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闘病を支えてくれた看護婦さん(1) | 秘密のあっ子ちゃん(59)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 秋も深まったある日、当社に一通の葉書が届きました。
 「…私事ですが、十年程前にわたしが入院した折に非常にお世話になった看護婦さんを探して欲しいのです。会って心よりお礼を申し上げたいのです。其の方が今どうしているのか、永年心残りになっています。佐藤様をお訪ねします予定日と都合の良い大体の時間、地下鉄御堂筋線心斎橋駅よりの道順をお教え下さい。着手金もお知らせ下さい」
 葉書にはこれだけしか書かれていませんでしたが、漢字の使い方や字体から、私は一目でこの差し出し人は年配の人だということが分りました。第一、若年の人ならこの程度の問合わせはほとんど電話で済ませておられますから…。
 私が返事の封書を送って一週間程経ったある日、その人はやってきました。
 予想通り、その男性は七十歳を超えている人でした。しかし、彼が電話を避けた理由は年配であるということ以外にもあったことを、私はその姿と第一声から理解しました。
 彼は咽頭癌の手術を受けて、発声が少し困難だったのです。
 喉頭癌の手術の後、喉にするエプロンのことや給入法、発声方法やら専門の耳鼻科のある病院のことなど細々と教えてくれ、あれだけ世話になった彼女に礼の一つも言わずに依頼人が退院した訳は、あまりにも彼女が細やかに彼の面倒を見、足繁く彼の病室に通う姿を見て、妻が嫉妬したからでした。十年前のこととは言え、もちろん妻も六十に手が届こうとする年令ですから、あけすけにヤキモチを焼いたという訳ではありません。それでも、彼には分かっていたのです。妻が看病のために病室へ入ってきた時などに、彼女が彼のベットの横に立って発声練習をしていると明らかに嫌な顔をしたものです。
 それで、彼は闘病生活の終わりの頃には、彼女とあまり話さないように努めていました。彼女に対しては不愉快な思いをさせないように、「教えてほしいことはほとんど教えていただきました。あなたも自分の患者さんの世話でお忙しいでしょうから、私のことはあまり気遣っていただかなくても、もう大丈夫です」と言って…。
 退院の日、ずっと妻が側にいたため、結局、お礼の言葉すら言えずじまいになってしまったのでした。
 彼女と話していると嫌な顔をする妻の手前、ろくにお礼の言葉も述べることなく退院して十年。彼は是非にも一度きっちりとお礼が言いたいとずっと思い続けていました。
 「こんな声ですから、聞き取りにくいでしょう?」 彼は私に気遣いながら言いました。そして、ともすれば喋りにくくなる声の発声を整えるように、一呼吸おいてこう続けたのです。 「退院してからずっと、もう一度お会いして心よりお礼を言いたいと思っていました。でも、どこへ頼んでいいか分らなくて…。新聞記事を読んで、お宅なら私の想いを叶えてくれるのではないかと思いまして、葉書を出させていただいた次第です」
 彼は喋り終えると、準備していた彼女の手がかりになりそうな項目を書いたメモを差し出しました。
 私達はその日のうちに調査を開始したのでした。
 私達がまず初めにしたことは、依頼人が入院していた病院に出入りしていた付添婦派遣会社の割り出しでした。
 聞き込みに入った病院の婦長さんの返答はこうでした。
 「十年前ねぇ…。潰れている所もあるので、十年前と今とでは出入りの業者は違うと思いますよ。私が婦長になったのは四年前ですから、十年前はどこだったか、申し訳ないですけど知りませんねぇ…」
 「何かそういう関係の書類とか資料とかは残ってませんでしょうか?」
 スタッフは粘ります。
 「震災で昔の書類は残ってないんですよ」
 彼が入院していた病院は、実は被災地のど真ん中でした。
 スタッフは「またか」と歯噛みしたものです。余談になりますが、震災から神戸方面の調査はなかなかスムーズに進みません。あれだけのことがあったのですから致し方ないことなのですが、住宅地図を頼りに辿りついても更地になっていたり、被災したため転居したり避難先に定着されたりで電話が通じないこともしばしばで、今回のように昔の書類が消失していることも多々あります。それだけに、阪神大震災の傷跡がいかに大きいかを思い知らさられる日々です。
 病院では十年前の資料が震災で消失したため、彼女が所属していた付添婦派遣会社の名前を割り出すことはできませんでした。
 そこで、私達は神戸近辺の看護婦・家政婦紹介所や付添婦派遣会社に一軒一軒聞き込みに回りました。

<続>

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