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戦争に行った彼(1) | 秘密のあっ子ちゃん(113)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 今年七十才になる彼女にとって、彼のことを思い出す度に悔いることは多いのです。その中でも一番の後悔は、彼が出征する前に彼女に語ったことに対する自分の反応でした。
 昭和十九年のあの日、軍需工場の昼休みに彼に呼び出されて近くの公園で最後に会ったあの時、彼はこう言ったのでした。
 「ついに赤紙がきた…。僕は戦争なんかに行きたくない!」
彼の目から涙が流れていました。
 彼女は彼を何とか励まそうと思いましたが、最後まで彼のその言葉に同調することはできませんでした。誰が二人の話を聞いているか分りません。彼女は彼の心情を慮ばかるより、密告の方を恐れました。「非国民」と密告されれば、叔父の家業の跡を継いだ弟にまで迷惑をかけることになります。苦労して育ち、二人で力を合わせて生きてきた唯一人の弟でした。
 彼女は、ろくに彼の話を聞くこともせず、そそくさと工場へ戻ったのでした。 それが彼との「密会」の最後になるなどとは、その当時の彼女は全く想像もしていませんでした。
 今回はそうした思い出をもつ一人の老女のお話をしましょう。
 彼は存命であれば、今年七十一才になります。
 彼と知り合ったのは、昭和十八年、まだ彼女が女学校に在籍していたころに動員された軍需工場ででした。彼女は飛行機の部品を作る部署へ配属されました。彼はその部署の責任者でした。 彼は仕事に対して責任感が強い一方、部下に対しては面倒見のいい人でした。彼女達のグループにも、事あるごとに「がんばれ!」と励ましてくれていました。 戦況が切迫していったあの時期、「必ず日本は勝つ」と信じながらも苦しくつらい青春を過ごさねばならなかった彼女達にとって、何くれと心を配り、いつも励ましてくれる彼の存在は重要なものでした。
 彼女達は、昼休みなどの休憩時間にはいつも工場の中庭で輪になって語り合っていました。心浮き立つようなことは何一つなかったあのころ、そうした仲間同志の語り合いだけが唯一の楽しみでした。
 そんな時、彼はいつもみんなの話の聞き役でした。常に彼を中心に人が集まりました。しかし、みんなに取り囲まれながらも、彼は時々ふと遠くを見るような目をすることがあることに、彼女は気づいていました。その時の彼の目はとてつもなく淋しそうな目でした。
 皆の輪の中にあっていつもただじっと聞き役に回っていても、常日頃寡黙な彼であれば、それはさほど不思議なことではありませんでした。しかし、彼女は彼が時折とても淋しそうな目をして遠くを見つめていることを見逃しませんでした。 それには理由がありました。彼は幼い頃に両親を相次いで失くし、十才も違う弟と共に伯父の家に引き取られ、育ちました。伯父の家には男子がなく、伯父は彼に大きな期待をかけていました。そして、行く行くは長女をめ合わせようと考えていたのです。
 彼にはそれが重荷でした。いえ、決して二つ年下のその従妹が嫌いな訳ではありません。それなりの器量良しで気立てのいい彼女は、嫁にすれば申し分ないと考えられました。これまで育ててもらった恩に報いるためにも、彼は伯父の期待に応えねばと考えていました。しかも、いずれ軍に召集される我が身を思えば、まだ小学生の弟の面倒も見てもらわねばなりません。しかし、そう思えば思う程、彼にはそれがますます重圧となっていったのです。
 彼は、境遇のよく似た彼女だけにはその辺の自分の胸の内を打ち明けていました。
 彼女もまた弟と共に、早くに失くなった両親に代って叔父に育てられたのです。
 境遇が似ている彼女に、彼はいつも励ましてくれていました。
 軍需工場の労働は厳しい上に、常に空腹でした。しかも、日に何度も空襲警報がなり、その度に防空壕に待避しなければならない日が続きました。「これから先、どうなるのだろう…」ともすれば弱気になってしまいます。
 そんな時、彼はいつも「がんばろう!生き延びていたら、きっといいことがある」と励ましてくれていました。「親がなくても、いつか幸せになれる!」と言ってもくれました。
 別に恋仲であった訳ではありません。むしろ、「同志」と言った感覚でした。 それにも関わらず、彼女は彼の悲痛な叫びに背を向けてしまったのです。
 あの日、いつものように“昼休みのささやかな仲間の語らい”のために中庭に向かうとした彼女は、彼に「ちょっと話がある」と、工場横の公園へ呼び出されたのでした。
 「ついに赤紙がきた…」 彼女は絶句しました。「ああ、この人にもとうとう…」という想いだけが頭の中を駆け巡っていました。 「武運長久をお祈りしております」
彼女がやっと発した言葉に、彼は驚愕するような内容で答えたのでした。
 「戦争なんか行きたくない!」
 昭和十九年の秋、召集令状が来たことを打ち明けられた彼女は、やっとの思いで「武運長久しをお祈りしております」答えました。それに対する彼の反応がこうだったのです。
 彼女は何と答えていいか分かりませんでした。
 大本営発表では日本の敗戦色が濃いとは決して報じられていませんでしたが、これだけ空襲が多いことやあらゆる物を供出させられることに、「何かおかしい」と感じていました。
 しかし、その疑問をどんなことがあっても口に出すことはできない時代でした。 
 彼女としても、できることなら彼が戦地へ赴くようなことがないようにと願っていたのが本音でした。
 しかし、徴兵拒否などできるはずもありません。
 「戦争なんか行きたくない」という彼の言葉に同調することさえはばかれました。
 彼女は密告を恐れていたのです。自分だけならまだしも、「非国民」のレッテルを張られて、世話にはった叔父や苦労して共に育った弟に迷惑をかけることが何よりも恐ろしかったのです。
 彼女は黙って立ち止まりました。
 彼の目から涙が流れていました。しかし、彼女はそれを無視して工場へ戻ったのでした。
 五十年を経た今も、彼女は悔いていました。
 何故、あの時、彼の話をもっと真剣に聞いてあげることができなかったのか?何故、自分はあれほど、人の耳を恐れたのか?
 そうしたことが、彼女の胸の中にずっとしこりとして残ってきました。

<続>

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