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夫婦の絆 | 秘密のあっ子ちゃん(3)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
その女性は、三十代後半の目鼻立ちがすっきりした美人で控え目な人でした。心労のためか、色白の顔が少し青く見えたものです。 彼女が初めて当社に人探しの相談の電話をしてきた時、『絶対、誰にも分らないように探してもらえますか』ということを非常に気にしていました。そして、それができるということが分ると、『お申し込みは電話でも構いませんよ』という私を遮って、『電話では何ですから』とやってこられたのでした。
彼女の顔に不安そうな表情が時々見え隠れはしていましたが、探したい人の氏名や当時の住所・出身学校や職場などをスラスラ答えられるので、私は当初、彼女がそれほど思い詰めているとは分りませんでした。 ところが、調査先と知り合ったきっかけやつながりを聞き始めると、途端に彼女の口が重くなったのでした。
私が何度か促すと、彼女は意を決したように喋べり始めました。私はその話を聞いて、『ウーン』とうなってしまう程、本当にびっくりしてしまいました。  彼女には六才になる男の子がいます。
それは、その男の子の出生に関わる話だったのでした。
その女性が重い口を開いて話した内容に、私は本当に驚きました。
彼女は十六年前、二十一才で結婚しました。
夫は優しい人だったらしいのですが、同居の姑とは折り合いが悪く、それに、なかなか男の子に恵まれなかったことに姑が腹を立て、ネチネチ彼女を責めたと言います。
聞いている私もだんだん暗い気分になっていきました。『今どき、男の子ができないからと言って、陰険なやり方でいびるなんて、まだそんな姑がいるとは信じられへん』と、マ、それは私にとって我が身に起こったことではないので簡単に言える訳ですが、当の彼女にしてみれば大変なことでした。
彼女がどんなにがんばっても、姑はどうしても彼女のことを気に食わない。一挙手一動、あれこれ言われるにつけてとうとう耐えかねて、ついに彼女は家出同然に婚家を離れたのでした。三才になる一人娘に後ろ髪を引かれる思いを残して…。 残してきた娘のことが毎日気になり、会いたい想いは募る一方でしたが、もう戻る訳にはいきません。実家にも連絡できず、不安の中でも一人生きていくために、生れて初めて働き始めました。
そして、その職場で彼と出会ったのでした。
婚家から逃げるように出た彼女は、一人で生きていくために働き始めました。 短大を出てすぐに結婚した彼女は、働いた経験がありません。一人娘を婚家に置いてきた辛さと慣れない仕事への緊張と不安の中で過ごす彼女に、何かと面倒を見てくれたのが職場の先輩の彼だったのです。
彼は彼女より二才年上で、てきぱき仕事をこなし、ユーモアに富み、彼女にはとてもスマートな男性に見えました。優しいけれど、職人気質で一徹、無口な夫とは全く違うタイプでした。 彼女は彼のジョークにどれほど救われたことか。いつしか二人は深い仲になっていきました。
しかし、彼には妻子がいました。初めはたまに彼女の部屋に通ってきていた彼でしたが、二人の仲が二年、三年と続くうちに、彼は次第に家へ帰らなくなっていったのです。
そんなころ、彼女の夫はやっと彼女の居所を探し当てました。
あの姑は、前年亡くなっていました。
夫は、娘のために戻ってきてくれと言います。それを聞いて、彼女は泣かずにはいられませんでした。娘を放って家を出た自分を、正式に離婚もせずに男を作っている自分を、夫は許すと言ってくれたのです。
彼女と彼と夫の三者で話し合いが持たれ、彼女は、彼と手を切り、婚家へ戻る決意を固めました。
彼はいい人で、随分お世話にもなったけれど、これ以上二人の関係を続けていくことは、彼の家庭を壊すことになる。それに、私には娘が待っている。あの姑はもういない。今さらながら、いたらなかった嫁だったと、悔やんでも悔み切れないけれど、日ごろほとんど自分の想いを口に出さない夫がああも言ってくれてる。全てを許す、と。夫と娘に対しては、自分の一生かけてでも償っていこう。 彼女はそう思ったと言います。
ところが、その時、彼女は気づいていなかったのです。彼の子供を妊娠していることを。
それから七ケ月後。彼女は男児を出産しました。
夫は、この子の父親はどちらなのかというようなことを一言も口には出さず、当り前のことのように自分の子として出産届を出し、育て愛しんでいます。
六年が経ち、息子は元気に成長していきました。
ところが、六つの誕生日を迎えるころから、どうも様子がおかしく、医者に診せると難病だということが分りました。生存の確率は五分五分だと言います。
彼女は自分を責めました。息子の病気は自分の罪のせいだと。
病室で苦しむ息子の姿を見るたびに『できることなら代ってやりたい』という想いが身を苛み、やっと落ち着いて眠る寝顔を見ては涙を押さえることができませんでした。
『この子が助からなければ、私も生きてはいけない』
そんな思いにかられた時、せめて生きている間に彼にこの子の姿を見てほしいと、強く思ったのでした。
そして、『わがままはこれが最後』と、意を決して当社にやってきたという訳なのです。
彼の調査は難行を極めました。
彼の会社は既に倒産していました。経営者の甥にあたる彼は、事業建て直しのための借財に連帯責任の印を押していたため、負債責任を負ったまま、蒸発同然で行方が分りませんでした。 やっとのことで私達が見つけ出した時、彼はある中小企業の社長に“拾われて”いました。彼はまだ世間の目からは身を隠さざるを得ない身でした。妻子ともこっそりとしか連絡を取ることができません。矢のようにくる返済催促の矢面に立っている彼の実母が、『この年になって、こんな惨めな思いをしなければならないのか』と嘆いておられる姿を見て、私は次の言葉を失いました。
私達の報告を聞いた彼女は、彼に会うのを躊躇し、何度も私達に相談し、それでも思い余ってその会社の前に立ったのでした。
その時、地獄に仏が現われたのです。仏とは彼を助けたその会社の社長でした。青白い顔をして立ち尽す彼女の様子がおかしいと見咎めた社長は、彼女を招き入れ、全ての事情を聞きました。そして、彼女に、営業に出ていた彼を引き会わせ、加えて、さりげない形で入院中の息子に対面させてくれたのでした。
彼女は、その社長が彼に引き合せてくれ、そして、自らも病院に出向いて、彼と息子をさりげなく対面させてくれたことを、泣きながら報告してきました。そして、私達に対して非常に感謝してくれたのでした。 私は、自分達のしたことは当然の義務を果たしたまでのこと、それよりもその社長の肝の座った対応に熱いものを感じました。
あれから何回目かの夏が来て、彼女の息子は無事命を取りとめ、今は元気で学校へ通っています。
彼女はあれ以来、一度も彼には会っていません。もう二度と会うつもりはないと言います。
そして、しみじみこう言いました。
『あのことで、夫婦の絆が強くなったように思います。私のことを一番考えてくれていたのは主人だったということが、身に染みて分りましたから。主人は“お前はそんな運命だったんや”と言ってくれていますが、全てを引き受けて生きてくれているのは主人の方だと思います。子供にはいつか全てを話す日が来ると思いますが、今は私達夫婦の絆の証しだと思っています。彼には早く立ち直ってもらいたいと思います。立ち直れる人だと思いますから…』
<終>

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