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突然行方不明になった息子(1) | 秘密のあっ子ちゃん(103)

これは平成6年より大阪新聞紙上にて連載していた「秘密のあっ子ちゃん」に掲載されたエピソードより抜粋したものです。なお、登場人物は全て仮名で、ご本人の許可を得ております。

その女性が「息子のことで」と高知県から調査の相談に来られたのは、今年の正月明けのことでした。
彼女の息子は現在二十九歳で、二年前から行方不明となっています。
彼は大学を卒業した後、そのまま関西でコンピューターのソフト開発会社に就職し、一人住まいを続けていました。まだ独身で、性格は真面目で律義、かと言って暗い面はなく、人当たりの良い青年でした。
それが、二年前の震災の直後からぷっつりと連絡が途絶えたのです。
平成七年一月一七日の夜、彼は実家に電話を入れ、「僕は何の被害もなかったので、大丈夫だから」と妹に伝えています。そして、「友達のことが心配だから、今、神戸に来ている」とも言っています。
しかし、その電話を最後に、彼からの連絡が全く入らなくなったのでした。
二ケ月後、心配した依頼人が彼の部屋の様子を見に行くと、食べた後の食器が浸けたままとなり、電源は切られているものの、テーブルの上にはノートパソコンのディスプレイが開かれたままの状態になっていました。今にも帰って来そうな状態にして、彼は出て行っているのでした。そうであるにもかかわらず、二ケ月以上も実家に連絡を寄こしてきませんでした。真面目で律義な性格を反映して、これまでは週に一度は必ず連絡をしてきていた彼がです。
依頼人は管理人の部屋に出向き、様子を尋ねました。 「いえネ、ここ二ケ月程、姿をお見かけしないんで、私は震災の後、てっきり実家に戻っておられるものとばかり思っていました」
管理人はそう答えました。 依頼人はとりあえずその月分の家賃を収め、本人が戻ってくればすぐに連絡をくれるよう、重々頼んで帰りました。
それにしても腑に落ちません。息子が家出しなければならない根拠など何一つ見当たらず、部屋の状況といい、震災のその夜からぷっつりと連絡が途絶えたことといい、不審なことばかりです。ましてや、その頃はオウム事件の問題も世間を騒がしていました。
彼女は息子の身に何があったのか心配でたまりませんでした。しかし、当てもなくいつまでも大阪にいる訳にもいかず、後のことを知人に託し、高知へ帰ったのでした。
依頼人に後のこと託されたその知人は、彼女の息子の行方を知っていそうな所を四方八方当たりました。 もともと、この知人という人は息子と同じ陶芸教室に通っていたというだけの繋がりでしたが、依頼人としては他に大阪で頼れる人もなく、以前から名前を聞いていたこの初老の紳士を、息子を探しに大阪へ出てきた時、真っ先に訪ねていったことがきっかけとなりました。
知人は依頼人の心情を察し、損得抜きであらゆる方面を探してくれました。しかし、息子の行方は杳として掴めません。依頼人の心配はますます深まるばかりでした。
これでは埒があかないと感じた知人は、依頼人にこうアドバイスしました。 「もうこういう状態となれば、私の力では及びません。私の知り合いに探偵事務所をしている女性がいますから、一度そこへ相談に行かれてはいかがですか?」
こうして、依頼人が我が社にやって来られたのですが、それは彼女の息子が行方不明となってから二年が経過していました。
私達は行方不明になる前の彼の状況と、その後知人が動いて入手できた情報を念入りに聞き、早速調査にかかったのでした。
私達はまず、彼の友人関係はもちろんのこと、勤務先の同僚にも聞き込みに入りました。
しかし、皆、全員口を揃えてこう言うのでした。
「僕達もびっくりしているんですよ。ある日突然のことでしたから。それまではごく普通で、まさか行方不明になるとは思いもよりませんでした。お父さん、お母さんのこともよく知っていますが、お二人ともとても立派な方で、今度の件では心労はいかばかりかと思います。僕達も彼と連絡が取れていたのは震災前のことです。他の友人にも伝えていますので、何か分かればすぐに連絡します。そちらで、もし彼の行方が分かれば、是非僕達にも知らせて下さい」
会社側は彼をまだ在籍扱いにしてくれていました。上司もこう言っています。 「早く彼が見つかるのを願っています。何があったのか、私としても大変気掛かりです。上にはもう少し在籍扱いにするよう言ってありますので、一刻も早く探し出してやって下さい」 結局、彼は誰にも連絡を入れていませんでした。人間とは社会的な動物ですので、家出する前か後かは別として、家出人は必ず誰かに連絡するものです。しかし、彼は親戚や同僚はもちろんのこと、友人達にも全く連絡をしていませんでした。震災の日の直後に行方が分からなくなったことと言い、オウム事件が世間を騒がせていた頃と言い、誰に対しても一切の連絡がないということが両親の不安をますます募らせていたのでした。 次に私達は、彼が立ち寄りそうな所を軒並みに聞き込みに入りました。しかし、結果は芳しくありませんでした。どこも皆、彼の姿を見ているのは震災前なのです。
スタッフに疲れが見えてきたある日、一つの朗報がもたらせられました。友人の一人が一週間程前に京都の街を歩いている彼の姿を見かけたと言うのです。車を運転していたその友人は、彼とよく似た人物が遠くを歩いているのを見て、確認しようとしたらしいのですが、車を停車させている間に見失ったとのことでした。 「彼は京都にいる」
この僅かな手掛かりで、私達は次の行動を起こしました。
京都で彼が勤めそうな場所を軒並みに当たっていったのです。
京都の町で彼の姿を見かけたという友人の情報を基に、私達は彼が勤めそうな場所を軒並みに当たっていきました。コンピューターのソフト開発の能力を持っている彼のことですから、ソフト会社はもちろんのこと、学生時代にアルバイトをしていたというガソリンスタンド、保証人のことをあまりやかましく言わないパチンコ店などに対して、彼の写真を持参して聞き込みに入りました。
しかし、全く該当者は出てきませんでした。
そうこうしているうちに、依頼人と共に出向いて協力を要請していた、彼が口座を作っている銀行からまた一つの情報が入りました。京都の支店から、彼がカードで出金していることが分かったのです。
もともとこれは、私達が協力を要請しに行った時には銀行側があまりいい顔をしなかったものを、事情を諄々に説明し、依頼人の心情を察してもらって、「特例」ということで協力を了承してくれたものでした。 私達はその後の二ケ月間、彼が銀行から出金する状況を注視していました。
すると、彼が出金するのはだいたい月末であることが判ってきたのでした。私達はその前後一週間を銀行で張り込むことにしました。

<続>

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