歴女のはしりであった私は、古代史が好きで、
特に蘇我馬子の頃から長屋王のあたりまで、
つまり6世紀から8世紀までの日本史に、一時凝っていました。
そのため、明日香には毎週ほど通った時期があります。
明日香は晩秋のころがだんぜんお勧め!
法科大学院在学中はままならなかった明日香行き。
先日、久方ぶりに行ってきました。
観光客が必ず訪れる飛鳥寺もいいけれど
飛鳥大仏
(1989年撮影)
人があまり行かない私の明日香お勧めスポットをご紹介します。
山田寺跡
蘇我石川麻呂が建立した寺で、25年ほど前に回廊跡が発掘されました。
現在は埋め戻され何もない風景ですが、奇妙に落ち着く明日香の穴場スポットです。
山田寺跡の周りのこの里山の風景が、遺伝子に懐かしさを呼び起こします。
明日香の田園風景が「日本の心」といわれる所以でしょう。
飛鳥川
「飛鳥川、瀬々の玉藻のうちなびき…」万葉集に詠われた飛鳥川。
橋を渡らず無理やり横断。
結構清流が戻ってきています。
伝小墾田宮
推古天皇が築いたという宮。今はこの木のみが目印。
1メートルも掘ればいっぱい出てくるんだろうなぁ。
以前訪ねた時は、民家の中に残っている井戸跡を無理にお願いして
見せていただきました。
水落遺跡
天智天皇が作ったといわれる日本最古の時計の跡のある遺跡
当時はこのような建物でした。
隣は迎賓館跡といわれる石神遺跡
12月3日付の新聞で、水落遺跡から水を流す木製パイプが
発見される。隣の石神遺跡まで伸びている可能性が高いとのこと。
私がよく通っていた頃は、小学校の敷地を突っ切って裏の側溝を
横歩きしていかないとたどり着かなかったのですが、今は学校も
廃校になり、産直野菜の販売所になっています。
この中で先日、修復のためはがされたキトラ古墳の壁画のレプリカが展示されています。
西の守り神、白虎
北の守り神、玄武
南の守り神、朱雀
東の守り神、青龍
甘樫の丘
入り口の銀杏の黄葉が素晴らしい。
中腹でお弁当
落ち葉が絨毯のよう。
入鹿の屋敷はこのへんに建てられていたのだろうか・・・?
日本書紀では入鹿の館は飛鳥寺を見下ろしていたとの
記載があるので、この中腹ではちょっと低いかな?
甘樫の丘から飛鳥寺
甘樫の丘から望む大和三山
畝傍山
耳成山
香具山
亀形石造物
平成12年に発掘された湧水施設。
日本書紀に斉明天皇が作ったと言われる
「たわぶれの石垣」とはこれらのことなのかな?
亀形石造物は私が明日香に
通いつめていたころはまだ発掘されていず、当時はその近くの酒船石がお気に入りだった。
(1989年撮影)
伝飛鳥板蓋宮跡
皇極天皇の治世、ここで大化の改新が起こったといわれる。
鎌足に切られた入鹿の首が飛鳥寺横の首塚まで飛んだとされる。
鎌倉時代に作られた石塔。ここまで飛ぶわけないけど…
(1989年撮影)
伝飛鳥板蓋宮から眺める甘樫の丘
川原寺跡
(1989年撮影)
21年前の川原寺跡 今も当時もあまり変わらない。
秋の盛りにはコスモスがとても美しい
穴場スポット案内とはいえ、やっぱり石舞台は外せない。
石舞台は、雪が積もったときが素晴らしい。
21年前の石舞台。
服装や髪型がバブルっぽい。
1400年も存在していたのだから、20年ぐらいではどうってことないか。
変わらないのが明日香の魅力。
蘇我馬子屋敷跡
今は埋め戻されて駐車場に。発掘当時通ったものだ。
奥明日香に関西大学飛鳥文化研究所発見!
今まで気づかなかったが、母校となればやはり目につく。
明日香は犬飼孝さんや地域住民の努力で、日本の原風景がよく保存されている。
棚田の保存のため、私も一坪農園主になっていました。
藁を燃やす里山の夕方の風景も懐かしい。
ムム、箱があるぞ!
ちょっと入ってみるのニャ。
なかなかいいぞ。
落ち着くなぁ。
出るのはいやだニャ。
ぼくがご進物になろうかニャ。
てなこと言ってるうちに眠くなってきたニャア。
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