これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
今年も春の選抜高校野球の季節となりました。一時は阪神大震災の影響で開催すら危ぶまれていましたが、無事、今年も球児達の熱い想いが憧れの甲子園で繰り広げられることができるようになりました。
私達はもう五年も前に、甲子園での別の“熱い想い”への調査を行ったことがあります。
依頼人は二十八才のOLでした。昭和五十一年、彼女は中学三年生でブラスバンド部に所属していました。西宮市内にある彼女の母校は、毎年地方からやってくる高校の応援の手伝いをすることになっていました。その年も彼女は、はるばる東北からやってきた野球部のために、暑い日差しの中一生懸命クラリネットを吹いていたのです。
彼女が彼と出会ったのはその甲子園のスタンドでした。
試合は一回戦も終了し、既に二回戦に入っていました。彼女は、学ランを着込んで大粒の汗を流しながら応援の指揮をしている応援団長の真剣な姿が一回戦の時から気になっていました。もうすっかり日焼けした浅黒い肌とは対照的に、きびきびと動く手袋の白さが印象的でした。
それが彼女の初恋の始まりだったのです。
その年の野球部は勝ち進み、準々決勝まで残りました。
応援団が甲子園に滞在している間に、彼女(14才)は応援団長の彼(17才)と話す機会も増え、最後の日には必ず連絡を取り合おうと約束をして別れたのでした。
翌年、彼女は高校に進学し、彼の方は卒業後東京のホテルに就職しました。それからおよそ十年の間に、二人は何回となく連絡を取り合い、時々会ってもいました。その間に彼女は高校も短大も卒業し、現在の職場にも就職していました。 ところが、彼女が勤め始めて三年程経ったころ、ぷっつりと彼からの連絡が途絶えしまったのです。
待てど暮らせど、彼からの連絡は入りません。彼女は思い切って彼の実家に電話してみました。
彼のお母さんは、「しばらく病気をしていましたが、今やっと勤めに出られるようになったんです」と言いました。彼女は現在の彼の連絡先を尋ねましたが、それは知らないという返答で、教えてもらうことはできませんでした。彼女は、その時のお母さんの対応は何か隠しているように感じました。
それは、彼からの連絡が途絶えて三年が経った秋のある日のことでした。
年が改まって、彼女(28才)は当社へ人探しの調査を依頼してきました。彼(30才)の実家へ電話した後も、男性の友人に連絡を入れてもらいましたが、お母さんの返答は、自分の時より多少愛想はいいものの、やはり曖味なものだったのです。
私達の調査でも、彼の実家の返答は相変わらず要領を得ないものでした。
「息子は退院はしましたが、連絡先は聞いていませんし、居所は私どもの方でも分りません」そういう答えが返ってきたかと思うと、突っ込んで話し込んでいると、逆に「どちらさんと言われましたか?電話があったことは言っておきます」 という返答になったりするのです。
明らかに何らかの事情があって、実家では彼の居所を言いたくないという雰囲気が見て取れました。
実家からはこれ以上の話は出ないと判断した私達は彼の勤務先を当たったのでした。
彼は彼女が知っていたホテルから別のホテルへと職場を二回ほど替えていましたが、私達は何とか彼が現在籍を置いるホテルに辿りつくことができました。そして、支配人から「病気療養のため長期休暇を取っていましたが、今は職場に復帰しています」という確認を取ることができたのでした。
彼(30才)の勤務先のホテルが判明してきました。 しかし、彼の実家が何故彼の居所を言いたがらないのか、その謎は残されたままとなりました。私には、彼のお母さんの口ぶりはまるで誰かから我が子を守るため、あるいは誰かが彼に連絡を取れないようにと口を濁しているように感じられました。その“誰か”とは彼女(28才)だとは到底考えられないのです。
疑問が残ったまま、しかしそれ以上、彼の身の上に立ち入るのも憚かられ、とにもかくにも私は彼女に彼の現在の勤務先を報告したのでした。
ところが、その数日後、彼女から電話が入りました。 「報告書にあったホテルに電話を入れて、本人を呼び出してもらったんですが、同姓同名の別人だと言われたんです。『あなたの言っている人は自分ではない』と…。声は間違いないと思うですが…。東京まで自分で確認に行けばいいんですが、仕事の都合がありますので、できたらそちらで確認に行ってもらえませんか」
こういう主旨のものでした。そして、すぐに彼女から彼の写真が送られてきたのです。五年前のものでしたが、彼の特徴がはっきり分るものでした。
スッタフがそのホテルに確認に行くと、フロントに立っているホテルマンは間違いなく彼でした。名札までちゃんと付けています。 「やっぱり彼に間違いありませんでしたか。私から逃げなければならないようなことは全くありませんのに…。何があったのか、却って心配です」
彼女はそう言いました。 それからまた二ケ月が経ったころ、再び彼女から電話が入りました。
「先日、彼の誕生日に合わせてプレゼントと手紙をホテルへ送ったんです。そしたら、彼の方から会社に電話が入りまして…」
彼女の声は弾んでいました。
「彼ははっきり言いませんでしたが、やはりいろいろあったようです。詳しいことは分りませんが、一時、暴力団の構成員にもなっていたようで、今はきっちり足を洗っているらしいんですが、昔のことで何かトラブルがあって、それで怪我をして入院していたみたいなんです。ホテルの方は支配人がいい人で、『今は真面目に働いているし、昔のことだから』と、“病気療養”という名目で内密に処理してくれ、職場復帰できたらしいんです。しばらくは警戒して、『誰にも会わないようにしていた、実家にも連絡先を絶対言わないようにと口止めしていた』と言っていました」 彼女は彼の“事情”をそう説明してくれました。
「今度の連休に会うことになったんです!いろいろお世話になって、本当にありがとうございました」
彼女は本当に嬉しそうにそう言い、何度も私に礼を言ってくれました。
「無事解決して、本当によかったですねえ。今後もお二人、いいおつきあいが続くといいですね。どうぞ、お幸せになられますように…」
私はそう言って、電話を切ったのでした。
それから四年が経ちました。昨年、私は「初恋の人探します」という本を書くに当たって、その中の一つに彼女の話を書きたいと思いました。
そこで、私は彼女の了解を得るために、四年ぶりに連絡を入れたのでした。
電話口に出て来られたのは彼女のお母さんでした。 「娘は今、連絡がつきません」
「え?!」私は驚きました。今度は彼女の消息が分らなくなっていたのです。 「『東京で仕事をする』と言って出て行ったまま、連絡が取れないのです」
「いつのことですか?」 「かれこれ三ケ月になるんですよ。もともと仕事もしっかりして自活していた娘ですから、生活には困っていないと思いますが、どこで何をしているのやら心配で…。電話一本寄こしてこないんですよ」
お母さんの口ぶりは、彼の場合と違い本当に連絡がつかず、心から心配されておられる様子でした。
私は本の登場人物になってもらう了解を取れなかったことなどより、「彼女はどうしているのだろうか」と思いを巡らせていました。おそらく彼と一緒なのでしょうが、「幸せであればいいのだが」と願わざるを得ませんでした。
<終>
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