このページの先頭です

「惚れたはれた」を超えて・・・(1)| 秘密のあっ子ちゃん(182)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 私は、マスコミの取材を受けた折に三度ばかりこんなことを聞かれたことがあります。
「佐藤さん、所帯持ちの人が初恋の人を探して、依頼人と先方が不倫に発展す るようなことはありませんか?」
もともと、当社へ依頼されてくる方の多くは、「元気かどうか、幸せかどうかが気になる」ということが動機ですので、全くと言っていいほどそういうことになる例はありませんでした。再会を果たされた後、「五分でタイムスリップしたかのような懐かしい時間を過ごすことができました。幼ななじみに会えた思いです」とか、「年賀状のやりとりをする約束ができました」というような内容の礼状が来たりします。
所在が判明してコンタクトを取りたいと思われる場合でも、「長いブランクがある上に、男の声で突然電話などすれば相手に迷惑をかけるのではないか」と気づかわれる人がほとんどで す。決して下心などなく、純粋に相手を気づかわれています。そうした依頼人の思い入れは、「惚れた、はれた」を越えたところにあるのです。
むしろ下心があってのことならば、なにがしかの料金を出して、わざわざ昔の恋人を探す必要などはありません。今の時勢ならもっと他の方法がある訳ですから…。
もう一つ、こんなことを聞かれたこともあります。
「先方にコンタクトを取って迷惑がられたり、怒られたししたことはないですか?」
私が先方に連絡を入れた場合、(中年の方の場合は依頼人が男性で、先方が女性という場合が多いのですが)、たいてい、三、四分は「えー!?」と驚いておられます。ただ驚いておられるだけなのです。それはそうでしょう。ある日突然、何十年も連絡を取っていなかった人が自分を気にして探していると聞かされるのですから。
そして、その驚きが収まると、彼女は「すぐに連絡を入れてもらって下さい。このまま受話器の前で待っていますから」という反応になります。「すぐに」と言われても、依頼人が外出していて連絡が取れない場合もありますので、却ってこちらが困ってしまう場合もあるのですが・・・。
この七年間、所在を探しあててコンタクトを取った場合、迷惑がられたり叱られたりしたケースはほとんどありませんでした。
ただ、「大喜び」という風にならなかったケース が、二千五百件中、三例だけありました。
その一つは、探しあてた彼女自身がかなり複雑な事情をお持ちの方で、「気づかっていただいているお気持ちは大変嬉しいのですが、最近やっと落ち着いたばかりですので、しばらくそっとしておいて下さいませんか?彼には本当に感謝しているとくれぐれもよろしくお伝え下さい」と言わ れたケースでした。
私は、彼女の言葉そのままを依頼人に伝えました。
「そうですか、元気でやっているんですね。幸せになっていると分れば、それでいいんです。この報告書はそちらで処分して下さい。僕が持っていれば、連絡したくなる場合もでてこないとは限りませんから・・・」
依頼人はそう言って、彼女の住所や電話番号を記した報告書を置いて帰っていったのです。その後五年間、彼から彼女の連絡先を問い合わせる電話は一切入っていません。 私は、「本当に彼女が無事に生きているかどうかを気づかう依頼だったんだなぁ」とつくづく思っています。

<続>

悪徳興信所の「化調」とは…(2)| 秘密のあっ子ちゃん(181)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 「今回の調査について、 どこからの依頼かはだいたいご見当はおつきになっておられますよね?」彼らはそう言います。
 「ええ、だいたいは・・・」
 代表者がそう答えると、彼らは心の中で「しめた!」と思っているはずです。そして、何という企業を想像しているのか、その具体名を逆に聞いてくる場合もあります。
 こうなると、彼らはそそくさと、「電話ではなんですので、一度お伺いしたいと思います。本日は事務所の方にいらっしゃいますか?」と言ってきます。訪問日も決して時間を置きません。
 そして、いよいよ彼らの登場です。彼らは代表者 に細かく質問し、工場を見学したり倉庫の在庫状況などを見たりして、丁寧な調査を行います。
 ひと通りの調査が済んだ後、代表者との雑談の中 で、彼らは何気なくこれも何かのご縁ですので、こ の際、当社の会員になっておいて下さい」と言うのです。
 代表者は全体の流れの中で、今回の調査の依頼主と思っている企業との今後の関係のためにも、「この興信所とつきあっておいた方が有利だ」という心理状況になって、会員登録を承諾したり、調査チケットを購入したりするのです。彼らの本来の目的はここなのです。もし、代表者が迷ったり渋ったりすれば、彼らは依頼企業といかに懇意であるかを臭わせたり、「報告書を書く私も主観が入る場合もありますので、思わず筆が滑ることもないとは言えませんし・・・」などという、真面目に業務を行っている調査業者から見ればとんでもない発言をして強く勧誘するのです。
 長年中小企業を経営されている方なら、こんな経験をお持ちの方が少なくないと思います。
 高度経済成長期には、こうした手口でボロ儲けした「化調」興信所がかなりいたようです。しかし、現在は中小企業の代表者自身がその手口を熟知されてきたことによって、昔のようにそう簡単にその手は食わなくなってこられたこと、また調査業協会の自浄努力などによって、「化調」興信所は随分と姿を消してきました。
 ところが、残念ながら根絶された訳ではありませ ん。その手口を知らない新設の企業を狙って動いている所が未だに存在している事実は悲しい限りです。
 この「化調」の質の悪さは「本調」と区別がつきに くいという点です。「本調」でも調査先に直
接出向いて調査を行う場合は多々あります。むしろ、信用調査においては、この「直調」は欠かせないものなのです。そして、その場合の多くは代表者と面談します。逆に、経営者が「直調」を拒否すれば、「来られたらまずいことでもあるのか?」と痛くもない腹を探られたりする結果を招かないとも限りません。
 それでは、どう対処すればいいのか?
 それについては、明日のこのコーナーでお話しすることにいたしましょう。
 「化調」は「本調」と区別がつきにくいという点から、それを見破るにはなかなか難しい面があります。
 しかし、だからと言って手をこまねいてる訳にもいきません。 少なくとも、問い合わせしてきた「興信所」側が、 依頼主が分っているかどうかを執拗に尋ねてくるのは要注意です。
 しかし、万が一、それが「本調」なら調査拒否をすれば不利になりかねませんので、一、二時間の時間を裂かれるのは覚悟して、調査はきっちり受けておかれた方が無難でしょう。
 その上で、相手が会員登録やチケット購入を勧めてきた場合、必要でなければきっぱり断ればいいのです。
 まともな興信所であれ ば、それで報告書の内容が 変わることは断じてありません。
 但し、きっちりした興信所でも信用調査専門の興信所の多くは会員制やチケット制を取ってますので、以後調査を出す必要性がある企業は、それをご利用いただければいいかと思います・
 また、調査業の協会にその興信所が加盟しているかどうか、あるいはどういう業者であるかをお問い合わせされるのも一手です。

<終>

悪徳興信所の「化調」とは…(1)| 秘密のあっ子ちゃん(180)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

以前、「興信所」業界全体についてのお話をさせていただいておりました が、今回はその続きをもう少し進めていきたいと思い ます。
「興信所は恐い」という悪いイメージが完全に払拭されきっていない現在、大阪では業界の社会的責任を自覚して社団法人大阪府調査業協会を組織し、市民生活への寄与と業界内部のモラルの向上に努めています。
しかし、未だに存在している若干の悪徳興信所が何かの事件を引き起こすたびに、その努力が水泡に帰しているのも事実です。そこで、皆さんの今後のご参考 のためにも、今回はその悪徳興信所の手口の一部をご紹介しておきたいと思います。
悪徳興信所は、企業信用調査にも大衆調査にも、あらゆる調査部門に存在しています。その一つ、企業信用調査
の中には、「化調」もしくは「B調」と呼ばれるものがあります。
本来、企業信用調査は取引先の経営や信用状態に不安を感じた企業が調査を出 すものです。従って、当然依頼主が存在します。これを「本調」もしくは「A調」と呼びます。
しかし、「化調」では依頼主が存在しないのです。
存在しない!?それは 一体どういうことでしょうか?
そもそも、調査というものはその依頼主を公表しないのが常套です。それは企業信用調査といえども同様です。
信用調査は、新たに大きな取り引き話が出ているとか、長年取り引きをしていても少し様子がおかしいとか、あるいは大手企業が下請業者に対して定期的に経営状態を調べるといった依 頼が多いのです。従って、調査を受ける企業は、興信側が依頼主の名を明らかに しなくても、どこからの調査かはだいたい察している 場合が少なくありません。
「化調」はそれを利用するのです。「今後の取り引きを有利に運びたい」と思っている被調査先が、勝手に想像している依頼主に対 して「よりよい報告書を書 いてもらいたい」という弱みに付け込み、自社の調査チケットを売り込んだり、会員にさせたりする。そういう手口なのです。
具体的にはこんな具合です。
ある日、「興信所」と名乗る者から中小企業の代表者あてに電話が入ります。彼らは大手企業が相手では商売になりませんので、必ず中小企業を対象としています。
彼らは必ず代表者と話したがります。それは、中小企業ではワンマン社長が多く、専務や部長では「即決」が取れないことが多いからです。彼らにとって、「即決」こそが命です。「二、三日考えて」など言われて引き下がっていては、相手が調査の依頼主と思っている企業に問い合わ されたりしてしまいます。そんなことをされようものなら、調査依頼などないことがバレてしまうからで す。
代表者が電話口に出ると、彼らはこんな具合に話します。
「あっ、社長ですか?実は今回、御社に対して信用調査が入りまして・・・。ついては、少しお尋ねしたいんですが・・・」
そして、創業時期や従業員数、主要な取り引き先、メインバンクなど会社の概略を聞いてきます。
「ところで、これはどこ からの調査ですか?」
質問に答えている社長が気になりだして聞きます。
「何分、興信所ですので、依頼主についてズバリは答えできませんが、だいたいご見当はおつきになっておられますよね?」
彼らはそう言うのです。

<続>

阪神大震災(2)| 秘密のあっ子ちゃん(179)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

間一髪、マンション倒壊寸前に逃げ出せた叔母(47才)といとこ(高三)は、周りの情況を把握する間もなく、近所の人と声をかけあい、すぐに小学校に避難しました。既にガスが充満し、ガス臭さが鼻をついていたのです。
部屋から飛び出す時に靴だけを握りしめて出たものの、素足で逃げ出たため踵をガラスで深く切っていたことなど、何時間も経ってからでないと気づきませんでした。しかも、持ち出せた唯一の品物であるその靴はハイヒールであったため、その後の動きにあまり役立たなかったのですが・・・。
小学校に行くと、もう避難してきている人がたくさんいました。薄いパジャマ一枚で逃げてきた叔母は、顔見知りの八百屋のおっちゃんが貸してくれたジャケットを着
て、少しは寒さをしのぐことができたのです。
停電で情報が全く入ってこない中、叔母達は大阪はもっとひどいことになっていると想像していました。脳卒中で寝ている上の兄の身が気がかりでした。
公衆電話に長時間並んでやっと大阪の実家に連絡がつい た時、初めて自分達の情況が分ったのです。それは地震発生から三時間半後のことでした。
神戸から西宮にかけての阪神間の被害が甚大という報道を見てヤキモキしていた大阪市内の叔父(49才)は、芦屋の叔母(47才)から連絡が入り、高三のいとこともども無事だと分かるや、毛布とジャケットを持って自転車で飛び出しました。午前十時の段階の報道でも、阪神高速は無論のこ
と、四十三号線や二号線は到底車では移動できないことは分かっていたからです。
叔母といとこは、小学校の校庭で焚火の木材を集めながら寒さに震えていました。しかし、大阪の実家は無事で、叔父が駆けつけてくれるとなって、ひと安心していました。パジャマ一枚の薄着でも叔父が到着すれば車の中で少しは暖をとれると思っていたのです。道路情況がどうなっているかはまるで知りませんでした。従って、二時間後、芦 屋に到着した叔父の自転車姿を見て目が点になったらしいのですが・・・。
幸い、マンションの前に置いてあった叔母の自転車といとこの子供のころの古い自転車は無事でした。三人はその自転車に乗って、その日中に大阪へ避難してきたのでした。
後日、叔母は、「子供用の自転車は漕いでも漕いでも進まへんから、淀川の橋の長かったこと!」と語っていましたが、とにもかくにもこうして無事、叔母といとこはあの阪神大震災をかいぐり抜けることができたのでした。
叔母達の避難所での生活は半日で済んだ訳ですが、それでも一番困ったのは、寒さと渇きとトイレだったと言います。地震発生以来既に十日が経過した本日、余震の恐怖の中で、厳しく不自由な避難所生活をされておられる方々の苦難はいかばかりかと考えると本当に心が痛みます。大阪に避難した高三のいとこでさえ、未だに夜は恐くて眠れないと言います。
先日、私も救援のため被災地に入りましたが、その現状はテレビの映像だけでは決して分らないと感じました。
全壊や半壊した我が家の後片づけをする人々。倒壊しかけた家屋をチェックする機動隊員。救援のために大量の荷物を持って延々と歩く人々。全く動かない車両とその合間を縫うように西へ東へと急ぐバイクと自転車。その間をサイレンを鳴らして前へ進もうとする救急車や消防車。倒れた信号機の前で交通整理をする警官。その横で電柱を復旧 している何十人もの電気工事関係者。給水車に並ぶ人々・・・。そして、振り向けば、将棋倒しのように北西に倒れた商店街とほとんど落ちかけたアーケードがありました。
被災地から大阪へ戻ってきた時、私はあまりものギャップに愕然としました。それは本当に天国と地獄と言っても過言ではありません。
被災された皆さんには心から「がんばって下さい」と
言いたい想いで一杯です。
ところで、叔母に地震を知らせたあの四匹のハムスター達はどうなったのか? 五日後、私達が様子を見に行くと、なんと、二匹は どこかへ逃げたのか、姿が見えませんでしたが、あと二匹は無事保護できたのでした。

今、国会では地震対策の論議をしているようですが、この間の政府・行政側の対応には不満を持っておられる方が大勢いらっしゃることと思います。私も現場の消防団・警察官・自衛隊員・医療関係者・ボランティア・地元の方々などの奮闘に比べて、「一分早ければ一人助かる」という情況にもかかわらず、諸外国からの捜索や援助活動の申し出を断っている政府には 怒りを禁じ得ませんでした。また、被害者が苦しんでいる中で、暴利を貪ぼろうとする一部の業者には人間として悲しみさえ涌いてきます。
そうした中で、被害を受けた人々が協力し合い、助け合い、また、被災地以外の人々がいち早く救援に奔走されている、そうした人と人との心の距離が縮まっていく姿を見て、少しは救われた思いがするのです。
私は、今回の大地震は高度経済成長、バブルと日本人が人間性を失いながら突き進んできたことへの一つの警告のような気がしてなりません。しかし、それに気づくのに、五千人以上の尊い命を失なったということは、あまりにも大きな大きな犠牲で、胸が詰まる想いです。
今、私は私自身の自戒も含めて、無念に亡くなった方々の死を無駄にしないためにも、人間性-一人一人の心を大切に今後生きていかねばならないと思っています。

<終>