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戦後に再会できた方と(1) | 秘密のあっ子ちゃん(97)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回の人探しの調査の依頼人となるその女性は神奈川県在住で、今年七十二歳になります。彼女は三十二、三年前からずっと気がかりになっている人がいました。
その男性は関西にいるということは知っていましたので、彼女は来阪し、余程自分で訪ね歩こうかとも思っていました。しかし、近頃めっきり足腰が弱ってきたため、遠出は苦痛でした。そんな矢先、ある婦人雑誌で当社のことを知ったので、彼女は早速にもその人の調査を依頼してきたのでした。 彼は健在なら彼女より三、四歳年上で、昭和十七、八年当時の職場の先輩でした。彼女は当時、中央電話局(現在で言えばNTTですが)に勤務していました。彼は大学の夜学に通いながら、この中央電話局に勤務していたのでした。出身地は北陸だと聞いています。 ご多分に漏れず、二人は恋仲でした。しかし、やはり二人の場合も、その仲を引き裂いたのは戦争でした。昭和十九年に彼が応召すると、彼の消息はぷっつりと途切れました。風の噂では南方戦線に派遣されたとも聞きました。
しかし、二人のケースが戦争によって引き裂かれた多くの恋人達の場合と違ったのは、戦後再会していることでした。
依頼人が彼と別れたのは、彼が夜間大学の三年生の時、昭和十九年の秋のことでした。戦局が逼迫していく中で、依頼人自身もいずれ彼もまた召集されるだろうということは覚悟していたものの、その出征は突然のものでした。二人はきっちりしとた将来の約束を交わす間もなく別れたのでした。
昭和十九年も押し詰まって届いた彼からの初めての手紙では、彼はまだ内地にいるとのことでした。
「面会ができるようになれば連絡する」とその手紙には書かれてありましたが、その機会は訪れることもなく、昭和二十年も梅の季節になっていました。彼からの連絡は暮れに届いた最初の手紙だけで、それ以降は何の音信もありませんでした。
そんな頃、彼は既に南方戦争に出征したと、彼女は風の噂で聞きました。
それ以降の彼女は、自らが生きていくことに精一杯となっていきました。というのも、三月、東京の大空襲で彼女は母を失い、妹と二人きりになってしまったのです。父はその前年、中国大陸で戦死しており、フィリピン沖で撃沈されたと兄の戦死公報が届いたのは六月でした。
彼女は彼の消息が気になりながらも、妹と二人、度重なる空襲の中で必死で生き抜いていました。
しかし、勤務した電話局が焼失した後は、諏訪の叔母を頼り、運良く疎開することができたので、何とか食料の確保だけはできたのでした。
八月、終戦となっても、彼女と妹は東京へは戻りませんでした。叔母の夫が復員し、家業を再開したのを機に、二人はその仕事を手伝うようになったのでした。 彼の消息は全く分かりませんでした。
昭和二十二年、所用で東京に出向いた折に昔の同僚達に彼の消息を尋ね歩きましたが、彼がどうなったのかを誰も知る者はいませんでした。彼女は彼が東京で親代わりのように面倒を見てもらっていた上司の家にも訪ねてみました。彼が復員していれば、必ずこの上司には挨拶に来るはずでした。しかし、彼からの連絡はこの上司にも何も入っていませんでした。
叔父に訳を話し、東京での滞在を三日延ばしてもらって、彼の消息を尋ね歩いた彼女の努力は徒労に終わったのでした。
「戦死されたんかもなぁ…」
帰りの汽車の中で叔父がぽつんと言ったことが、彼女は今も忘れられません。
昭和二十二年になっても、彼の消息は分かりませんでした。彼の生死については、依頼人はもはやは諦めていました。
昭和二十三年、彼女は義理の叔父の勧めで、叔父の遠縁に当たる男性と結婚しました。そして、跡取りがいなかった叔父夫婦と養子縁組をして、入籍したのでした。翌年、彼女は長男を出産し、その二年後には長女、続いて二女を出産しました。叔父の後を継いだ夫も仕事に慣れて家業も順調に伸び、三人の子供達も健やかに成長して、彼女はそれなりに幸せな生活を送っていました。
昭和三十五年のある日、中央電話局の元同僚から思わぬ便りがありました。それは、久しぶりの再会の呼びかけでした。
「お元気でお暮らしですか? 私達が勤務していた電話局が空襲で焼失してからはや十五年が経ちます。その後、それぞれに様々なことがあったことと存じますが、皆、無事にあの頃を乗り切り、こうして新たな人生を歩めていけるのも、私達を守ろうと戦地で戦って下さった方々のお陰だと思います。つきましては、戦死された同僚達を偲び、今、生きている私達の今後の幸せを願って、同窓会を催したいと存じます。何かとお忙しいと存じますが、万障お繰り合わせの上、是非ともご出席賜りますようお願い申し上げます」
元同僚から久しぶりの再会の呼びかけの便りが届いて、依頼人は胸踊る想いでした。あの顔、この顔、急に鮮やかに当時のことが甦ってきて、一刻も早くみんなと再会したい衝動に駆られました。それに、彼を含めて消息が分からない人の音信が少しでも分かるかもしれません。
夫も参加を快く許してくれ、彼女は久しぶりに東京に向かいました。
会場に指定されていた旅館に着くと、既に十数人かの同僚達が到着していました。あれから十五年も経つのに、一目で誰か分かりました。
「おう!来た、来た!いやぁ、元気そうだなぁ。ちっとも変わらないねぇ」
「あら、もう三人の子持ちなのよ」
再会を喜び、そんな会話を交わしながら、入口に今到着したばかりの人の姿を見て、彼女は心臓が停まりそうになりました。
彼だったのです。

<続>

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