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差出人名のない年賀状(1)| 秘密のあっ子ちゃん(202)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

早いもので新年を迎え、もう十日になりました。
皆さんの所へは今年、年賀状がたくさん届いたでしょうか?
年賀状というものは楽しみなものです。特に日ごろ音信のない人から届くと、『ああ、元 気なんだぁ』と安心します。また、差出人の名前を見て、『最近はど うしているんだろう』 と思ったりします。
ところで毎年、決まって差出人名が書かれてない年賀状が届いたら、皆さんはどんなお気持ちになられるでしょうか?
それも、美しい文字が書かれてあったとしたら・・・。
今回はそんな年賀状にまつわるお話をしたいと思います。
依頼人は四十六歳の板前さんで、昨年のちょうど今ごろ、当社にやって来られました。
彼が探したいという人は二十五年前、東京へ修業に出ていた時に住んでいたアパートの大家さんの娘さんでした。
彼のアパートは、大家さんの家の隣に建てられていました。
奥さんはとても親切な人で「一人暮らしは不便だろう」といろいろ彼の面倒を見てくれたのだそうです。
彼が探したいという彼女はその一家の長女で、当時、高校二年生でした。
彼女は高校二年生で、清楚な感じの美しいお嬢さんでした。どちらかと言えば寡黙で、おとなしそうに見えるけど、それでいて芯は強く、そのせいか年よりは大人びて見えたそうです。そして何よりもこまごまとよく気が付く人だったと言います。
妹さんの方はというと、中学一年生で、逆に目のくりっとした、ちょっとおませなおてんばさんでした。
彼はこの妹さんとよく気が合ったらしく、休みの日にはしょっちゅう遊んであげたと言います。
そして、奥さんと彼女はとても親切に彼の世話をよくしてくれた・・・。 という具合で、彼が東京にいた四年間、この大家さん一家と家族ぐるみの付き合いをしていたのだそうです。
『なるほど、お世話になった大家さん一家と、美しい上の娘さんに再会したいという訳か』と私は思いました。
しかし、彼が彼女を探したいと言うには、単にそれだけの理由ではなかったのでした。
「ここ十五年ほど、ずっと差出人の名前のない年賀状が来るんです」 依頼人は言いました。
彼は四年間の東京での板前修業を終えた後、大阪へ戻って来ました。 ミナミの有名な料理屋に見習いとして入ることができ、そこでの仕事も慣れてそろそろ一人前になってきたころ、その年賀状を初めて受け取ったと言います。最初は『誰だろう』とぶかしく思ったそうですが、『名前を書くのを忘れたのだろう』くらいにしか思わなかったそうです。
ところが、その年賀状は次の年も、そして、その次の年も来たのです。三回も差出人名のない年賀状を受け取った彼は、そのころから『この差出人は誰なのか』と真剣に考え始めました。
彼は『ひょっとしたら彼女かもしれない』と思い当たりました。
そして、五年目には『彼女に間違いない』と確信したと言います。

<続>

彼を16年思い続けて(2)| 秘密のあっ子ちゃん(201)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております

バレンタインの日、勇気を奮い起こして五歳年上の高校三年生の彼にチョコレートを渡した中学一年のお ませな彼女。
翌日、いつものように通学の電車の中で会った彼は、「昨日のお礼」と言って小さな包みを彼女にくれました。
天にも昇る思いで教室に駆け込んだ彼女。その包みを開くと、そこにはキティちゃんのノートと彼からの手紙が入っていました。
ところが、その手紙には「僕には好きな人がいます。ごめん。しっかり勉強してネ」と書いてありました。
こうして、中学一年だった彼女の淡い初恋はもろくも砕けてしまったのです。
三月になると彼らは高校を卒業し、彼女が電車の中で彼らのグループに会うことは二度とありませんでした。

それから十五年の月日が過ぎました。
二十八歳になった彼女はあの初恋以来、もちろん何回か恋をしました。結婚の話さえ出たこともあります。
しかし、心の中にはいつも彼がいるのです。その思いがどの恋にも彼女をあと 一歩、踏み込ませないでいました。
あの『あすなろ白書』の『なるみ』みたいな人が本当にいるんですネェ・・・(何 のことか分からないオジさんには失礼しました)。
彼女が当社にやってきたのは自分自身のためでした。
「大人になった自分を見てもらいたい。もし、彼がまだ独身なら交際したいというのが本音だけど、結婚していたとしても、もう一度だけ会いたい。そしたら自分の気持ちにふん切りをつけることができる」 彼女はそう私に話してくれました。
彼の調査は、高校側の調査拒否にあったり、彼女の記憶違いもあったりで、簡単というわけにはいきませんでしたが、とにもかくにも同級生のルートから本人の所在を明らかにできました。
そして、彼女の希望で私が彼にコンタクトをとることになったのです。
「あのう、突然つかぬことをお伺いして申し訳ないんですが、高校三年生の時、電車でいつも一緒だった中学生からチョコレートをもらったご記憶はございませんか? それで、お礼にキティちゃんのノートをあげたという女の子のことなんですが・・・」
「ああ、よく覚えていますヨ。目のくりっとしたかわいい感じの中学生で、僕たちのアイドルでしたヨ」
「実は彼女がぜひもう一 度会いたいということで、ずっとあなたの連絡先を知りたがっておられたんです。会っていただくわけにはいきませんか?」
「いいですヨ。そんなに気に留めていてくれたなんて光栄です」
彼の返事は上々でした。
私はあえて彼が結婚しているかどうか、聞きません でした。それは、彼女自身が直接聞くものであると考えたからです。
そして、いよいよ二人の再会の日がきたのです。
再会の日、彼女はいつになく緊張していました。どの服を着ていこうかということでさえ、随分悩みました。
初恋の彼と一日だけのデートの日、彼女は十五年来の思いがかなって、やっと初恋の彼と再会を果たすことができ ました。だけど、彼はすでに結婚していました。彼は奥さんから「そんなに思われていて幸せネ」とからかわれて出てきたと彼女に話しています。
二人は食事をし、お酒を飲み、一日だけのデートを楽しんだのでした。
十日後、彼女が当社にやってきました。
ドアを開けた途端、私は「アッ」と驚きました。 彼女は髪の毛をばっさり切っていて、雰囲気も変わり別人のようでした。彼女は言いました。
「楽しい一日でしたが、あれから一週間は泣き明かしたんです。でも一週間目にふっとふっ切れました」
彼女は以前から明るい人でしたが、今はもっとさばさばしていました。 私もその時、気がつきました。
彼と再会する前の彼女は暗さはなかったものの、その目は過去ばかりを見ていたのです。今、その目は未来に向けられていることがひしひしと分かりました。
十五年来の初恋はこうし て本当に終わったのでした。
過去と決別し、新しい出発を誓った彼女に幸多かれと願わずにいられません。

<終>

 

彼を16年思い続けて(1)| 秘密のあっ子ちゃん(200)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

今回のお話の主人公となる依頼人は二十八歳の独身女性です。
彼女には十六年間、心ひそかに思いを寄せ続けている人がいます。その彼は彼女より五歳年上で、初めて彼に出会ったのは、彼女が中学一年生の春のことでした。
彼女は高校、短大と続いている私立中学校に入学しました。
通学は毎日、電車を利用 します。いつも降りる駅のそばには、別の男子高校がありました。
入学間もない ころ、彼女はいつもの電車で一緒になるその男子高校のグループの一人に目を奪われます。
ちょっとおませだった彼女は、その彼に一目惚れしたので す。
それからというもの彼女は必ず同じ時間、同じ車両のドアから電車に乗り込み、彼らのグループにくっついて通学したのでした。そして、いつも耳をロバのようにそばだてて、彼らの話に聞き耳をたて、その名前や彼が高校三年生であることを知りました。
二カ月が過ぎたころ、『いつも同じ電車に乗っているかわいい中学生』と気付いてくれたのか。それとも単に電車が揺れて彼女がよろけたはずみなのか、彼が話しかけてきたのです。
それをきっかけに彼女は、彼らのグループと電車の中での会話に参加するようになりました。
彼女は毎朝の通学時間が最高の楽しみでした。おかげで彼女は、無遅刻、無欠席を通すことができた、と 言います。
彼の友人たちは、彼女が彼のことを好きだということに感づいていたとも。おそらく彼自身も気付いていたことでしょう。
そして、年も改まり、バレンタインデーの二月十四日がきました。
悩みに悩んだ彼女。それまでの彼女の人生で一番の勇気を出して彼にチョコレートを渡したのです。「好きです」というメッセージを添えて・・・。

<続>

両親の墓はどこに・・・(3)| 秘密のあっ子ちゃん(199)

 これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

先祖代々の寺には二人の両親のお骨が納められていないと分かった私たちは、「それならば、この近辺のお寺にあるに違いない」と考えました。
そして、一軒一軒お寺を当たったのです。
その中の一軒で、俗名は記載されていませんでしたが、死亡年月日が依頼人の両親にぴったり合う戒名を二つ見つけだすことができました。
その戒名は、それぞれ一字ずつ両親の名前が入れられたものでした。
私たちは、これに間違いないと確信しました。
なぜ別のお寺に納骨されたのか、今となっては知るすべもありませんが、二人の両親のお墓は確かにそのお寺にあったのでした。
依頼人と弟さんは、早速お墓参りに出かけて行きました。そして、ほとんど連絡をとっていなかった従弟との親戚づきあいが始まったそうです。
彼らは、自分たちがお参りするべき墓を探し出せた安ど感と同時に、幼い時に亡くした両親の、自分たちが知らない人生に思いをはせていたのだと思います。
そんなことがあって私もふと思い立って、自分の先祖を調べてみる気になったのです。長い人生の中には、当然喜びも悲しみもあったでしょう。大変な苦労をしたかもしれません。
「曾祖父や曾祖母はどんな思いをして生きていたのだろうか。そして、その前の時代の人は?」
今、私は彼らの人生を見ることはできません。
しかし、せめて何という人が、いつの時代に生きていたのかということくらい知りたくなったのです。
作業を始めるや、叔父や叔母までが関心を寄せ、「これも調べろ」「あれも」といろいろな注文が殺到する始末でした。
今、私自身の家系図調査は、依頼人の先祖探しに忙殺されて中断している状態ですが、いずれは親族であれこれ語り合えるものに完成させたいと思っています。
当社は、ご自分の先祖の調査しかお受けいたしません。依頼人が家系図調査を依頼されてこられるのは、「今なぜ自分があるのか、子孫に何を残すのか」ということを考えたとき、ルーツ(先祖)に思いが至るからだと思います。
それは、自分の存在を確認するという一つの要素にほかならないのです。

<終>