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出征した彼(1) | 秘密のあっ子ちゃん(23)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 今年は戦後五十周年で、八月十五日に向けて、各地で色々な催しが計画され、またマスコミでも様々な企画を取り上げ始めています。 「戦後五十年」-「もはや戦後ではない」と言われて既に何十年の月日が経ったことか。しかし、私はこの仕事をしていて、まだ「戦後」を迎えきれない人をたくさん見てきました。  今日はそうした方々の人生の一つをお話ししましょう。
 依頼人は七十五才の女性でした。
 彼女は十九才だった昭和十三、四年ごろ、知りあいのつてで、ある商社に勤め始めました。彼女の実家は彼女が女学校時代までは盛大に商売をしていたのですが、中国での戦争が激しくなるにつれてパッタリとダメになり、生活も苦しくなっていったからでした。 三つ年上の彼と知り合ったのはその会社でした。彼は彼女とは別の部署で勤務していたので、話をしたことはありませんでしたが、優秀な人材だった彼を皆が知っていました。
 そんなある日、会社から有志が集まってハイキングに行くことになったのでした。
 彼も、もちろん彼女も参加していました。初めて言葉を交わしたのはその時だったのです。
 昭和十四年、会社の有志達で行ったハイキング。その道すがら、彼女(当時19才)は川にはまってしまったのです。
 出発してからかなり歩いた後に、グループは美しい川の河原に出ました。休憩がてらに、みんなで河原に降り、川の石づたいにピョンピョンと飛びながら遊んでいました。
 彼女は運動神経には自信がありましたので、何名かの女社員とともに男子社員に混じって川の中の石から石へ跳ねていたのです。次の石へ足を降ろした時、びっしりとはえた苔に足を滑らせ、「あっ!」と思った瞬間、川に落ちてしまいました。
「川にはまった」と言っても膝から下を濡らせた程度でしたが、その時彼がすかさずタオルを投げてくれたのでした。
 川から出た彼女はただ一言、「ありがとうございました」と言って、タオルを返したのです。それ以上は何も言えませんでした。
 しかし、それがきっかけで、社内で顔を合わせると言葉を交わすようになっていきました。
 一年後、彼女は両親の言いつけで会社を辞めました。お互いの気持ちを確かめることもできず、彼女は会社から去らねばなりませんでした。
 扱う商品を変えた実家の商売は持ち直し、彼女(当時20才)は父の言いつけで会社を辞め、花嫁修業をすることになったのです。 やっと言葉を交すようになった二人でしたが、お互いの気持ちを確認することもできずに、彼女は会社を去らなければなりませんでした。
 ひと月ほど過ぎたある日、会社の同僚だった女友達が遊びにきました。久しぶりの友人の来訪に、彼女は大喜びで自分の部屋へ通しました。母がお茶を置いて部屋を出ていくと、友人はそっと一通の手紙を差し出しました。
 彼からの手紙でした。
 次の日曜日、彼女は習い事を口実に家を出て、手紙に記してあった神社の境内へと向いました。
 それが初めてのデートでした。
 「好きだ」とか「交際してくれ」とかという言葉はお互い一言も口にしませんでしたが、ただ黙って歩いているだけで気持ちは十分分りました。
 こうして、彼女は両親の目を盗んでは、時折彼と会うようになったのでした。 彼は鷹揚な人柄で、話が豊富で文学を愛する青年でした。彼は彼女をとても大切にしてくれました。
 彼とのつきあいの中で、彼女は今も胸に残っている思い出があります。
 
彼女(75才)が今でも忘れられない彼の思い出とは、会社を退職した後もつきあいのあった同僚である親友に誘われて、グループで海水浴に行った時のことでした。この海水浴には、初めて言葉を交わしたあのハイキングと同様、彼もまた参加していました。
 グループで出かけたとはいえ、それは昭和十五年当時のこと故、男性は男同志で競泳に興じ、女性は女性で波打ち際で遊んでいるという様でした。
 昼食の時だけはみんなで輪になって食べました。食事が終わりかけると、「沖の島まで泳ごう」と誰かが言い出しました。男性達が立ち上がります。
 「さぁ、君達もいこう」彼が女達に言いました。彼女以外の同僚は、その言葉に促されて波打ち際に走っていきます。
 「どうして、行かないの?」
そう聞く彼に、彼女は
「私、泳げないから…」口ごもりながら、そう答えました。
 「大丈夫だよ」彼はそう言うと、彼女の手を引っ張って、ずんずんと海の中へ入っていきます。胸のあたりまで水がきた時、彼は突然彼女をおぶって泳ぎ出しました。
 考えてもみなかった彼の行動に驚き、友人達に何と思われるかとハラハラしながらも、彼女は喜びを噛みしめていました。初めて触れる彼の肌に男そのものを感じながら、しっかりと自分の腕を彼の首に巻きつけていたのでした。
 昭和十六年になると、彼に召集令状が届きました。壮行会の日、彼女には彼からの知らせは来ませんでした。
 それどころか、彼女は彼が応召したことすら知らなかったのです。何通手紙を書いても返事が来ず、長い間彼からの知らせが届かないので、どうしたのかと不安になり、会社に問い合わせて初めて、彼女は彼が出征したことを知ったのでした。 
 彼女はショックでした。彼が出征してしまったこともそうですが、それを知らせてくれなかった彼の仕打ちが耐えられませんでした。自分を大切にしてくれていると信じていた彼は、結局彼女をどう思っているのかということどころか、出征することさえも知らせてくれなかったのです。二、三ケ月は食事も喉を通りませんでした。
 そんなころ、彼からやっと手紙が届きました。
 その手紙の中で彼は、様々の事情があって連絡する間もなく出征してしまったことをたいそう詫びていました。そして、彼の得意な短歌が一首書き添えられていました。それは、初めて彼が彼女に愛を打ち明ける歌でした。
 彼女は彼が手紙の最後に彼が書いてきたことを、五十年経った今も鮮やかに覚えています。
 「必ず生きて帰る。再び君に会えるよう、きっと生きて帰る。そして、帰ったら、真っ先に君に接吻しようと思う」
彼女は真紅な口紅を塗った唇を返信として書いた便箋に押しあてて、彼の部隊宛に送ったのでした。
 ところが、彼からの連絡はそれが最後となったのでした。昭和二十年、終戦を迎えても彼からの連絡は入りませんでした。
 彼女は昭和二十三年、二十八才で結婚しました。
 戦中も終戦後も両親は口うるさく彼女の結婚を急かせました。しかし、彼女はどんな縁談話にも頑として首を縦に振りませんでした。しかし、彼からの連絡が途絶えて七年、もう二十八才になればいつまでも拒否し続けることはできなかったのです。
 嫁いで一年半程経った昭和二十四年の秋、彼女は久しぶりに里帰りをしていました。実家は空襲で焼け、新しい住居を構えていました。
 そんなある日、彼からの最初のラブレーターを届けてくれたあの親友が、戦後初めて彼女を訪ねてきました。
 友人は彼女の顔を見るなり、耳元でこう囁やきました。  
 「あの人が戦地から戻ってきはったよ。終戦後、南方で捕虜になってはったらしくて、ようやく帰ってきはったんや。真っ先にあんたに会いたい言うて、訪ねていかはったらしいけど、前の家は全部焼けているから、あんたがどうなったか分れへんし、私とこへ来たら何か消息が分るかと思うてウチへ来はったんや。あの人、今、ウチの近所で待ってはんねんやけど…」  彼女は愕然としました。彼は生きていたのです。
 彼(当時32才)は生きていました。
 親友の話によると、彼は彼女(当時29才)が結婚したことも知らず、彼女に会うため、引き揚げると真っすぐに大阪へ来て、今、近くで待っているというのです。
 彼女は愕然としました。八年もの間連絡がなく、既に戦死したものと思い込み、彼女は親に急かれるまま結婚したのです。
 今すぐにでも走っていって、彼の胸にすがりついて泣きたい衝動に駆られました。しかし、もはやそれはできません。親友が帰っていった後、彼女は自分の部屋に引きこもり、号泣したのでした。
 翌日、再び訪ねて来てくれた親友は、彼女に昨日の彼の様子を報告してくれました。
 彼女が既に結婚していることと『だからもう会うことはできない』と彼女が言ったと伝えると、彼は「そうですか。しかたないな…」と言って、帰っていったというのです。
 結局、彼女は戦後五十年間、彼と一度も会っていません。昭和十六年、彼が出征する前に会ったのが最後となったのです。
 彼女は、あの時彼が訪ねてきてくれた時に、会わなかったことがずっと心残りになっていました。
<続く>

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