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星に願いを(4) | 秘密のあっこちゃん調査ファイル:

これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
 翌日、佳子は一度も信治の病室に顔を出さなかった。
 ナース・ステーションにあいさつにいった時も、佳子の声は聞こえなかった。
 信治は婦長に聞いてみた。
「あの、河端さんは?」
「あら、さっきまでここにいたのに。どこに行ったのかしら。木村さんの退院の日だと言うのにねえ。ちょっと、待ってて、呼んでくるから」
「いえ、いいんです。あいさつはもう済ませましたから」
「そう?じゃあ、お元気でね」
 信治は、婦長をはじめ眼科病棟の佳子以外の看護婦たちに見送られ、S医大を後にした。
 風が薫る、昭和四十七年五月初旬のことだった。
 あの時の佳子の涙声と怒りに震えた言葉が、頭から離れない。
 ひどい言葉を投げつけたまま別れてしまったことが、四年たった今ごろになってむしょうに気になり、信治は思い切ってS医大を訪ねていた。
 彼女がまだ眼科病棟に勤務しているということは、前日に電話で確認してある。病院の歩き慣れた廊下を伝いながら、エレベーターで五階まで行くと、ナース・ステーションは目の前だ。
 誰かに佳子を呼んでもらおう。
 窓口のガラスに手をかけようとした時、突然、背後で声がした。
「まあ、木村さんじゃないですか?」
 佳子だった。
 信治は驚いて体を佳子の方へ向き直し、口を開きかけようとした。とっさのことでまごついていると、彼女は一方的に、
「ごぶさたですね、お元気でしたか?歩くのもお慣れになったようですね。私は用事がありますので、これで」
 それだけ言って、どこかへ去ってしまった。
 取りつくシマもなかった。
佳子はまだ怒っているのだ。彼女の口調や、言葉のそらぞらしさから、信治にはいやというほどそれがわかった。
なすすべもなく詰所の前に立ちつくしていたが、気を取りなおして杖で探りながらロビーのベンチに腰をかけた。十五分ほど、じつと座っていると、聞き覚えのある声がした。
「あら、木村さん!」
信治がさんざん手こずらせた看護婦の一人、松村さんだった。
「お元気でした? 今はどうされているんですか?」
「ええ。マッサージと針灸の勉強をしているんです」
「そうですか。がんばって下さいね。で、今日は、何かご用?」
「ええ、河端さんに会いに来たんですけど…」
「ああ、ふたりとも仲が良かったものね。河端さんなら、さっき見かけたけど、今、ナース・ステーションにはいないみたいね。ちょっと探してきてあげるから、ここで待ってて」
 五分もしないうちに、松村さんは帰ってきた。
「木村さん、あなたたち何かあったの?河端さんに伝えたんだけど、会いたくないから帰ってくれって。彼女、それ以上は聞かないでって言ってたけど…」
「そうですか…」
 あの時、どれほど佳子が自分のことを想っていてくれていたか、今さらのように思い知らされた。しかし信治は、完全に彼女の心を拒否してしまった。これ以上ないほど傷つけてしまったのだ。手遅れだとはわかっているが、今はただ彼女に謝りたい。
 けれど彼女のあの口調では、今日はとても会ってくれないだろう。
「ちょっと、彼女を怒らせてしまって。今日は、謝りにきたんですけど、会ってくれないのならしかたないですね」
「お役に立てなくて、悪かったわねえ」
 信治はベンチから立ち上がりながら言った。
「いえ。お手数をかけました。じやあ、僕は帰ります。河端さんによろしく伝えて下さい」
「わかったわ。お気をつけてね」
 松村さんは、信治が病院の玄関でタクシーに乗るまで付き添ってくれた。
「彼女にとっては、これでよかったんだ」
 車に揺られながら、信治は押しっぶされそうな気持ちをのみ込んで心の中でつぶやいた。
 数年後、信治は結婚した。
 妻も視力障害者だ。共に支え合って生きていこうと誓い合い、佳子の分までも妻を幸せにしたいと、今日までがんばってきた。
 S医大へ佳子に会いにいったあの日から、十七年の歳月が流れていた。
四、五年前に一度、病院に電話を入れたことがあったが、佳子はすでにいなかった。受付の人間にはそれ以上のことはわからないようだった。
 月日の隔りは、いつも思い出と現実の間に大きく立ちはだかっている。
自分を絶望のどん底から引き上げてくれた佳子に、お礼が言いたい。それが無理なら、せめて元気に暮らしているかどうかが知りたかった。
点訳の電話帳を読みながら、佳子の実家を探し出そうかとも考えたが、「山形県の河端」だけではあまりにも数が多すぎる。個人の力ではとても無理だ。半分あきらめかけた時にある新聞記事のことを知った。
 視覚障害者のために新聞記事を朗読してくれるボランティアがあり、信治もそれを聞くのを日課にしていたのだが、その記事の一つに「初恋の人探します社」 のことが紹介されていたのだ。
平成五年四月二十日、S新聞に掲載されたものだった。
 信治には長年の胸のつかえがとれるような、そんな予感があった。
 報告書は「初恋の人探します社」のスタッフに読み上げてもらい、テープに吹き込んだ。
 調査の結果、佳子は結婚して、現在、山形の国立療養所に勤務しているとわかった。子供も三人いるという。
 報告を聞いて一年近くがたとうとしているが、佳子にはまだ連絡をとっていない。今さら信治が連絡して、彼女の今の生活をかき乱すようなことにでもなれば。そう思うとなかなか勇気が出てこなかった。
 おそらく佳子は幸せなのだろう。今はそれだけで十分だ。
 いつか、いつか山形に行くようなことがあったら、その時こそ必ず彼女に会いにいこう。そしてあの時のことを彼女にわびるのだ。その時初めて、ふたりのことを思い出として語り合える。
<終>

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