ぎがなく、昭和五十年代に廃業したのだということも明らかになってきました。
 『確か、昭和五十二、三年ごろだと思います。親父さんが七十才すぎで亡くなられた後、息子さんが店を継がれなかったので、廃業したと聞いています。何でも息子さんは大手の商社マンで、今は東京におられるらしいですよ。そうそう、近くに甥ごさんがおられるので、詳しいことはそこで聞かれたらいいですよ』
その店の奥さんは親切にそう教えてくれました。
 しかし、甥と思われる家への聞き込みの結果、亡くなったおじいさんの名前は、依頼人の祖母の話した名前と一字だけ違っていたのです。
 東京の息子さんの住所も教えてもらいましたが、今となっては、亡くなったおじいさんが依頼人の父親かどうか確認しようがありません。息子さんにしろ、甥ごさんにしろ、生まれる以前の話である上に、ましてや亡くなったお父さんが依頼人の存在さえ知らない現状では、依頼人のことはおろか、彼の母のことも一切話していませんでした。
 こうした状況を報告した私達に、依頼人はこう言いました。
 『たぶん、その人で間違いないと思います。祖母も“こういう名前だと思う”というような言い方でしたので、おそらく祖母の記憶違いだと思います』
既に亡くなっていたとはいえ、彼は自分の父が誰なのかはっきりしたことで、大いに満足して帰っていったのでした。
 私達が依頼人(55才)に、父親の氏名と死亡日、息子さんの住所などを報告して一週間ほどたったある日、彼から電話が入りました。
 『実は、息子さんに会いに行きたいと思うんですが、どんなもんでしょう?』こんな相談を受けたのです。 『突然、訪ねていっても信用してもらえないでしょうし、それに遺産目当てかと間違われるのも嫌ですし…』彼は、そんな危惧を抱いていたのです。
 『そうですねぇ。それは考えておかれた方がいいことですねぇ。で、息子さんに名乗りをあげたいのですか?』
 『いえ、そういうことではありません。ただ、父がどんな人だったかということを聞きたいのです』
 『それでしたら、初めは“戦前にお母さんがお世話になった”ということで訪ねていかれれば如何ですか?そうすれば、きっと昔話をして下さると思いますよ。名乗りをあげられるかどうかは、今後のつきあいの中で考えていかれればいいと思います』
『そうですね。そうします』彼は、そう答えて電話を切りました。
 おそらく、彼は菓子折りなんかを持って、昔話をしに東京へ向かったことと思います。
<終>

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