これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
鏡のように澄みきった瀬戸内の海は、島々をその海面にくっきりと映し出していた。松山の三津浜港を午後一時すぎに出発したフェリーは、それらの島々をかいくぐるように進んでいる。広島港までは三時間はかかる。
サチエは乗船前に買った吉本ばななの「うたかた」を膝の上に広げていた。しかし、ページは最初からまったく進んでいない。本から目をあげ、瀬戸内の風景を眺めようとしてみた。
今日は、おそらく自分の人生の中で特別の日となるだろう。
この瀬戸内の風景をしっかり見ておかなければ。しかし、穏やかな海や濃い緑を宿した美しい島々の影も、まったく彼女の目には入ってこなかった。
サチエが一人で四国を出るのは、今日が初めてのことだ。
大阪にいる叔父を訪ねる時はあったが、いつも家族と一緒だった。サチエの両親は厳格で、心配のあまり二十四歳にもなる今でも、娘に故郷を離れさせることはさせなかったのだ。今日のことも、両親には何も言ってこなかった。言えば反対するに決まっている。
一人旅も初めてなら、広島に行くのも初めてだ。飛行機は怖かったし、高速船は酔いそうだったので、フェリーを選んだ。広島に行けば十川先生に会える。
一人で四国を出てきた以上に、大きな不安で押しつぶされそうだった。四年ぶりの再会が怖かった。
しかし一刻も早く先生に会いたいという思いが、かろうじて彼女の心を支えていた。
フェリーは本当に進んでいるのかわからないほど遅く、ゆったりと波をかきわけていた。思わず海の上を走っていきたい衝動にかられる。
「広島へ着いたらどんな顔をしたらいいんだろう。にっこり笑おうか?それとも伏し目がちに頬を染めた方がいいのかな?何も言わずに涙をいっぱいためて飛びついてしまおうか…」
そんなことを考えているうちに、ようやく船は広島港に着いた。
タラップを降りると、はじかれたようにタクシー乗り場へ急いでいた。
と、サチエの背後からポンポンと背中をたたく者がいる。ハッと我に返り、驚いて振り向くと、そこにあの懐かしい顔があった。
十川先生の温かい笑顔だった。
サチエが十川元晴先生と出会ったのは高校一年生の時だ。
中学一年生の時に薬で散らした盲腸炎が、高一になって再発し、最初は胃のあたりの調子が悪い程度だったのが、腰まで痛くなり、我慢できなくなって宇和島社会保険病院に駆け込んだ。母が自分の二度の胆石の手術で信頼を寄せていた病院だった。
「すぐに切った方がいいですね」
診察にあたった外科部長はそう言い、サチエの手術は三日後、午後一時からと決まった。
手術の日は朝から不安でたまらなかった。たかが盲腸とはいえ、生まれて初めて自分の身体にメスを入れるのである。時間が気になり、壁に掛けてある時計の秒針の音まで腹が立つ。
昼近く、サチエが病室で待機していると、若い医者が入ってきた。
「主治医の十川です。本日の執刀を担当します。よろしく」
それが出会いだった。
十川は落ち着かずにそわそわしているサチエに、
「大丈夫?」
と優しい声で聞いてきた。
その瞬間、サチエの中から手術への不安がスッと消え去っていた。
このたったひと言にとても心強いものを感じた。それが何なのかは、その時はまだよくわからなかったのだが。
術後の痛みはあまりなかったが、かわりに嘔吐がひどかった。
十川は心配して何度もサチエの病室をのぞきにきてくれた。
「気分はどう?痛みはないですか?吐き気はおさまりましたか?」
夜遅くになって、「僕はもう帰るけれど…」ともう一度サチエを診にきてくれた時には、手術前に感じたあの安心感の理由がはっきりとわかった。
この人はとても温かい笑顔を持っている。
それはすべてのものを包み込むような、おおらかで優しい笑顔だった。
「この人は、私の人生にずっとかかわる大切な人になる」
そのことに気づいた時、サチエは時間が止まったような感覚に陥っていた。まわりの風景が白く飛び、先生の顔しか見えていなかった。
昭和55年、サチエ15歳、クリスマスイブの夜だった。
その日から、十川先生はサチエにとって運命の人になっていた。
あの夜、先生から受けた衝撃を「女の第六感」と言えばいいのか、「運命の赤い糸」と言えばいいのか。いや、そんな陳腐な言葉では、きっとこの感覚は表現できない。
彼女は自分の生命すべてで十川の存在を感じていた。
十川はインターンを終えたばかりの28歳、新進気鋭の外科医だった。
この社会保険病院に着任したのは、つい最近のことだ。美男子というほどではなかったが、そばにいるだけで人に安心感を与えるような、そんな不思議な雰囲気を持っていた。
誰に対しても平等に優しく、思いやりがあり、信頼のおける医者だった。勤務時間外でも、苦しんでいる者がいれば、すっ飛んでいった。患者の意思を尊重し、一つの人格としてちゃんと対応できる人だった。人の痛みのわかる医者だった。
何の時だったろうか、十川がふと、
「僕は有力者の紹介で来た人でも、その人の肩書きを聞くのはあまり好きではない。ありのままのその人自身を知りたいんだ」
とサチエに語ったことがある。
そうした人柄に触れるにつれ、ますます強くひかれるようになっていった。
手術が済んですぐにサチエは16歳になり、じきに正月を迎えた。
誕生日も正月も病室で過ごしたが、別に気にならなかった。友人たちは頻繁に見舞いに顔を見せてくれるし、同室のおばさんも親切だった。
そして何よりも、ここには十川先生がいる。毎日顔を見ることができるだけで、十分満足だった。十川の方は元旦も二日も当直で、ちょくちょく病室をのぞきにきてくれていた。
心うきたつ日々も長くは続かない。1月4日には、もうサチエの退院が決定していた。
退院したくない。もっと盲腸になってたい。
そんな気持ちがそのまま顔に出ていたのだろう。同室だったおばさんに、
「なあにサッちゃん。普通、退院と言ったらうれしいのに、なんかつらそうねえ」
と言われてしまった。
退院してからもサチエは、しばしば「頭痛」や「腹痛」や、時には「風邪」になって病院に通うことになる。
(続く)
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