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夫の生みの親は…(1 ) | 秘密のあっ子ちゃん(83)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

その女性は一年半前にも電話で調査の相談してきたことがありました。
最初に電話が鳴ったのはもう夜も随分更けていて、その日はスタッフが全員退社し、たまたま残業していたのは私一人でした。彼女の話を聞いたのは私ですから、よく覚えています。
彼女は二十七歳の主婦で、結婚したのは二年前のことでした。
彼女が探してほしいというのは、夫の母親のことでした。
彼女の夫の両親は、彼が生まれるとすぐに離婚しました。彼の出生からわずか十日後のことです。三年後、父は後妻を迎え、彼はその継母に育てられたのでした。彼には腹違いの妹が一人いますが、継母はわけ隔てなく二人を育て、彼は継母に感謝こそすれ、恨むようなことは全くありませんでした。
しかし、彼は子供の頃から、「実の母とは一体どんな人なのだろうか」という想いがずっとありました。
依頼人と知り合い、交際している頃から、彼はその想いを彼女に語っていました。彼女はいつか夫の希望を叶えてあげたいとずっと思っていたのでした。そこで新聞記事で知った探偵事務所に相談してきたという訳です。
「こんな調査も引き受けてもらえるんでしょうか?」
彼女はそう尋ねました。
もちろん、こういったケースはこれまで多数受けていましたので、私は快く引き受けました。
彼女はまたこうも言いました。
「実は、これはまだ夫には内緒なんです。夫はよく、『生みの母とはどんな人なんだろうか』と言っていますが、『自分が会いに行っていいもんなんだろうか』と気にしてます。ですから、まず私がどんな人か確認してから夫に知らせようと思っているんですが…」
「分かりました。調査はそういったご意向に沿って進めさせていただきます。お決まりになったら、お申し込み下さい」
私はそう答えたのです。しかし、その後、彼女からは何の連絡もありませんでした。
私は「いろいろ考え、迷っているんだろう」と思い、そのままにしていました。こういうことは何よりも依頼人の意志が大切で、他人がとやかく言うことではありませんから。
一年半が経って、私も彼女のことをすっかり忘れていた今年の夏、再び電話が入りました。
「この前お電話で相談したものの、いろいろ考えてしまいまして、迷っていたんです。一番気になったのは、主人に内緒で彼のお母さんを探していいものかどうかです。願い通り、一度生みの母に合わせてあげたいと思う反面、黙って調べるのはどうも気がひけて…。それで、先日、主人に話してみたんです。そしたら、彼、そんな所があるんだったら、探してもらおうと言うんです」
彼女の気持ちはやっと固まったようです。
私達は早速動き始めました。
二週間後、依頼人のご主人の生みの母親の居所が判明してきました。彼女は現在五十七才で、一人で暮らしていました。
そのことを連絡すると、彼女は報告書をわざわざ当社に取りにやって来ました。そして、ひとしきりスタッフの説明を聞いて、大喜びで帰っていったのでした。 ところが一週間後、再び彼女から連絡が入りました。 「居所が分って、主人も大変喜んでいるんですが…。ちょっとまたご相談したいことがありますので、お伺いしてもいいですか?」 彼女の言い方は煮え切らないものがありました。
あくる日、彼女はやって来ました。
「私は早速会いに行こうと言ったんですが、何しろ三十一年ぶりのことですから、主人がどういう風に会いに行けばいいのか躊躇しているんです。生後十日で別れていますから、主人はお母さんのことを全く記憶していませんし、どんな人かも分らないので、ちょっと不安みたいなんです。実は二、三日前の夜、二人で行ってみたんですが、『あんた、誰?』みたいなことを言われるんじゃないかと、マンションの前まで行って引き返してきたんです。どうしたらいいんでしょうか?」
彼女はご主人の気持ちを推し量り、次の方策を考えあぐねていました。
第三者の立場から言えば、所在が分ってきたのだから、「さっさと会いに行けばいいのに」というものなのでしょうが、当事者からすればそうもいかないようです。 「生後十日で別れた息子が三十一年ぶりに突然現れたら、今の生活には支障をきたさせはしまいだろうか」とか、「三十一年も何の連絡も寄こしてこないということは、既に我が子とは思っていないのではないか」と考えてしまいます。また、依頼人にしても「三十一年間、『瞼の母』としてずっと想っていたのに、お母さんに主人が冷たくあしらわれてしまえば、ショックが大きすぎ、あまりにも可哀想」と慮っていました。
私達はその後もあれこれと話し合い、その結果出した方針とは、まず私達が母親に会い、それとなく彼女のご主人のことを打診してみるということでした。当事者はどうしてもあれこれと考え思い悩んでしまうもので、こういうことは第三者が仲立ちするのが一番と、母親には私達が接触することになりました。
ところが、当の本人はなかなか捕まりません。まだ五十七才と若く一人暮らしであるため、働きに出ておられるのは間違いありませんが、夜八時にも九時にも帰宅されていないのです。 そこで、スタッフは日曜日の夜に出かけていきました。担当は、このケースの事情を考え、母親と同じ年格好の年配の女性が当たりました。
夜七時頃のことでした。運良く、部屋の明かりは点いていて、在宅されているのが分りました。しかし、スタッフが三度チャイムを押しても応答がありません。やむなく出直そうとした時、奥から大声が聞こえました。
「どなたなの?!今、風呂に入ってるとこでしょ!」 随分きつい言い方でした。 スタッフが手短に来訪の主旨を告げ、後程出直すと言うと、
「何回も来てもらわなくても結構!こんなところでウロウロされては困るから、マンションの外で待っていて下さい!」
という答えが返ってきたのでした。お風呂に入っていたのならいたしかたがないとして、六十才にも手が届こうとする人が何という言い方だろうと、スタッフは思いました。しかも、我が子の名前を聞いた上でです。
外は土砂降りの雨でした。スタッフは待っていると、程なく彼女は階下へ降りてきました。
「何ですの?!」
またまた刺のある言い方です。彼女はすっきりした身なりで、髪の毛もさっぱりと手入れが行き届いていました。しかし、その表情には険しさが現れ、ぎすぎすとした感じが何とも嫌な印象を与えました。
スタッフが依頼人のご主人のお母さんであるかを確認しました。
「いいえ。私は違います。そんな名前は聞いたことがありません」
調査の過程で同姓同名の人違いであるはずがないことは既に分っていました。しかし、本人が「違う」と言い切っているのですから、どうしようもありません。 ところが、その後、彼女自身がボロを出したのです。

<続>

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