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決戦はバレンタインデー | 秘密のあっ子ちゃん(6)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 つい先日、私が『初恋の人探します社』を始める前に勤めていた信用調査会社の後輩から相談を受けました。
 彼女は私より先に退職し、現在は二児のママになっています。彼女はとても明るく、気さくな性格で、私とは職場を離れた後もずっとつき合いがありました。先日、私が出版しました著書『初恋の人、探します』が発行された時も、いろいろと動いてくれたのでした。 そんな彼女でしたから、『相談がある』と言われて、私は『どうしたの』と居ずまいを正して聞き始めました。
 『いやぁー、佐藤さんの本を読んで感動して、私も初恋の人を探してもらいたくなって…。別に探してどうこうするつもりはないけれど、今、どうしてはるのか気になるし…』
 『そういうことだったら、いくらでも探してあげるよ』と私。
 『だけど、すごく不細工なことをしてしまって、彼がそのことを覚えていたら恥ずかしいし…』
私は彼女の初恋の話を聞くのは始めてでした。そして私は、彼女の言う“不細工なこと”のいきさつを聞いて、彼女には申し訳ありませんでしたが、大爆笑してしまったのです。
 OL時代の後輩の初恋の『悲しい結末』を聞いて、私はお腹をかかえて笑ってしまいました。
 彼女は中学生のころ、電車通学をしていました。
 電車通学で芽ばえる初恋の例に違わず、彼女も毎日同じ車両に乗るカッコいい高校生に強い憧がれの気持ちを抱きました。
 そして、そうした『憧れの人』を持つ少女達が、必ず『決戦』と定めるバレンタインデーがやってきたのでした。
 彼女も小さな胸を期待で大きく膨らませながら、考え抜いた末、手作りのチョコレートを作りました。  そして、バレンタインデー当日、お母さんの『がんばっといでや』と声に送られて、ホームで彼が来るのを待っていました。
 ところが、どうした訳か、彼と彼の友人三人は、いつもの電車がホームに入ってきても、姿を見せないのです。次の電車も、その次の電車も…。
 彼女は、『今日渡すのは無理かも』と諦らめかけて登校しようとした時、ふと見るとホームの端のベンチで三人が腰かけて話し込んでいました。
 彼女は彼の姿を見た途端、今までの意気込みが消え失せて、心臓が高鳴り始めました。そして、次の瞬間に『悲劇』が起こったのです。
 中学二年生だった彼女は、『電車通学の初恋』の例に違わず、バレンタインデーを『決戦』に選びました。 しかし、彼はいつもの電車に乗ってきません。ホームで待ち続け、諦めかけた時、ベンチに座って友人達と話し込んでいる彼を見つけました。
 彼の姿を見た途端、彼女はそれまでの意気込みが一気に消え失せて、ただただ恥ずかしく、彼の顔さえも正視することもできなくなってしまったのです。
 『いやぁーん。よう渡さんわ』彼女は素知らぬ顔をして、彼らが座っているベンチの前を通り過ぎようとしました。その時、彼女にとって『一大悲劇』が起こったのでした。
 彼女は、現在、二人の子供達の教育のことや健康管理のこと、はたまたルワンダ難民にまで想いを馳せるような賢いママなのです。そしてまた、明るく気さくで、とてもチャーミングな人です。ですから、中学生のころの可愛いさはいかばかりかと想像に難くないですが、そのころの彼女はどうもドジっぽかったようです。
 私は、以前にこんな話を聞いたことがあります。
 ある朝、この電車に乗り遅れれば遅刻するというので、必死で階段を駆け上り電車に飛び込もうとしました。と、その時、無情にもドアは彼女の顔面をはさんで閉まったのです。当然、ドアはもう一度開いて、彼女は乗り込むことができたのですが、恥ずかしさで真っ赤になった顔に両端だけドアの白い筋跡をつけたまま、立ち尽していなければなりませんでした。
 また、ある時は、ターミナルでスカートをストンと落としてしまったことがあります。当時、制服のスカートは安全ピンで止めておくのが流行っていました。下校時に、友人達とブラブラしている時のことなのですが、その時に限ってどういう訳か、彼女のスカートの安全ピンがはずれたのです。中学生のこと故、スカートの下にスリップなども着けてはいず、友人達の目に、お尻にミッキーマウスが描かれたパンティ姿の彼女が飛び込んできました。彼女はまたまた真っ赤になり、友人達はのたうち回りながら、笑っていました。 そんな話を聞いた時、私は吹き出しながら、『ちょっと作ってるんじゃない?』と言ったものです。けれど、彼女は真顔で『本当なんです。中学生のころって、そんなドジばっかりしてたんです』と答え、また幾つかの爆笑エピソードを披露してくれたのでした。
 そんな訳ですから、バレンタインデーの日、ベンチに座っている彼の前を通り過ぎようとした彼女に何かが起こっても不思議ではありません。そして、その『何か』が起ったのです。
 ちょうど、彼の前を通り過ぎようとした時、彼女は躓いて、腕をまっすぐ伸ばしたまま滑りながらバッタリと前へ倒れたのでした。 顔や足にすり傷はできるわ、カバンは線路に落ちるわ、憧れの彼には大笑いされるわ、彼女にとっては『悲惨』の一語に尽る事態が起こったのです。彼女の初恋は、こうして一瞬にして『失恋』となったのでした。 『決戦』と決めたバレンタインデーの日に、憧れの彼の前でこけてしまった彼女。 
 顔や足にはすり傷ができるわ、制服はドロドロになるわ、カバンは線路に落ちるわで、またまた、彼女はこの上もなく恥ずかしい思いをしたのです。
 それにも増して、決定的だったのは、そんな彼女を見て憧れの彼が笑っているのでした。そして、昨日一生懸命作った手作りのチョコレートは、入ってきた電車にぺしゃんこに轢かれてしまいました。
 こうして、彼女の『初恋』は想いを打ち明けることなく無残にも終わったのでした。
 『今、どうしてはるのか気になるけれど、彼があの時のこと覚えてはったら恥ずかしいし…』と彼女。
 『マ、そりゃぁ、そうね。だけど二十年も経ったこと、案外、覚えてないもんよ』と私。
 すると彼女は、『そうなればそれで、また淋しい』と言うのです。
 覚えていられると恥ずかしくて困るし、覚えてられないというのも淋しくて切ない、本当に恋というものは難儀なものです。
 
<終>

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