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闘病を支えてくれた看護婦さん(2) | 秘密のあっ子ちゃん(60)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

その人探しの調査過程で、彼女のことをよく知っている紹介所を二ケ所見つけることができましたが、いずれもが彼女は既に辞めていて、現在の連絡先は分からないということでした。
私達は引き続き、受話器を握ります。
「ああ、彼女なら、今ウチに登録されておられますよ」
再び聞き込んでいると、何軒目かでそんな返答をもらうことができました。
私達は勢い込んで、依頼人(72才)が非常に感謝している事情を説明し、彼女の連絡先を教えてくれるように頼み込みました。
しかし、即座に連絡先を教えてもらうことはできませんでした。
「連絡先は分ってますけど、勝手にお伝えしていいものかどうか…。私共の方から彼女に連絡を入れて、そちらへ電話させるようにします」
私達は彼女からの連絡を待つしかありませんでした。
待てど暮らせど、彼女からの連絡は入りませんでした。もう一度、例の付添婦派遣会社に確認を入れても、「いやぁ、とっくに言っときましたよ」という返答でした。
「この前お話ししましたような事情ですので、何とかご連絡をお取りしたいのですが、ご連絡先をお教えいただく訳には参りませんでしょうか?」
スタッフは粘ります。ここでダメなら、また膨大な手間暇がかかる訳ですから。 「ご事情はよく分りますから、何とかしてあげたいと思いますが、本人が連絡してないのならなおさら、私共の方が勝手にお教えする訳にもいきませんし…。お役に立てず、すみませんねぇ」
私達に残された手は、彼女と同姓のお宅へ軒並み聞き込むしか残されていませんでした。
百数十軒目かに、「私の母のことではないか」という女性にぶつかりました。 「母はずっと病院の付添婦をしていましたし、たぶんその病院にも行っていたのではないかと思います。母を探されている人の話を私は聞いたことがありませんが、そういった知識も詳しく持っていますから…。心当たりがないか、一度母に聞いておいてみます」
彼女はそう答えてくれたのでした。
次に私達がその女性に連絡を入れた時、彼女はこう言いました。
「やはり、母に間違いありませんでした。当時のことはよく覚えておりまして、多分あの人のことではないかと言っております。先日、派遣会社からそのような話を聞いたとのことですが、その時は詳しく言ってもらえなかったらしく、誰のことかよく分らなかったようです」
スタッフはこれまでの苦労と依頼人(72才)の喜ぶ顔を思い浮かべると、ほっとする以上に、「やった!」という思いでした。
それから彼女はこう続けました。
「母は『その様に言ってもらって』と、大変喜んでおりました。私も嬉しいです。 母は、今、友人の看病につきっきりで行っていますので、何でしたらこちらからお電話をさしあげたいと言っています。お声が出にくいようでしたら、受話器機を指で叩いていただいて話す方法もございますので、それもまたお教えしたいと言っておりました」 彼女はそこまで言ってくれていたのでした。
私達がその内容を報告した時、依頼人が大層喜んだのは言うまでもありません。

<終>

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