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実の父を探して(1) | 秘密のあっ子ちゃん(55)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 ある夏の日、当社にやってきた依頼人は三十代半ばの女性でした。彼女は控え目な中にも心の強そうな人で、好感の持てる印象を与える人でした。
 が、彼女は少し思い詰めた表情をしていました。
 彼女は椅子に座るとすぐに、自分の戸籍謄本を私に示しました。
 「昭和○○年四月拾弐日○○市で出生…昭和○○年九月参日○○認知…」 謄本にはそう書かれていました。
 「実は、この実の父を探してほしいんです」彼女は言いました。それから彼女は出生から今日までの三十四年間の自分の生い立ちを話し始めたのです。
 彼女が物心ついた頃には、父も母もちゃんと揃っていました。彼女が父だと信じていた人は、彼女が生まれた後に母が結婚した養父であったのでしたが、その頃の彼女はそんなことなど知る由もありませんでした。養父は一人娘である彼女を人並み以上に可愛いがり、彼女もまたその父を信頼し、尊敬して成長したのです。 彼女が高校二年生の時に、進路を巡って初めて父と対立しました。
 この対立がきっかけとなって、彼女は自分の出生を知ることになるのです。
彼女が高校二年生になった時、進路を巡って父娘は初めて対立しました。
 父は頑として彼女の希望を受け入れてくれません。父親として娘の幸せを考え、将来を案じてのことであることは彼女としても重々承知していましたが、自分の人生を自分が決定できないことに、思春期の彼女はひどく反発しました。
 彼女は生れて初めて父に手をかけられました。しこたま殴られながら、ふと彼女は思いました。「この人は私の本当のお父さんではないのではないか…」
 何故そう感じたのかは説明しにくいことでしたが、そんな思いがよぎったのでした。
 進路問題が一応決着ついた後も、彼女はあの時感じた思いがずっと気になっていました。大学に入学する時、彼女は自分で役所に行きました。そして、初めて自分の戸籍謄本を目にしたのです。
 そこに書かれている自分の知らない男性の名や「認知」という文字、そして「養子縁組」という言葉や父の名の上に書かれていた「養父」という文字を、彼女はさしたる驚愕もなく、自分でも不思議な程冷静に見ていました。彼女は自分が事実を知ったことを、父が生きている間は決して言ってはならないことを理解していました。
 二年前、養父は他界しました。初七日が過んだある夜、彼女は初めて母にそのことを口にしました。

<続>

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