これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
「留年のため、もう一年施設の寮に残る」
報告を受けた時はがっかりしたものの、和宏はめげなかった。
「中学を卒業したら会えるのは間違いないから、もう少し待とう」
高校3年になって受験勉強にも忙しくなり、平成2年はあっという間に過ぎていった。千里と会えなくなって3年がたっていたが、和宏の心の片隅にはいつも千里の面影があった。
問題集を前に悪戦苦闘していると、時折ラジオの深夜放送から長渕剛の曲が流れてきた。
その度に和宏は千里を思い出した。あの夜、触れようとして触れられなかった千里のサラサラの髪とシャンプーの香りを。
翌年の2月、入試が終わってしばらくしたある日、和宏は千里が暮らしているという福祉施設の最寄り駅に降り立った。朝、まだ薄暗いうちに家を出ていたのだが、駅に着く頃にはすっかり明るくなっていた。普段はいつまでたっても寝ている和宏に手を焼いている母親は、今日に限って早朝に起きだし、出かける準備をしている息子の姿を不審がっていた。
パラパラと駅に向かってくるサラリーマンとは反対方向に歩き出すと、チッ、チッと小鳥の鳴く声が聞こえてきた。
朝の小鳥の声に気づいたのは生まれて初めてだった。
和宏は千里の通っている中学校へ行こうとしていた。中学校の場所は「初恋の人探します社」が教えてくれていた。
「寮から中学校までの通学路に立って待っていれば、見つけることができるかもしれない」
「自分は、佐藤さんたちから言われたようにちゃんとまた1年待った。千里の卒業式くまでにはあと2、3週間あるけど、もうそろそろいいだろう」
そう思って、ここまでやってきたのだ。
午前8時ごろになると、中学校へ登校する生徒の数は一挙に増えた。和宏は千里に似た女生徒を探したが、なかなか見当たらない。8時半を過ぎると、途端に生徒は通らなくなった。9時になって、その日はあきらめることにした。
それから2回、同じように通学路に立ったが、千里の姿を見つけることはできなかった。
3月下旬になって、和宏は直接施設に出向いた。
「卒業していたら、千里のことを話してくれるだろう」
僕はここまで待ったのだ。そう思っていた。
職員室の中には2人の女性が働いていた。和宏はドアのそばの机で書類を整理している中年の女性に声をかけた。おずおず千里のことを切り出すと、
「高木さんならもうここにはいませんよ」
その職員はいとも簡単に答える。
「いつ出たんですか?」
「つい10日ほど前です。卒業式が終わってすぐ退所しましたよ。就職しましたしね」
「どこに行ったんですか?」
「それはお伝えできません」
和宏は落胆した。卒業すれば会えると思っていたのに・・・。また一から出直しだ。
家に帰るとすぐに、メモに控えていた電話番号をダイヤルした。「初恋の人探します社」の番号だった。しかし受話器からは無機質な声が返ってきた。
「あなたのおかけになった番号は現在使われておりません・・・」
潰れたんや!
和宏はすぐに電話帳を開き、最初に目についた大きな広告のA興信所に電話を入れた。
A興信所の報告では、千里は和歌山の祖母の元にいるということだった。和宏はすぐに和歌山へ急いだ。
「千里は一週間ほど前に出て行ったよ」
「えっ!?もういないんですか?どこに行ったんですか?」
「さぁ、どこかねぇ・・・。施設から戻ってちょっとここにいよったんやけど、目に余るところがあったんで、叱ったら出て行きましたよ。マンションを借りるとか言うとったけど、どこのマンションやら。マ、そのうち何か言うてくるとは思いますけど」
千里の祖母木、以前のように千里との関係をしつこく聞くこともなく淡々とそう話した。
和宏は帰りの電車に揺られながら、泉南の海をぼんやり眺めていた。春の明るい日差しを受けて海岸に打ち寄せる白い波とそれに続く海は暖かそうに見えた。
「もうあきらめた方がいいのかもしれない」
~続く~
Please leave a comment.