このページの先頭です

中学3年生からの依頼(2)| 秘密のあっ子ちゃん(214)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

憧れの後輩の彼女から、思いもよらず告白を受けた依頼人(中学三年生)。
彼女は色白で、くりっとした目を持ち、長いストレートの髪が風に揺られてサラッと流れるのが印象的でした。それに、中学一年生には見えないほど大人っぽい感じの女の子でした。
彼は前々から「かわいい子だなぁ」と思っていたそうです。
「こんな子とつきあえたらいいなぁ」と心ひそかに思っていました。が、「無理だろうな」と自分の思いも告げず、ただ遠くから眺めるだけで、諦めていました。
それを、相手から「つきあいたい」と言われたのですから、信じられない思いを抱きながらも二つ返事でOKしたのでした。
しかし、思春期の男の子の照れからか、彼は最後まで、自分の彼女への気持ちを伝えなかったそうです。
五年もたったつい先日、彼は私に「そのことが唯一の悔いです。彼女は、僕がそれほど彼女のことを思っているとは知らなかったと思います」といったものです。
とにもかくにも、二人は交際を始めました。
デートの場所は彼の家の前だったり、近所の公園だったり・・・中学生のこと故、デートと言っても、夜、お互いにフラッと出てきては、とりとめのないことをおしゃべりするということでした。時には、夜中までしゃべっていたこともありました。冬でした。 私が「寒かったでしょう?」と聞くと、彼は「寒さは気にならなかったです」と答えました。
中学生とは思えないほど大人っぽく見えた彼女も、話してみると自分と同じ感覚で、「やっぱり中学生だな」と安心したと言います。
ある時、彼は彼女から縁結びのお守をもらいました。彼女がいなくなってから、彼はその大切なお守をなくしてしまったのです。彼は必死で探しましたが、それはどうしても出てきませんでした。彼女との唯一のつながりが絶たれてしまったようで、これには、彼も随分ショックだったようです。
話を戻しますが、二人が近所の公園でデートを重ねるようになって二週間ほどたったある日、彼女は突然、転校していってしまったのです。
彼は彼女から何も聞いていませんでした。
びっくりした彼は、先生にも聞いてみました。しかし、先生は口を濁して、はっきり教えてくれませんで した。
そんな時、例の最初に彼に交際を申し込んできた彼女の友人が、落ち込んでいる彼を見て、彼女の行き先を教えてくれたのです。
「彼女は施設に入ったよ。半年程で戻ってくるそうよ。自分の口から言うには恥ずかしかったみたい。でも、聞かれたら、『待っていて』と言ってほしいと、私、頼まれてたんヨ」
彼女の友人はそう言ったのでした。
彼は、彼女がいなくなって寂しいことに変わりはありませんでしたが、真相が分かったことでホッとしました。そして「半年くらいだったら待てる」と思ったのだそうです。
しかし、半年たっても彼女は戻ってきませんでした。
彼はだんだん心配になってきました。
彼は自分で家庭裁判所に問い合わせました。すると、その返答は、「資料が多すぎて分からない」とか「リストに載っていない」とか、果ては「今は施設にいない」とか言われて、何がなんだか余計分からなくなったのでした。
彼はそれ以上自分ではどう探してよいのか分かりませんでした。どこか、ちゃんと探してくれる所はないだろうか、といろいろ調べました。そんな時、「初恋の人探します社」という社名が目に留まったそうです。彼は「ここならぴったり!」と思ったといいます。
彼はすし屋でアルバイトを始めました。そしてそれまでの思いの全てをこめて当社に電話してきたのでした。

<続>

中学3年生からの依頼(1)| 秘密のあっ子ちゃん(213)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

これまで当社に依頼されてこられた人たちの年齢は実に様々ですが、今回はその中で最年少の方のお話しをしたいと思います。
彼のケースも、私が忘れることのできない依頼の一つなのです。
彼は、私が電話を取るなり、唐突に「探してほしいんですが・・・」と言ってきました。 声からして、どうも大人ではないようでした。それに話が唐突すぎるので、私は「悪ガキのいたずら電話かな」と思いました。いたずら電話なら、細かく話を聞き進むうちに、電話の主がしどろもどろになっしまうので、すぐに分かります。
ところが、彼の場合、こちらの質問にはっきり受け 答え、次第に彼の「探したい」という気持ちが私に伝わってきました。
しかし、やはりどう聞いても、彼の声や話し方は子 供っぽい。
私は「あなたのお年はいくつですか?」と聞きまし た。すると、彼は「中学3年生」と答えたのでした。 私は一瞬「え?」と絶句しそうになりました。そして「未成年だし、料金がいることだしこれはちょっと 受けかねるナ」と踌躇している私に、彼は「親にも 言ってあります」と言うのでした。
「ボク、すし屋でアルバイトしているから、お金の ことは大丈夫です。お母さんも自分のお金でするなら いいと言ってくれてます」
そして「あの子がどうしているか、とても心配なん です。どうしているか分かったらそれでいいんです」 と一生懸命、私に訴えてきました。
彼の話はこうでした。
彼にはずっとあこがれていた後輩がいました。彼女 は2歳年下の中学1年生でした。
彼は、よく彼女が放課後校庭でクラブ活動をしてい る姿を眺めていたり、あるいは、彼女が自分の教室の 前を通らないだろうかと、廊下の方ばかり気になって いたり・・・そんなことを繰り返していたのだそうです。
私は「若いころって、そういうことがあるんだよなぁ」と自分の中学時代を思いだしながら聞いていました。
そんなある日、彼は彼女の友人に突然呼び出されたのだそうです。
依頼人は、「もしかして、彼女からの伝言か?」と内心期待に胸をふくらませながら、屋上へ行ったのだそうです。
ところが、その友人の話とは、彼女の伝言どころ か、「私とつきあってくれない?」ということでした。
彼はガクッときて、その子には悪いと思ったのです が、その申し出をはっきり断ったのだそうです。
翌日、彼は再びその友人に呼び出されました。
「なんや、しつこいな」と思いつつ、屋上へ行くと 彼女の友人は彼にこう言いました。
「私とつきあわないんだったら、あの子がつきあい たいと言ってるヨ」
彼はうれしくて天にも昇る思いだったそうですが、 そこはオトコのコ。そんな気持ちはおくびにも出さ ず、そっけなく「いいヨ」と答えたらしいのです。
私は「彼女の友人の感覚はギャップがあるなぁ。さ すが、きょうびの中学生!」などと、変なことに感心してしまいました。
とにもかくにも、そんな訳で、おめでたく彼は憧れ の後輩の彼女とつきあうことになったのでした。

<続>

 

まだ見ぬ異母妹を探して(3)| 秘密のあっ子ちゃん(212)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

やっとの思いで 見つけた依頼人の異母妹の母親でし たが、私たちは彼女にはコンタクトを取らず、この調 査を終了させました。
それは、この段階に来た時、依頼人から「もう少し このままにしておいてほしい」という要望を受けたか らでした。
あのおばあさんの話は、彼にとっては、母がまだ健在だったころ、たまに帰ってくる父、児童福祉施設にいたころ二、三度面会に来てくれた父、そして何よりも死んだと分かって以来、ずっと思い描いていた父親像とのギャップが大きかったようです。
彼女とコンタクトを取って、それ以上に自分が知ら ない事実を受けとめるには、もう少し時間的余裕が必要のようでした。
「お気持ちの整理がついたら、ご自分で彼女にご連 絡されてもいいですし、それがしんどいようでしたら またいつでもご連絡下さい」。私はそう言って電話を切ったのでした。
それから、一年以上がたちました。
「今日で仕事じまい」という暮れのある日、彼から久しぶりに電話が入ってきました。
「妹が役所でも行方不明扱いになっていた事情が分かったので、その報告がしたくて・・・」と言ってきたのでした。
彼の話によると、調査を中断してから一年ほどたったある日、思い切って妹さんの母親に連絡を入れたそうです。
彼女は、彼が名乗ると最初は言葉もないほど驚いた といいます。
「私の父に無理矢理二人の仲をひきさかれた時、娘 はあなたのお父さんが引き取りました。私はすぐにここへ嫁がされました。子供を産んだということは隠し ての嫁入りでした。姑さんは厳しい人でしたが、夫は 優しい人で、息子も生まれて私はそれなりに幸せでし た」 「二年ほどして伯母から『娘が捨て子になって福祉 施設に預けられている。施設が親を探しているという 記事を見た。私が引き取りに行ったが、親でなければ 渡せないと言われて、しかたなく帰ってきた』と聞か されました。
私はすぐにでも飛んで行って、娘をつれて帰りたか ったのですが、姑の手前、引き取りに行けなかったの です。私はあの娘のことを思わないでいた日はありま せんでした」
彼女は依頼人に泣きながら話したそうです。
依頼人にとって、異母妹の話は衝撃でした。
妹は、五歳にもならないうちに父親に捨てられたの です。二人が泊まった信州のある旅館で「すぐに戻って来る」と妹を置いて出ていった父親は、結局、戻っ て来なかったのでした。
母親は、姑の手前、いや、新たに生まれた息子の幸せのために家庭を壊すことができず、彼女が預けられた福祉施設へその成長を問い合わせるだけが精一杯
の親心だったのです。
彼は、妹が母親の存在さえも知らないだろうとも聞 きました。
彼は、私にそうした話を淡々と語りました。
私は、その話を聞いた時の彼の心境はいかばかりか と思わずにいられませんでした。
しかし、なぜか異母妹の母親はもちろん、父親に対 しても、怒りや憤慨の感情は起こりませんでした。彼
の口調があまりにも冷静だったからかもしれません。
私は、ただこの兄妹の運命の凄まじさに言うべき言 葉を失っていました。
依頼人は異母妹の母親と連絡を取った後、妹が育て られたという信州の施設を訪ねたのだそうです。
三十五年も前の古い書類 は既になかったのですが、 職員の好意で、昔勤務されていた先生に連絡を取って  もらうことができたということです。
妹さんは、施設を出てから後も、その先生には時折音信を知らせていたのでした。
彼は、その先生の話から、妹さんが現在、長期に入院していることを知ったと言います。
「妹も、さぞかし苦労しただろうと思います。入院 が長期になっているのもそんな精神的な苦労からきているのかもしれません。
やはりまだ、対面する不安はありますが、近いうちに会いに行こうと思っています」。
最後に彼はこう言ったのでした。
暮れの仕事じまいの夜、一人残って、整理のために  書類に目を通していた私は、電話を切ってからしばらく動くことができませんでした。
私は、この兄妹の人生後半の幸せを心より願わずに はいられませんでした。「これからは二人で力を合わせて何としても幸せになってほしい」と。
そして、今も時折、彼らのことを思い出しては『が んばれ!」と心の中でつぶやきます。いつか、彼から 吉報が入るだろうと思いながら・・・。

<終>