これは1994年に出版された、佐藤あつ子著「初恋の人、探します」(遊タイム出版)に収録されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
平成元年三月二日、高橋より子は川口市の駅前に立っていた。
早春の真っ青な空は、薄桃の水彩具をつけた刷毛でさあっと掃いたように、ところどころを霞ませて、キラキラと輝いていた。
今から半世紀も前、隆もこの駅を乗り降りしたのだろうか。未来へのあふれる夢と青雲の志を抱きながら。
感無量だった。やっとここまでくることができた。実に四十五年もの年月だ。遠く長い道のりだった。自分が住む静岡から川口まで来る距離も遠かったが、そんなことより、今、自分がここに立っているという事実が夢のようだった。
隆さんがここまで私を導いてくれたのだ。
より子はタクシーをひろい、運転手にある寺の名を告げた。荒川沿いに建てられているその寺の立派な山門をくぐると、きちんと手入れされた庭とそれに続く本堂が、凛とした静寂の中にたたずんでいる。より子は迷わず河川敷に広がる墓地に入っていった。
すぐに近くに川口市の街並みが見えていたが、その喧騒はここまでは届かない。辺りは早春の光を受けて、穏やかな、それでいてすがすがしい空気に包まれていた。空高くで一羽、ひばりが連続した鳴き声を聞かせていた。
より子はまっすぐに小幡家墓地の区画を目指した。前もって住職に電話で聞いておいた「十三区」 の標識はすぐに見つかった。墓碑銘を一つ一つ確かめながらゆっくり歩く。
「もうすぐ隆さんに会える」
そう思うと、胸が高鳴り、足が震える。
「あった」
小幡家代々之墓には、びっしりと戒名が彫られていた。天保や嘉永年間などの古い戒名も並んでいる。隆の墓は、その墓所の一角にひっそりとたたずんでいた。
「陸軍主計大尉 小幡隆之墓」
墓の正面にはそう刻まれ、左右にはそれぞれ「正七位勲六等、単光旭日章」「昭和十九年七月三日卒」 とある。
その名前を見た時、より子は本当に隆に会えたような気がした。
ふるえる指で墓石に刻まれた名前を丹念にたどり、何度もなでさする。
「隆さん、やっと訪ねあてました」
ふいに、あの満州のコンシュン川のほとりを二人で散歩していた情景が、より子の脳裏に鮮やかによみがえる。あの時、隆は言ったのだ。
「僕の姓と名前の組み合せは大凶なんだそうだ。占い師に言われたことがあるよ。僕は別に気にしてないけどね」
彼はこうも言った。
「僕のお墓に、君が泣きながらお参りしている夢を見たよ」
その夢は、図らずも現実のものになってしまった。違ったのは、あの時若く無垢だった二十二歳の乙女は、すでに髪に白いものが混じる年齢に達しようとしていたことだ。
より子は墓を丁寧に磨き清め、持ってきたフリージアの花束を供えた。
「降さんにはこの花がいちばん似つかわしい」
遠くひばりの声がする明るい空に、線香の紫煙が立ち昇る。
その光景を見ながら、より子はぼんやりと立っていた。
言葉もなく、放心したようにいつまでも立ち尽くしていた。
より子が小幡隆と出会ったのは、彼女が、父と兄夫婦と共に満州へ渡った昭和十七年の夏の初めのことであった。
より子の家族は、東満(現中国吉林省延辺朝鮮族自治州)のコンシュンの町にある、民間の炭鉱会社に勤めることになった。彼女の仕事は炭鉱本社の事務だ。
炭鉱の社宅のすぐ横には関東軍二六三七部隊の将校用官舎があり、より子は会社と社宅の行き帰りに隆の姿をよく見かけていた。当時主計少尉だった彼は軍服のよく似合う若々しい青年将校で、より子は後に「伊豆肇に似ている」と思った。
ある日、より子がいつものように勤務を終えて社宅に戻ってくると、隆が何やら畑仕事をしているところに出くわした。官舎の前の庭は畑にされており、当時、軍人たちは非番になると食糧確保のために交代で農作業を行っていたのだ。それは、将校といえども例外ではない。
ふと見ると隆は、今間引いたばかりの大根の双葉を、別の畑に一本一本植え替えている。
間引いた双葉は普通は捨てるものだ。珍しいことをされている……。
「根がつくんですか?」
「いや、だめだと思います。でも、捨て去るのはかわいそうで……」
不意により子に声をかけられ、土のついた手を止めて驚いたように顔を上げた隆は、少しはにかんだようににっこり笑いながらそう答えた。その色白の整った横顔に、満州の赤い夕日が当たっていた。ほほえんだ顔に白い歯が映えた。
「なんて優しい人なんだろう」
官舎の前で初めて言葉を交わして以来、より子は隆とすれ違うたびに何やかやと立ち話をするようになった。
男と女が一緒に歩くだけでも人目がはばかられるこの時代、それでもふたりはごく自然に、急速に親しくなっていった。隆がより子の家へ遊びに来るようになると、兄夫婦も彼を精いっぱいもてなしてくれた。すぐに、家族ぐるみのつきあいが始まった。
隆は誇り高く、誠実な人間だった。物事をはっきり言う人で、軍人としての責任感に満ちあふれた男らしい人物だった。
そうした性格に加えて、男にしては色白で端整な顔立ちが、隆のりりしさをより一層際立せていた。より子の回りでは数少ない洗練された雰囲気を漂わせた”都会の香りがする人”だった。
夏の夕方、軍務を終えて帰ってきた隆は、浴衣を着て官舎の前に出した縁台に座り、くつろい
でいた。冷たい麦茶を持っていったより子は、何げなく、
「小幡さんの大学はどちらでしたの?」
と聞いた。
隆は、うちわであおいでいた手を止めて、
「ここです」
と、そのうちわで自分の胸のあたりを指した。よく見ると、その浴衣は横文字でびっしりと大学名がプリントされてあった。
W大学。その東京の有名私大の名を見て、隆のスマートさの根拠がわかったような気がした。
ふたりはよくコンシュン川のほとりを散歩した。満州の東の果ての町で、時局がら若者が遊べるような所などあるはずもなく、ほかにデートするような場所など望むべくもない。
しかし、より子に不満などなかった。隆と並んで話しているだけで、彼女にとっては十分すぎるほど楽しい時間だった。永遠にこの時が続いてくれればいい。
そんなささやかな願いもむなしかった。戦扁は墓に緊迫度が増していき、ふたりで会っている時、隆は常にもの言いたげになっていった。
ふたりは深く愛し合った。隆自身、いつ南方戦線に送り出されるかわからない切迫した情勢の中で、”明日”そのものが見えない若いふたりは、生命のすべてを燃焼させて愛し合った。
翌年、より子は隆の子供を身ごもった。
生まれてくる子が男か女かわからないままに、隆は「僕の長男だ」とずいぶん喜んだ。両親が早逝し、祖母の手で育てられたという隆は、たくさんの子供たちに囲まれたにぎやかな温かい家庭を望んでいた。
「内地に戻ったら、日曜日には僕が子供たちを連れて動物園に行くよ。その間、君は家でのうのうと手足を伸ばしていたらいい」
そんなふうに語ったりもした。
すでに、南方の島々での日本玉砕の報が相次いで届いていた。かなえられないかもしれないと感じつつ、ふと口にした隆のささやかな夢だった。
昭和十九年六月下旬。
より子は前日に隆が電話で指示してきた野中の一本道のかたわらで、彼が来るのをじっと待っていた。
妊娠八ケ月の身重で、いくら日傘をさしているとはいえ、満州のきつい太陽の下で長時間立っているのはきつかった。それでも久しぶりに会う隆のために、彼が気にいっていた絽の単衣を着てひたすら待っていた。その単衣は黒い地の絽にピンクの撫子や紫の桔梗や、水色の萩などの秋草を散らしたもので、それを着るたびに「よく似合うよ」とほめてくれたものだ。
すぐにじっとりと汗がにじんできた。
はるか地平線まで見渡せる広大な大地の遠く向こうから、土煙をあげて一台の車がやってくるのが見えた。猛スピードでこちらへ走ってくる。やがて、隆の所属部隊の小旗が認識できるようになると、その軍用車はより子の目の前で止まった。ひらひらと日除けのついた戦闘帽をかぶり、長い軍刀をさげ、革長靴をはいた隆が章から降りてきた。
彼はより子を見ると大きく顔をほころばせ、大きな風呂敷包みを車から取り出して、彼女に差し出した。
「僕の配給分を持ってきた。軍務の途中だから、これで。体に気をつけて」
短くそう言うとより子の大きなお腹をそっとなで、にっこりと笑った。
「じゃあ」
運転兵が待つ車に再び乗り込み、車が走り出す時、隆はより子に軽く右手を上げてもう一度ほほえんだ。
車は土煙を残してみるみる遠ざかり、より子の視界から消えていった。
隆の姿を見たのはそれが最後になった。
<続>
Please leave a comment.