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納得できない離婚要求(2) | 秘密のあっ子ちゃん(135)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

依頼人(37才)は、夫に家へ戻ってきてくれるよう、何回か話し合いを持ちました。しかし、話し合いは平行線をたどり、埒があきませんでした。依頼人が「自分の悪い所は直すから」と言っても、夫は「今さら遅い」の一点ばりです。それに、彼女の両親にこの事態が聞こえるのを恐れて、今回のことは彼女とは無関係であることを強調するのでした。   「もし、あんたが絶対帰ってけえへんって言うんやったら、私、あの女の親に話しに行くよ!」 依頼人がそう言うと、夫は慌ててこう答えます。
「今回のことは俺ら夫婦の問題や。あの子とは何の関係もない。前から言うてるやろ。こうなったのはお前の性格が原因やって!」 夫はどうあっても彼女を表に出したくないらしく、それを誤魔化すために全ての責任を依頼人に押しつけようとするのでした。
依頼人は煮えくり返るような想いを抱えて、仲人に相談を持ちかけました。話を聞いた仲人は非常に立腹し、依頼人のためにひと肌脱いでくれることになりました。
しかし、仲人夫婦が仲に入ってくれても、夫の言い分は変わりませんでした。
そんな中で、依頼人の主張も次第に変わってきました。当初は、「何としても、夫婦でもう一度やり直したい」との一点ばりだったのが、「離婚したいなら、この精神的打撃に見合う多額の慰謝料と子供達二人を育てていくために、これまでと同じ生活水準を保てる養育費を出せ」という風に変化してきたのでした。そして同時に、「浮気相手の彼女とは断じて一緒にさせない」、その二点が依頼人の条件になりました。 もちろん、夫の方はそんな条件には同意しません。夫が提示したことは、二百万円慰謝料と月々十万円の養育費でした。そして、「今回のこととは彼女は関係がない」という主張はあくまでも変わりませんでした。
依頼人側からは仲人夫婦、そして夫側からは夫の会社の社長も出て、五人で何度も話し合いが持たれましたが、話はいつまでも平行線を辿りました。
依頼人が当社へやってきたのはそんな頃です。思いあぐねている依頼人に、例の友人が「一度相談に行ってみたら」と紹介したのがきっかけでした。
「どう思います?佐藤さん」
これまでのいきさつを一通り話し終わると、依頼人はこう言いました。
確かに、私も依頼人の腹立たしく、また納得のいかない気持ちはよく分りました。女を作り、女と暮らしたいがために妻子を捨てて出ていった夫が、突然離婚を要求し、その原因を依頼人の性格や、はたまた「子育てに手がかかって夫の面倒をおろそかにした」ということに摩り替えているのですから。しかも、彼女の両親に聞こえるのを恐れて、あくまでも彼女を表へ出さないようにしている夫の態度には、さぞかし悔しい思いをしているだろうということは想像に難くありませんでした。
しかし問題は、依頼人が当社に何をしてほしいのかという、目的が不鮮明だったことです。
「いよいよ離婚を決意したから、慰謝料を含めて自分の要求額を認めさせたい。万が一、話し合いが決裂して調停に持ち込んだ場合、有利に事を運びたいので、女と一緒のところの証拠写真を撮ってほしい」ということならば、事は簡単なのいです。しかし、よくよく話を聞いていると、依頼人の本心はそうでもないようなのでした。
「離婚を決意したので、事を自分に有利に運びたいから、いざという時のために、証拠として提出できる材料を持っておきたい」ということとか、「夫が一番恐れている彼女の両親に話を持っていく。そのために、彼女の住所や両親の連絡先を突き止めてほしい」ということであれば、調査業者としての私達の任務はすっきりするのです。しかし、依頼人の気持ちは、私と話をしている間もころころと変わるのでした。
「あなたがそういう決められたのなら、ご主人を尾行して浮気現場をおさえるということは可能ですよ」 それまでの話を受けて私がそう言うと、依頼人は迷うのです。
「だけど、尾行して現場をおさえても、夫は帰ってきてくれないし…」
またまた、「もう一度やり直したい」という振り出しに戻るのでした。
かと思うと、「私達がどういう結果になっても、あの女だけは認せへん!」と叫びます。「あの女だけは何も傷つかず、なんでも思いどおりになるなんて、腹立つと思いません?」
「では、彼女の居所を突き止めたいんですか?」私が尋ねます。しかし、依頼人の返答はまた振り出しに戻るのでした。
話を聞いていると、私は依頼人が当社へやってきた目的が何なのかよく分かりませんでした。 話し合いがもめて調停に持ち込まざるを得なくなった時、自分自身を有利に導くために、証拠として提出できる材料を確保しておきたいということなのかと思えば、「いや、私としては、やっぱり主人に家へ帰ってきてもらいたいんです。尾行とか張り込みなんてことをして、そんな風に構えてしまうと、自分自身がもう離婚を前提に話し合いに臨むようで、嫌なんです」と言います。
ならば、「浮気相手の彼女が何も傷つかず、のうのうと主人と暮らそうとしているのが許せない」とあれだけ訴えていた訳ですから、彼女に対して何らかの方策をを取りたいのかと聞くと、「あの女は許せないけど、今、私が彼女の両親のところへ乗り込んだりしたら、主人は怒って、帰ってくるものも帰って来なくなりし…」という具合です。
「お話を聞いていますと、探偵社としてできるようなことは何もありません。もう一度ご主人にあなたの本心をぶつけてみてはいかがですか?」
私はこう言わざるを得ませんでした。
しかし、今後の話し合いの中でも、依頼人の想いを叶えるのは難しいのではないかと、私は思っていました。というのも、依頼人は素直に自分の本心を言わず、意地を張って感情的なことばかりを夫に並べ立てているのです。恐らく、それは今後も変わらないでしょう。
しかし、当事者が感情的になってしまうことを責めることはできません。
「問題の本質はあなたがどうしたいのかということです。腹立たしい気持ちはよく分かりますが、今、必要なのはあなたの本心に従って冷静に行動することだと思いますよ。それがお子さんのためになることです」 私はそう言いました。依頼人は「そうですねぇ」と言いながら、「でも」と、また話が振り出しに戻ります。これでは埒があきません。
その日、私は「最終的に決断を下すのはあなた自身です。自分の想いに沿って決断を下せばいいと思いますよ。また、いつでも相談には乗りますので」と結論づけて、依頼人を見送ったのでした。
依頼人は、夫への未練と自分の家庭を壊した彼女への恨みや復讐との間で揺れ動いていました。しかし、今後どうするのかを決めるのは依頼人自身です。
依頼人が初めて当社を訪れてから何回か相談の電話は入ってきていましたが、私は依頼人の気持ちが固まるまで、そっとしておこうと考えました。
三ヶ月が経って、久しぶりに依頼人から電話が入りました。
「佐藤さん、私、そろそろ結論を出そうと思います。というより、腹をくくるしかなくなってきたんです」 「と言いますと、何か事態に変化があったんですか?」
「ええ。実は給料なんですが、これまでは今までどおり全額銀行に振り込まれていたんですが、今月から十万円しか入ってないんです。主人は『養育費は十万円だ』とずっと言ってましたけれど、その金額しか入ってないんです。これでは、私達は暮らしていけません!」
依頼人は悲痛な声でした。 「とにかく、もう一度相談に行かせてもらってもいいですか?」
二度目に当社にやってきた依頼人は、話し出すと、突然泣き始めました。
「まだ話もついていないのに、勝手に十万円の振り込みにして!銀行には会社から給料全額が振り込まれるようになっていたのに、社長もやっぱりグルなんやわ!」
そして、こうも言ったのです。
「もう、絶対に許さへん。こうなったら、慰謝料もきっちりもろて、あの女にも何らかの償いをしてもらいます!この調子だと、主人はのらりくらりと誤魔化そうとするでしょうから、やはり、きっちりした証拠を持っておきたいんです。佐藤さん、その辺のことはやってくれはりますでしょう?」 「ええ。それは構いませんけれど、しかし、尾行して出てきた報告書はあくまでも最後の手段で取っておかないとだめですよ」
私は言いました。
「えっ?すぐに突きつけたらあかんのですか?」
「こういった報告書は、調停とか裁判といった最後の段階まで伏せておいた方が有利です。それに、通常、慰謝料などの話は調停に持ち出すより、話し合いというか和解で決着つける方が金額的には多くなるものですよ」
「そうなんですか?」
腑に落ちなさそうな顔をしている依頼人に、私は再度説明しました。 「離婚時の慰謝料や養育費は、双方の話し合いによって決着をつけるのが一番いいのです。調停とか裁判とかというものは、どうしても折り合いがつかない時に用いる手段で、第三者に判断を委ねる訳ですから、あなたの言い分が百パーセント通るとは限らない場合が多いですよ」
「でも、今の主人の言い分はどうしても私には納得いきません。第一、養育費は十万円って言ってますし、それに慰謝料だって五百万円って言ってるんですよ!そんな額で、私の精神的な苦痛は癒されません!」
依頼人は夫に対する怒りを私にぶつけるように言いました。
「ではいったい、いくらぐらい欲しいんですか?」 私は尋ねました。
「養育費はこれまでの生活と同レベルが保てるよう、最低でも二十五万円はいります。それに、慰謝料は少なくとも二千万円はもらわないと、割りが合いません!」
依頼人の要求金額を聞いて、私は「それは到底無理ですよ」と即座に答えました。というのも、依頼人は慰謝料二千万円、養育費二十五万円くらいはもらわないと割りが合わないと言うのです。
「ワイドショーなんかに出てくる芸能人の慰謝料は、一億とか何千万円とかの額ですが、一般の人はそんな金額は要求できないでしょう。仮に要求しても、当人に支払い能力がないでしょうから…」
「えっ?!そうなんですか?]
依頼人は驚いて、そう尋ねました。
「じゃあ、どれくらいだったら妥当なんですか?」
「もちろん、その人の生活状況や精神的打撃によって金額は違ってきますが、調停や裁判などの判断は平均二百万円くらいです」
「えっ?!たった二百万円?!私なんか、すごい精神的打撃を受けていますよ」
「『精神的打撃』と言っても、客観的な判断根拠が必要となります。一般的には、ご主人が浮気していた年数で判断される場合が多いですね」
「そうなんですか。でも養育費はこれまでの生活が維持できるくらいはもらえるんでしょう?」
依頼人は尋ねました。しかし、私の返答はまたもや依頼人にとって不満が残るものでした。
「それについても、二十五万円は無理でしょう。ご主人が今どれくらいの給料を取っておられるか分かりませんが、給料のかなりのウェイトを占める額は不可能だと思います。ご主人の方も生活していく権利がある訳ですから」
私は答えました。
「そんな!私が浮気して家庭が崩壊し、『離婚』ということになった訳じゃないのに!そもそも、こうなったのは、主人があの女とくっついて、自分の方から離婚してくれと言ってきたからなんですよ!離婚を望むなら、私と子供達がこれまでどおりに生活できるくらいの金額を保障してもらわないと、離婚には応じられません!」
「あなたの言い分はよく分かりますが、通常、養育費というのは子供一人について三万円から五万円くらいです」
「ええっ?!三万から五万!?そんな金額、とんでもない話ですわ!それなら絶対に離婚届には判を押しません!」
依頼人は私から世間相場の慰謝料と養育費の金額を聞くと、ひどく不満のようでした。
「もちろん、今言いました金額は調停や裁判になった場合の平均的金額です。ですから、和解と言いますか、話し合いで決着をつけた方が、金額的には有利になるというのはそこのところです」
私は再度説明しました。ところが、依頼人は相変わらずこう言うのです。
「そう言われても、私はどうしても納得できません。やはり、慰謝料二千万円と養育費二十五万円は要求したいです」
そして、こうも続けました。 「世間相場がそうなら、なおさらのこと、自分の身を守るためにも、いざという時に有利になる証拠を持っていたいと思います。それに、女の方もこのまま放っておくようなことは絶対にしません!」
こういう訳で、私達は依頼人の主人が、今住んでいる住所の確認を行うことになりました。
尾行調査の結果、ご主人は以前姑が言っていた近鉄沿線で、予想どおり彼女と一緒に暮らしていました。もちろん、証拠として提出できる写真もきっちりと撮って、依頼人に報告したのでした。
私達が報告書を提出した後も、依頼人は何回かご主人と話し合いを持ったようです。話し合いの場には、依頼人側からは仲人夫婦だけではなく、後見人である叔父も出席してくれ、主人側からは姑と会社の社長が出席しました。 この頃になると、依頼人は「もう一度やり直したい」という願いを取り下げざるを得なくなっていました。主人に全くその気がないことは出席者全員が理解していたことでしたので、話し合いの中心議題はどうしても慰謝料や養育費の金額になっていったのです。 しかし、依頼人はあくまでも自分の要求金額にこだわり、それが満たさなければ離婚には同意しないと固執したため、主人も「それならば、今までの話はチャラにする」という態度になってしまい、話し合いは難行していました。
三カ月が経ったある日、依頼人から電話が入りました。
「主人が最終案だと言って、慰謝料の額を提示してきました。確かに最初の案よりも三百万円程増額されていますが、私はそれでもまだ納得できません。だから、これで受けるかどうかはまだ決めていませんが、相談というのは女のことです。この金額で私がウンと言えば、決着がつくと思うんです。それでと言ったら何なんですが、全て決着ついてから、女の親へ乗り込んだらいけませんか?」  「えっ?!決着がついてからですか?」
私は思わず尋ねました。 「ええ。前から言ってましたように、女をこのままにしておくのはどうしても許せないんです」
「そのお気持ちは分からない訳ではありませんが、それはちょっとねぇ…」
私は反対しました。
「いけませんか?」
「いえ、いけないということではありません。どうするのかを決めるのはあなたご自身ですから。別にご主人の肩を持つつもりはありませんが、ただ、私の意見を言わせていただければ、そんなことをすれば、あなたご自身の値打ちを随分と落とすと思いますよ」
「そうでしょうか?」
「今回、ご主人が慰謝料の増額をされてきたのは、報告書の存在を知ってのことだと思います。ご主人が何故報告書が恐いのか、お分かりですか?」 増額された慰謝料で決着をつけた上で、女の両親にどなり込みに行きたいという依頼人に対して、私は反対しました。
「ご主人はどんなことがあっても彼女を表に出したくないのです。あなたが報告書を持って両親の所に乗り込まれたくないために、慰謝料を二百万円から五百万円に上げてきたんだと思いますよ。仮にあなたが彼女を訴えたとしても、慰謝料として得られるのは百万円くらいです。そうなると、ご主人は今回の提示額をまた変更してくるかもしれません」
「それに、あなたが彼女の両親にどなり込んでも、ご主人を取り戻すことはできないのは、既にご自身でも分かっておられることだと思います。私は決してご主人や彼女に肩を持つつもりはありませんし、自分の家庭を壊した彼女を許せないというあなたのお気持ちはよく分かりますが、もうこの段階にくれば、『あんな根性の嫁だから、息子も女を作るんや』と姑に言われかねないような、ご自身の値打ちを下げることにエネルギーを使うのではなく、あなたや二人のお子さんの今後の人生について考えるべきだと思います」
私は、慰謝料などの話が決着ついた後、女の両親にどなり込みに行きたいという依頼人(37才)の意向には賛成しませんでした。 依頼人は「でも、このままでは私の腹の虫が収まらない!」とさかんに訴えていましたが、「そんなことはやめときなさい!あなたのためにはならない!」という、いつにない強い私の口調に押されてか、「そうですか…」と電話を切りました。それでもその言外には不満が残っていたのは、私にはありありと分かりました。
半年が経ちました。時折、依頼人はあれからどうしたのだろうかとふと思うことはありましたが、私の方から興味半分に聞くようなことではないと、こちらからは連絡を取りませんでした。 そんな頃です。久しぶりに依頼人が連絡が入ったのは。
「あれからも何度も話し合いをもちましてネ、結局、慰謝料八百万円と養育費十二万円ということになりました。私は、最初から言ってたように、慰謝料に二千万円をくれるまでは籍を抜かないとがんばってたんですけど、叔父も仲人さんも、『これ以上は無理やで』と言わはるし、子供のこともあるので、これでケリをつけようかなと思ってるんです」
依頼人はそう言いました。
久しぶりにかかってきた依頼人の電話で、私はこの夫婦がようやく次のステップに踏み出すことを知りました。ご主人が依頼人に示した最終案は慰謝料八百万円、養育費十二万円でした。
「でも、私はまだすっきりはしてないんですけどネ」依頼人は言いました。
「慰謝料二千万円をもらわないと籍を抜くつもりはなかったんですけど、叔父も仲人さんも『これ以上は無理や』と言わはるし、子供のこともあるので…」 「そうですよ!」
金額を聞いて、私もこのご主人はよく出した方だと思いました。
「私、実家のある山口に帰ろうと思ってるんです。本当は友達が多い大阪にいたいんですけれど、やはりいざという時に親元の近くの方がいいと思って…。長男も今春、中学生になりますし、同じ戻るなら、キリのいい所で帰った方がいいということになったんです」 「そうですか。今後のことを考えると、その方がいいでしょうね」
私は答えました。
「それで、最後にもう一つだけ相談があるんですけど、いいですか?」
私は「えっ?!まだあるの?」と思いながらも、「いいですよ」と答えました。
「実は、その慰謝料を主人は分割で払いたいと言ってるんですけど、一括でもらった方がいいでしょうか?」
「そりゃあ、一括の方がいいですよ。マ、払える資力があるならばの話ですが。分割となれば、人間、年月が経ち、状況が変わってくると、なかなか払いづらくなってくるものですから。ご主人の方が再婚されて、子供でもできればなおさらです」
私はすかさず答えました。 「そうですねぇ。で、もし、分割しか無理の場合は一筆書いてもらった方がいいのでしょうか?」
私は「もちろん」と答えて、念のためにと弁護士を紹介したのでした。
こうして、ようやくのこと依頼人は次の人生を歩み始めました。私は彼女を一年以上にも亙って見ていて、離婚とは何とエネルギーを要するものかとつくづく思ったものでした。

<終>

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