これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
『今日こそ会社を辞めてくる』と言って家を出たまま、一か月以上も自宅に戻らないご主人。そのご主人の件で調査依頼に来た若妻ではありましたが、彼女は全く口を開きませんでした。ただ、無表情にうつむいているだけ。
彼女に代わってもっぱら話を進めたのは付き添っていた父親。何と、ご主人は家にこそ帰らないものの、勤め先の大手証券会社にはちゃんと出勤しているというではないですか。
私はすかさず、「それでしたら奥さんが会社に出向かれて、ご主人に帰ってくるように直接、おっしゃればいいことだと思いますよ」と進言しました。
「ええ、昨年の大納会の日に出て行ったまま、正月も家に戻って来なかったようですので、娘に電話を入れさせたんです。すると婿は『会社を辞められ
なかったから帰れない』と言い訳したらしい」とお父さん。
「奥さんは、ご主人が証券会社にお勤めであるのを反対なのですか?」
「いいえ」と、またお父さん。
「娘は会社がいやだとかグチをこぼしたことはありません。昨年の秋ぐらいから突然婿の方から言い始めたらしいんです」
「ウーン、話のつじつまが合いませんねぇ」
「そうなんです。それで『今どこで寝ているの?』と娘が聞きますと、『独
身寮で一つだけ空き部屋になっているところで寝泊まりしている』と言うらしいんです」
何でも寮の友達に見られると具合が悪いから、朝早く出て夜遅くまで時間をつ書ぶし、寮に帰ると電気もつけずにそのまま寝てる・・・と。
「家内や娘は婿の言葉を信用しているのですが、私はどこかおかしいと思います。佐藤さんはどうでしょう?」
「そりゃあ、そんなんまるで嘘ですワ」。私はポンと突き放しました。以前にもよく似た依頼があったので、私は確信をもって言いました。「それは女ができているのだと思います」
話をしている間、彼女は相変わらず青白い顔に何の感情も出さず、ただうつむいたまま。奥さんには申し訳ないのですがと断りながら、「ご主人がおっしゃっていることは全く嘘」「女がいる」と私が断言しても、奥さんは何の反応も示さない。こうした場合、妻というものは逆上したり興奮したりするものなのに…。
私は「こんな無表情でこれまでよく夫婦の会話が成り立っていたもんだ」といぶかしくさえ思うようになりました。
結局、その日の彼女はただの一言も発せずに帰って行きました。彼女の主人の尾行調査はさほど難しいものではありませんでした。 彼は退社するとまっすぐ「女」のマンションに入っていきました。あとで分かったことですが、そのご主人の「女」とは彼の学生時代の後輩で、結婚する前からのつきあいだったようです。
<続>
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