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肉親の情(1)| 秘密のあっ子ちゃん(35)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
こういう仕事をしていると、肉身の情の強さというものをつくづく感じざるを得ません。家出した娘を心配して食も喉を通らないという両親はもちろんのこと、三十年も蒸発したまま行方不明になっている兄を探してほしいという姉妹、生き別れた父親を探してほしいという娘さん、その想いやひっかかりは簡単に言葉で言い表わせないものがあります。
今回は今年七十才になる女性のお話しをしましょう。 その老婦人は、昨年の春に初めて調査の相談に当社にやってきました。上品な感じで、その上七十という年令にも関わらず大層お元気そうな方でした。
彼女はなかなか本題に入りづらそうで、私は暫くの間彼女と何やかやと世間話をしていました。その話によると、彼女は十年以上も前につれあいを失くし、今は一人暮らしをしているとのことで、趣味はゴルフ、その腕前はシングル並み、古くからの友人達と温泉や海外の旅行によく行くという、見た通りの何不自由のない生活をしている優しそうなおばあさんでした。
ところが、そんな一見何の心配もない悠々自適の老婦人と見える彼女にも、実は三十年以上に亘って誰にも言えず、ただ一人で悩み続けてきたあるわだかまりを抱えていたのでした。
依頼人(70才)が嫁いだのは、昭和十八年の秋、彼女が十八歳の時のことでした。夫となった人は十才年上の男らしくて優しい人でしたが、少し複雑な家庭環境の中で育った人でした。
と言うのも、遠縁に当たる家に男子がいなかったため、三男であった彼は生まれてすぐに養子に貰われていったのです。成人間近になって養母が死亡し、養父は彼とあまり年の変わらない若い女性を後妻に迎えました。
なくなった最初の養母と同様、この五才年上の二度目の養母は彼を弟のように可愛がってくれました。
しかし、依頼人との縁談が持ち上がった頃、今度は養父が死亡したのです。年離れた夫が亡くなると、若い養母はこれまで以上に彼を可愛がることに没頭するようになりました。
養父の喪が明けると、依頼人と彼は、戦時中のこと故、ささやかな式をあげて入籍しました。婚約時代、何回か訪ねた時はとても優しかった若い姑は、彼女が嫁になるやいなや、とても厳しくなりました。それは彼女の挙動を監視するかのようで、彼女は些細な失敗でも口やかましく罵られました。まるで、彼の妻となった依頼人への嫉妬のほうに…。
依頼人は結婚した途端に豹変した夫の養母の仕打ちに耐え、嫁としての勤めに精を出していました。
一年後、彼女は身籠りました。夫は初めての子を大層喜び、彼女の体をいたわってくれましたが、出産経験のない若い姑はますます彼女につらく当たりました。 そんな矢先、夫に召集令状が届いて、彼は産み月を待たずに出征していきました。昭和十九年も押し詰まった寒い冬の日のことでした。 夫が出征していくと、彼女は毎日ちくちくといやみを言われ、時には些細なことでも厳しく叱責される姑との二人暮らしをじっと耐えるの中で長男を出産しました。
「孫」ができると姑は夫の代りに長男を溺愛するようになりました。息子の世話の一切を姑がし、彼女は我が子でありながら手を触れることさえできない状態が続いたのです。しかも、長男が日に日に成長するに従って、姑は彼女をまるで邪魔者かのように扱い出しました。
こうした状況を知った彼女の実家では、「早く子供を連れて帰ってくるように」と矢のように催促し出しました。
そしてついに、長男が生まれて半年後、昭和二十年七月に彼女は長男を連れて、婚家を出ました。
<続>

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