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阪神大震災(1)| 秘密のあっ子ちゃん(178)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 阪神大震災ともいうべき兵庫県南部地震の被災地の惨状には発する言葉もありません。
 ご家族・ご親類・知人を亡くされた方々。倒壊・焼失で家屋を失なった方々。そして、余震の恐怖と寒さ・空腹の中で避難されておられる方々・・・。この度の地震で被害を受けられた全ての皆さまに心からお見舞申し上げます。
 そして、未曽有の苦難に直面されておら
れます被災地の皆さまの一日も早い復旧を願わずにはおられません。
 私の叔母(四十七才)は芦屋市大桝町に住いしておりました。阪神高速が六百五十メートルも横倒しになった現場から北西一キ口足らずの所です。築二十年の鉄筋三階建てのマンションの二階に住んでいたのですが、この地震で全壊いたしました。幸い、間一髪のところで家族全員、マンション倒壊寸前に逃げ出すことができ、命は無事でした。
 その日、叔母は飼っていたハムスターの異様な鳴き声に目覚めました。次の瞬間、すごい地鳴りとともに激しい揺れが襲ってきたのです。揺れ出すと同時に、金具で取り付けてあった家具が一斉に倒れ、はめ込み式のエアコンが落下し、壁がバラバラと落ちてきました。
「もうダメだ」と思った叔母は、隣の部屋で眠っていた高校三年生の娘を蹴り起こし、「覚悟しいや!」と叫んでドアに向いました。
 主人は出張のため不在で、家族はこの娘の二人でした。
 わずか一部屋むこうのドアへ向かうのに、倒れてきた家具に挟まれ進めません。どこからそんな力がでたのか、その家具を払いのけ、ゆがみかけたドアを開け、娘の手をひっぱり、靴だけを握って、階下へ降りたのです。
 一階下の地上へ足をつけた途端、三階建ての鉄筋のマンションが一挙に倒壊しました。叔母達はご近所の人と声をかけ合い、無事を確認しあいました。幸い、そのマンションの方々は全員無事でしたが、裏手のマンションの方や三軒向こうの木造の家の方々が犠牲になられたことが、その後分かったのでした。

<続>

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