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役者の卵時代に(1) | 秘密のあっ子ちゃん(91)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

 人生の中の忘れ得ない人というのは、その人その人によってもちろん百人百様で、全く異なった出会いから生まれてくるものですが、その中でも特に青春時代に出会った人のことは鮮烈な印象を与えるもののようです。それは、当社が受けてきた数多くの調査依頼の中でも、七十歳代の人ならもう四、五十年も前の、三十歳代の人なら十年程前の、その人達の青春時代に出会った人を探してほしいという依頼が圧倒的に多いということからも明らかです。
 今回、お話しする人もそうした一人です。
 彼女は現在二十九歳のエステティシャンです。まだ結婚はしていません。
 彼女は子供の頃から児童劇団に所属し、高校卒業後も芝居の世界にいました。
 芝居の世界というのは、ご存知の方も多いと思いますが、なかなか大変なのです。演技能力が問われるのは前提的な問題として、どんな役につけるかによっても今後の道の開け方が違ってきます。その上、待遇がかなり厳しいのです。いくら劇団に所属していても、給料というのは雀の涙ほどですし、研修生であれば逆に月謝を払わなければなりません。しかも、公演ともなれば当てがわれたチケットをさばかなければなりませんし、それができないとなると自腹を切って補填することになります。
従って、生活していくためには様々なアルバイトをして食いつないでいかざるを得ません。役者を目指すということは、とことん芝居が好きでないとやっていけない世界なのです。
 十年前、彼女もそうした役者の卵の一人でした。芝居の練習に支障のないアルバイトを懸命に探し、ありとあらゆる業種の仕事を重ねて、「いずれは主役を張れる女優に」と頑張っていました。
 そんな折に知り合ったのが一つ年上の彼です。彼もまた俳優を目指し、同じ劇団に所属していました。
 二人は同期入団ということもあって、自分達の演技の批評や劇団の公演内容のこと、それに将来のことなどをよく語り合いました
 ところが、転機が訪れたのはそれから四年後、彼女が二十三歳の時でした。
 「主役を張れる」女優を目指して、アルバイトを重ねながら頑張ってきた彼女でしたが、なかなかその芽は出ませんでした。彼とも励まし合いながら懸命に芝居の勉強をしてきましたが、19才で入団して4年、ついにその力も尽きそうになってしまいました。 
 「これ以上頑張っても、私はダメだと思うの」
 彼女は自分の迷いを彼にそう伝えました。
 「何を言うんだ。今までこんなに頑張ってきたのに、ここで弱音を吐いてしまったら、これまでの苦労が水の泡になってしまうんだぞ。芽が出る出ないは、演技力が問われるのは当然として、運ということもあるんだ。君は少し自信を失くしているだけだよ。これまでも一緒に頑張ってきたんだ。もう少し、頑張ろうよ」 
 彼はそう彼女を励ましました。彼女は「それはそうだけど…」とは思いましたが、どうしても以前のような意欲が湧いてきませんでした。 
 大阪にいる両親は、「大学に行かせたつもりで」と、22才までは目をつぶると言っていました。その期限もとっくに過ぎ、「早く戻って来い」と矢のような催促も入ってきていました。
 悩みに悩んだ彼女は当時32才でしたが、もう一度頑張っていく自信も持てず、結局、芝居の世界を諦めることになりました。
 東京を引き揚げる日、彼は彼女にこう言いました。
 「自分でそう決めたのなら、僕はもう何も言わない。これからの人生、いつまでも君らしく生きていくことを祈っているよ」
 彼はあくまでも役者になることを目指すと言いました。
 それから六年。大阪へ戻った彼女は、しばらくの間家事手伝いをしていましたが、母の友人のつてでエステティックの勉強をし、今は立派なインストラクターとなっていました。
 二人は一度も会うことはありませんでした。彼女は彼に電話の一本もかけたことがありません。今も俳優を目指して頑張っているのか、それとも、もうとっくに断念したのか…?彼女は今、彼がどのように暮らしているのか、全く知りませんでした。ただ、ここ何年かは二人が所属していた劇団の公演チラシの中も彼の名前を見ることもなくなりました。まして、他の場所で彼の名が目に止まるということなどまるでありませんでした。

<続>

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