これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。
「随分と嫌な思いをさせてしまった。一度会ってきっちりと謝りたい」
社会人になって五、六年経ったころ、彼女(34才)はそう思うようになりました。
しかし、いざ彼の居所を探すとなると、なかなか踏ん切りがつきませんでした。 「今ごろ会いに行っても『何の用事だ』と言われるのがオチだろうな」とか、「それよりも会ってくれないかもしれない」 そんなことをあれこれ考えると、予備校時代、彼がお姉さんと暮らしていたマンションへ訪ねて行くのも、早稲田に彼のことを聞きに行くのも、足が動きませんでした。 そんな風に躊躇しているうちに、いつの間にか七年があっという間に経ちました。その間、彼女は結婚し、一児をもうけました。自分自身を取り巻く環境の変化や日々の慌ただしい生活の中で、彼を探すことはついつい先送りにしてしまっていました。
そんなある日、彼女は予備校時代の夢を見ました。それも二回立て続けにです。その夢の中で、彼女は彼に相変わらずひどい態度を取っていました。
目が覚めて、彼女は「今度こそ彼にちゃんと謝ろう」と本気で思いました。
彼女はどうしてもそうしなければもう気が済まなくなっていたのでした。
ずっと以前から気にしていたことでしたが、夢を二回も立て続けに見たことをきっかけに、七年越しにやっと本気で彼を探そうと、彼女(34才)は動き始めました。何ケ月か前に雑誌の記事で見かけた当社のことを、「いずれ役に立つかもしれない」と控えておいた電話番号を頼りに、彼女は彼の所在調査を依頼してきたのでした。
結果、彼は田舎に戻っていることが分りました。
彼はその故郷で政治家になっていて、地元での評判は上々でした。政治の世界ではまだまだ駆け出しの三十四才ですが、なかなか熱意のある市会議員だと…。 そのことを報告して二週間目、再び彼女から連絡が入りました。
「予備校時代のことを大変申し訳なく思っています。ずっと気にしていましたが、一度お詫びを言いたいので、連絡をしても構わないでしょうか?」
そう、彼に伝えてほしいと言うのです。その電話が入ったのは、実は三日前のことでした。
当社のスタッフが彼(34才)の後援会事務所に連絡を入れると、彼はすぐに電話口へ出てきてくれました。
彼女(34才)が、予備校時代に彼につらく当たったことをずっと気にしていて、是非きっちりと謝りたいと言っている旨をスタッフが伝えると、彼はこう答えてくれたのでした。
「彼女のことはよく覚えていますよ。随分昔にそのようなことがありましたねぇ。そういうことは月日が解決してくれます。そんなに気になされなくても…」 そしてこう続けました。 「私も元気に生活をしております。彼女も結婚したんですねぇ。私も一人だけ家内がおります。アハハ…。よかったら、電話を差し上げたいのですが…」
彼は地元で評判の良い市会議員らしく、明るく、人なつっこい、それに気配りのある人のように見受けられました。
彼は最後にこう言いました。
「ところで、つい先日、私のことを探していると、ご近所に聞きに来られたのはお宅ですか?」
さすが、政治家。彼は抜群に早い情報網を持っていました。
<終>
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